第三十二話 「パスタ」
「私ね、料理屋を開こうと思っていますの」
意外な言葉が返ってきた。
「ご自分で、料理店を経営するってことですか?」
「ええ。
自分でお店を開いて料理をするのが、ずっと以前からの夢でしたの。
私の両親は、街で雑貨屋を開いているのですが、もう歳だからと私に継いで欲しいと言い出したんです。
それならばと、その店舗を利用して料理屋を開きたいと言いましたら、両親は快く賛成してくれましたわ」
「もう店舗の確保もできてるってことなんですね。
これは……とっても現実味のある話だな」
「はい。
それで、クララが教えてくれた『マヨネーズ』の料理を売りにしたら、人気も出るのではないかと思いまして、このようにお願いにあがったんですの」
「なるほど、話はよくわかりました。
しかし……マヨネーズだけでは、インパクトが弱い気もしますけれど?」
「そ、そうでしょうか?
私としては、とっても印象的で、忘れられない味だったのですのよ?」
「そうかも知れませんが、しょせんんはソースの一種、調味料の一つでしかありませんからね。
マヨだけで押すのは、無謀と言えるかも知れません」
「そう、ですか……」
彼女は、いきなり自分の考えを否定されて、ひどく落ち込んだように見えた。
初めてマヨネーズを味わった時の衝撃的な感動から、まだそれほど時間が経っていないのだろう。
だからこそ、マヨに対して過大な評価をしてしまったのだ。
しかし、それなりのインパクトは与えられるとは思うので、マヨ以外の売りを見つけることができれば、いい線行くはずである。
「カティは、どんなお店にしたいと思うんですか?」
カティは気を取り直すと、俺の質問に答えた。
「そうね、あまり形式張っていなくて、誰にでも気軽に入ってもらえるような雰囲気で、でもちょっとオシャレな感じ?
若者がデートでお食事したり、ファミリーでランチを食べたり、仕事仲間で軽くワインを飲みながら食事をしたり……そんなイメージかしら」
それを聞いて、俺の頭の中にはあるアイデアが浮かんでいた。
彼女のそんなイメージにぴったりの食べ物が。
俺は最近、平民になってから、頻繁に街を散策するようにしていた。
この世界では、俺は全くの世間知らずであったから、一般の知識を得るためというのが一番の理由だ。
二番目が、美味い食べ物を探すことだった。
安くて美味い料理を求めて、何軒もの屋台や料理屋を巡っていたのだ。
決して、奥様やクララの料理に不満があったわけではない、ゲフン。
そして、いくら探しても、あの料理は見つからなかった。
材料は平凡なものだし、製法も単純であるので、まだこの世界には存在しないとは思えなかったが、少なくともこの街には存在しないのだと分かった。
ならば、この際だ、カティに作ってもらおう。
「ねえカティ、パスタ屋さんをやってみないかい?」
「パスタ。。。それはどんな食べ物なのかしら?」
さっそく、俺はパスタを作って見せることにした。
まずは麺の元となる生地を作る。
手頃な大きさの桶に、小麦粉と卵、オイル、塩を適当に入れ、ヘラで混ぜる。
生地のまとまり具合を見ながら、水を少し加える。
ある程度まとまったら、テーブルの上に打ち粉をして手でこねる。
ちょうど良い弾力になったところで、桶に戻し、湿らせた布をかぶせて休ませる。
その間に、ソースを作ることにした。
トマトを湯剥きし、ざく切りにする。
フライパンにオイルを入れ、みじん切りにしたニンニクとタマネギを入れ、炒める。
この時点でニンニクの香りが空腹をあおってくる。
ベーコンを小さく切って投入し、軽く炒める。
そして、頃合いを見計らってトマトを投入し、混ぜる。
味見をしながら塩とコショウで味を整え、香草をひとつまみ加えた。
このまま食べても美味しそうであるが、ぐっとこらえ、火から上げておく。
パスタの生地をテーブルに戻し、打ち粉をして綿棒で延ばす。
厚みが1~2ミリ程度になったところで、打ち粉をしながら4つに畳む。
そして、1~2ミリの太さに均等に切っていく。
たっぷりの水を入れ火にかけておいた鍋がグツグツと沸いている。
麺状になったパスタを鍋に投入し、茹でる。
程なくして茹で上がるので、麺をすくって水気を切り、フライパンに入れて軽く火を通す。
ソースと軽く絡めてから、火から下ろし、皿に盛り付けた。
二人は、俺があまりに手際よく料理をしたものだから、目を丸くして驚いていた。
そのせいか、作っている間は一言も発せず、俺の作業をただただ凝視していた。
フォークを手渡し、「さあ、おあがりよ」と俺が促すと、ゴクリと生唾を飲み込む音がステレオで聞こえた。
彼女たちは、フォークで麺をすくって食べようとするが、スルスルッと麺が滑り落ちてしまい、食べづらそうにしていた。
それを見かねて、俺はクララからフォークを奪い取り、クルクルと麺をフォークに巻きつけるようにして、それを手渡した。
クララは大きく開けた口にそれを入れ、咀嚼した。
目尻が下がり、トロンとした表情になっている。
上気したように頬が赤みがかっている。
そして、ゴクリと飲み込むやいなや、大きな声をあげた。
「いや~ん、美味しい~~~!」
目が輝いていた。
涙ぐんでいるのだろうか、潤んだ瞳が俺を見つめている。
「歯ごたえがあって、もっちもち!
すごくコシがあるの。
小麦の香りが鼻孔をくすぐる感じがするわ。
しかもソースがよく絡んでいて、トマトの風味がとても生きているのよ。
噛んでいる間に感じる幸福感がたまらないの!」
クララは、そのひと口がどれだけ美味しかったのかを、必死で説明しようとしていた。
それを眺めていたカティは、次は私の番ね、と言わんばかりに、自分のフォークを俺に突き出した。
俺を見つめるカティの瞳が、早く早くと訴えている。
俺は苦笑しながら、クララにしてあげたのと同じように、フォークで麺を巻き取ってカティに渡してあげた。
急いでそれを口にほおばる。
顔を上向かせ目を瞑りながら咀嚼する彼女の表情は、エクスタシーを感じているように見えて、とても色っぽく思えた。
クララはカティがどんな感想を述べるのかが気になっているようで、じっとカティのことを見つめている。
カティは飲み込んだ後もしばらくは恍惚とした表情をしていたが、はぁ~っと大きなため息をつくと、俺の目を見つめながらツカツカと近寄ってきた。
顔が近づいてくる。
息がかかる程の距離だ。
目を丸くしている俺に対して、カティは言った。
「これがパスタと言うものですのね。
これの作り方、教えて下さらないかしら。
絶対、人気のお店になりますわ」
美人にそんな風に迫られては、断ることなどできる俺ではなかった。
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