第十一話 「妨害」
工程の改善をした次の朝、作業場ではトラブルが起きていた。
作業に使う道具や材料が床に散乱していた。
さらに、窯の横に置いておいた水時計の桶が壊されていたのだ。
バラバラに解体され、板は粉々に割られていた。
なんとも、徹底的な壊され方だ。
水時計を作り直し、道具や材料を整理するために、作業の開始が遅くなってしまった。
その分、生産量は今日見こんでいた数よりも少なくなってしまう。
誰が、何のためにこんなことをしたんだろう。
せっかく増産の目途が立ったところだというのに、この遅れは皆の士気を下げることになってしまうだろう。
しかし俺には、この妨害工作の動機が、なんとなく分かっていた。
そして、このことを親方に報告をしようとする作業長のアンドレに、黙っていてもらうように頼んだ。
状況から見て、内部の犯行であることは明白だ。
この中の誰かが、皆を裏切るような行為をした、ということだ。
デリケートな問題なので、内々に処理したいという俺の考えが伝わったのだろう。
アンドレは親方に報告しないことを約束してくれた。
そして、その日の作業を終えた。
次の日の朝も、前日同様に作業場が荒らされていた。
棚の高いところに置いておいた水時計の桶は無事だったが、道具や材料が昨日以上に散乱していた。
このおかげで、また作業に遅れが出てしまう。
こんなことが何日も続いてしまえば、受注した矢の納品に差し障りが出てしまう。
俺はアンドレに、親方に報告しないよう再度頼むと、作業場にいる奴隷たちをじっと観察した。
その中で一人だけ、棚の上に置いてある水時計をじっと見つめている者がいることに、気づいた。
その夜、俺は寝床をそっと抜け出して、誰にも気付かれないように作業場に行き、隠れて張り込みをすることにした。
寝床の毛布の下に服や布を丸めて入れておき、外からは俺が毛布にくるまって寝ているように見えるようにカモフラージュしておいた。
俺には犯人の見当がある程度ついていた。
なぜこのような犯行に至ったか、その動機にも心当たりがあった。
その動機を生んでしまった責任は俺にあったので、心が少し傷んだ。
そして、夜半を過ぎるころ、ランプを持って作業場に入ってくる人影があった。
音を立てないように、慎重に、ランプの明かりも、最小限足元を照らす程度に、外に光がもれないように注意しているようだ。
そして、暗がりでもどこに何が置いてあるのか熟知しているように、踏み台を持って棚の前に置く。
踏み台に登ると、水時計の桶に手を伸ばした。
「なにをしているんだい、サミー?」
俺はその不審な人物に、サミーに声をかけた。
そう、彼は近眼のサミーであったのだ。
俺の声は静寂を破り、彼には大声となって聞こえたかもしれない。
サミーは驚いたのだろう、踏み台から足を踏み外してひっくり返っていた。
その音に呼応するかのように、アンドレがランプを片手に作業場に入ってきた。
俺も物陰から姿を現した。
「シュン、それにア、アンドレ……」
サミーは俺達の顔を交互に見ると、そうつぶやいた。
アンドレは黙ってサミーを見つめている。
「俺がアンドレに頼んでおいたんだ。
夜中にサミーが寝床を抜け出したら、そっと後を尾けてきてくれ、ってね」
「どうして僕が犯人だとわかったの? 最初からわかっていたの?」
「わかっていたさ。
昨日は水時計の桶が壊されていなかったよね。
あれは、棚の上に置いていたから、目の悪い君には見つけられなかったからだ」
サミーは、はっと息を飲む。
「さらに昨日、その桶の場所をしっかりと確認していたのも君だった。」
サミーはうつむいたまま、何も言えなくなっていた。
「君は、こう考えたんだろう。
矢の生産効率が上がり、いっぱい作れるようになってしまった。
生産数が通常の数に戻れば、人が余ってしまう。
そうすると、工房は人減らしをするかもしれない。
真っ先にクビにされるのは、いつも叱られている自分だろう、とね」
サミーは俺をみつめていた。
その目には涙がたまっている。
そして、告白をはじめた。
「その通りだよ。
僕は、ここを出て行きたくなかったんだ。
怒られたりしたけど、この工房が好きだし、ここの皆も大好きなんだ。
だけど、いっぱい作れるようになっちゃうと、僕が追い出されちゃうかも、って。
だから、いっぱい作れないようにしなくちゃ、って。
それで……」
「サミー……
きっと、追い出されたりはしないよ。
同じ人数で、それまでよりいっぱい作れるようになるってことは、一本の矢を安く作れるようになるってことなんだ。
安く作れれば、安く売ることができるだろう?
そうなれば、今までよりいっぱい買ってくれると思わないか?
きっと、今までよりいっぱい作らないといけなくなるよ」
「シュン、それ本当?」
「ああ、本当だとも。
俺が最初にこういう説明をしておくべきだったんだけど、つい忘れてしまったんだ。
ごめんよサミー、君につらい思いをさせてしまったね」
サミーは大粒の涙を流して頭を垂れた。
「ううん、僕の方こそ、ごめんなさい。
アンドレ、ごめんなさい」
アンドレは、サミーの肩を抱くと、
「さあ、もう遅い、今日はもう寝よう」
と言って、泣き続けるサミーを寝所に連れて行った。
その夜は、それからずっと、毛布の中で嗚咽を繰り返す声が、かすかに聞こえ続けた。
俺は、その夜は眠れなかった。
サミーの声が気になったわけではないのだけど。
俺が良かれと思ってしたことが、起こした行動が、別の人に不幸となって影響することもある、ということを思い知らされたからだ。
この俺の知識が、時には諸刃の剣となってしまうことを、心に深く刻み込んだ。
次の朝、サミーは皆の前で、作業場を荒らしたのは自分であることを告白し、ごめんなさいと謝罪した。
アンドレが、そうした行動に至った理由を、俺の言ったことも含めて補足してくれた。
皆がそれを笑って許してくれたことが、俺はとても嬉しかった。
そうして、それ以降は順調な生産が続き、無事に要求の数を納期通りに納めることができた。
ジュノは泣いて喜んでいた。
作業場の仲間ひとりひとりに、ありがとう、と伝えて回っていた。
お礼に、とジュノのはからいで、夕食に肉がふるまわれることになった。
奴隷の身で肉を食べられることなど滅多にないので、皆は歓喜の声を上げていた。
ジュノは俺の前に来ると、俺の手を取って言った。
「シュン、君のおかげだよ、ありがとう」
それに対して俺が何か言おうとするのを手で制して、微笑みながらこう言った。
「シュン、今は晩ごはんの前だから、ね」
俺は、決め台詞を取り上げられたお返しに、口の端を上げてニヤリと笑っただけだった。
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