第八話 「文字を習う」
壁の正の字は、10個目が刻まれていた。
最近は、営業担当のジュリアーノとよく話をするようになっていた。
ジュリアーノ(皆はジュノと呼んでいる)は、奴隷ではない。
平民で、実家はこの街で商店を経営しており、その家の三男だと言っていた。
歳は17、この世界では既に大人として扱われる。
実家は長男が継ぐことが決まっているので、家を出てこの工房で働いているのだそうだ。
ジュノは、奴隷である俺に対しても、優しく明るく接してくれた。
昼食を一緒にとることも多かったし、彼のやっている営業の仕事についてもよく話してくれたりした。
弓や矢の受注を獲得するために、どう工夫しているか。
そんな話しぶりから、彼の真面目さ、仕事に対する真摯な姿勢が伺えた。
俺はそんなジュノが、大好きになった。
俺はジュノに、読み書きを教わっていた。
奴隷たちは、アディも含めて、文字が読めない。
それは奴隷としては一般的なことらしく、平民でも読み書きのできない者は珍しくないようだ。
ジュノは、さすがに商家に生まれ育ったからか、きちんとした教育を受けて育ってきたのだろう。
奴隷が読み書きを覚えたいと言い出すのは珍しいことだと言っていたが、彼は嫌な顔をすることなく、親切に教えてくれたのだった。
この世界の文字は、現世のアルファベットと同じように、音を表す表音文字だった。
大文字と小文字があり、さらにそれらを崩した感じの筆記体のようなものもあった。
ジュノの教え方が上手だったからか、俺はみるみると覚えていった。
そんな俺に、ジュノも喜んで教えてくれるのだった。
字を書くのは、廃材置き場にある木片を利用した。
手頃な大きさの木の札をたくさん用意して、表側に文字を書き、裏側にはその文字の意味を絵にして描いた。
そんなふうに作った単語カードに、アディとサミーが興味を示した。
「ねえ、シュン。
それは何をやっているんだい?」
「これで字を覚えているんだよ。
ほら、文字と、裏にその意味が絵で描いてある」
「なるほど、おもしろそうだね!」
「こうやって、字の方を表にして並べて……意味を当てながら裏をめくるんだ」
カードゲームのように、やってみせる。
それからは、昼飯後や就寝前に3人で集まり、ゲーム感覚で楽しみながら文字を覚えていった。
若い二人は覚えも早く、みるみるうちに読み書きができるようになった。
するとアディ達は大人たちに自慢を始めた。
俺、字が読めるんだぜ、と。
すると、大人たちは俺につめよってきて、どうやって彼らは文字を読めるようになったのか、教えろと聞いてくる。
単語カードを見せて、使い方を教えると、それは奴隷たちの間で大ブームになってしまった。
あらかじめ場にカードを並べておき、順番にカードをめくる。
当たればそのカードを取り、続けて次のカードをめくることができる。
外れたら次の人の番、といった風に続けていき、最後に持っているカードの枚数が多い人の勝ち。
みたいなルールができて、しまいには金を賭けたりもしていた。
それはちょっとやりすぎだろうと思ったのだが。
程なくして、程度の差こそあれ、奴隷たちは全員が文字を読めるようになっていた。
これに驚いたのは親方たちであった。
「なんてこった、おめえら、いつの間に文字が読めるようになったんでえ?」
「シュンが作った『単語カード』ってやつで遊んでたら、字が読めるようになっちまったんでさあ」
「単語カード?
おい、シュン!
これあ、いったい、どういうこった?」
俺は毎日少しずつ作りためた単語カードを親方に見せる。
今ではその数は100枚を超えていた。
そして遊び方……使い方を教える。
「なるほどなあ。
そうやって楽しみながら字を覚えられる、って寸法かい」
親方は顎の髭をなでつけながら、とても感心しているように見えた。
そして、隣で聞いていたジュノが口を開いた。
「これ、売り出したら、けっこう評判になったりしませんかね?」
「そうだな、子供に字を教えるには、ちょうどいいかも知れんなあ」
親方は同意した。
隣で若旦那も、うんうん、と頷いている。
「これは、商売にしてみる価値があるかもしれないな」
ジュノは思い切ったように、親方にたずねる。
「ぜひ、僕にその仕事、やらせてもらえませんか?
木材から札を加工するのはこの工房で、文字を書いたり絵を描いたりするのは、僕がやりますから。」
「そうだな、矢を作る合間にできる、簡単なもんだから、いいだろう。
俺は、ものを作ることしかわからねえ。
後はお前に任せるぞ、いいな?」
「はい! ありがとうございます!」
かくして、この世界ではじめての知育玩具として、「単語カード」は世に出ることになった。
この単語カードが街中で大ヒットをして、俺達の残業が増えてしまうことになるのは、もう少し後のことであった。
数日が経ち、ジュノは最近、とても忙しくしているようだ。
単語カードの発売について、販売してもらう商店との調整やパッケージのデザイン、単語の選定、絵を描き入れいてもらう絵描きとの契約など、忙しく飛び回っていた。
もちろん、本業である弓や矢の営業もある。
工房でジュノと話をすることも少なくなっていた。
たまに会うことがあるが、目の下に隈を作っていた。
あまり寝てないのだろう。
しかし、自分の出した企画が通り、そのプロジェクトを初めて任されたのだ。
頑張りすぎてしまう気持ちもよく分かる。
でも、無理しすぎて、やらかさないといいけどな。
少しだけ、心配していた。
「おい、ジュノ! ちょっとこっち来い!」
ある朝、親方の怒鳴り声が工房に響いた。
親方はとても真剣な目つきをしている。
腕を組んでテーブルの前に立ち、そのテーブルには数枚の紙が置かれている。
ジュノは親方の前まで走って来ると、直立不動の体勢をとった。
親方が怒っていることを、明らかに感じたからだ。
「ジュノ、てめえ、この注文書はどういうこった?」
テーブルの上の紙の束、注文書を指さして言った。
どうやら、通常の一月の生産量を遥かに超える数の矢を、間違って受注してしまったらしい。
悪い予感が当たってしまった。
ジュノくん、とうとうやらかしてしまったようだ。
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