第二十四話 「貴族」
「貴族よ」
クララは静かに答えた。
まるで、その言葉を発すること自体、はばかられるかのように。
先程の中年の男性、『ヨーゼフ卿』と呼ばれた人は、この街とこの周辺を領地として治めているグルックスタット侯爵の長男だった。
ヨーゼフ・フォン・グルックスタットが彼の名前だ。
侯爵は現在、かなりの高齢であるために、息子のヨーゼフ卿がほとんどの実権を握っている。
爵位は世襲制であり、生前の継承は認められていないため、『ヨーゼフ侯爵』ではなくて『ヨーゼフ卿』と呼ばれている。
そのような、街のトップとも言うべき人が、がこんな平民街区に来るのは、俺の持っている貴族のイメージに合わなかった。
「そんなお偉いさんが、こんな所の料理店に来るんだね。
びっくりだよ」
「あら、ヨーゼフ卿はわりと平民との触れ合いを重んじられておいでなのですわ」
と、カティが教えてくれた。
「私の友達も、ヨーゼフ卿の開催するお茶の会に招かれたって、自慢してましたわ。
はぁ~、私も誘っていただけないかしら」
次に俺は、ドルレオーネ・ファミリーについて質問した。
「さっきのモヒカンの兄弟ってさ、マフィアの構成員だったの?」
この質問には若旦那が答えてくれた。
「ここら一帯を縄張りに活動している、『ドルレオーネ・ファミリー』の中堅の構成員だ。
何かモメ事があって暴力で処理しようとする時は、必ずと言っていいほど、あいつらが顔を出してくる。
腕っぷしも強いし、剣の腕もたつ。
『赤い狂犬兄弟』と呼ばれて恐れられているんだ」
「デリカシーのない、最低最悪のワンコロ兄弟ですわ」
カティはさっきのことをまだ怒っているらしい。
「そんなマフィアの武闘派でも、貴族に対しては頭を垂れるんだねえ」
「そうね、貴族様と私達平民とでは、住んでいる世界が違うもの。
平民が貴族に逆らおうものなら、言葉一つで首が飛ぶのよ」
クララは、それが当り前であるかのように、そう言った。
平民と貴族、そのような身分の違いという観念が、俺にはまだ馴染めなかった。
先程の粗野なモヒカンでさえ、条件反射的にとっていた貴族に対する行動。
心と身体に染み付いているものなのだろう。
俺はこれから気をつけないと、下手な振る舞いをして咎められて、罰せられることになりかねない。
そんな会話をしながら、俺達は少し遅めの昼食をとっていた。
そこで食べた料理は、はっきり言って、美味かった。
奥さんやクララには悪いが、彼女たちの作る料理と比べれば、天と地の差だ。
スープはしっかり出汁が効いているし、野菜や肉の焼き料理も、ちゃんとスパイスが効いている。
食材や調味料、香辛料といった物もちゃんと流通しているということだ。
ということは、家庭料理のスキルに課題があるということか。
これからは、奥さんとクララにもっと料理を教え込むことにしよう。
その料理店を出た後、俺達は武具商店に向った。
工房で作られた弓や矢が、どのようにして売られているのかが知りたかったので、若旦那に頼んで連れて行ってもらった。
何故かクララとカティも着いてきた。
俺達が訪れた武具商店は、この街で最も大きな店らしい。
広い店内には、様々な武器や防具が陳列されている。
武器といっても、剣や槍、矛といったメジャーなものから、フレイルといったマイナーなものまで揃えられていた。
そんなフロアーの一角に、弓のコーナーがあった。
弓本体の湾曲が単一のもの、Mの字に湾曲が複合しているもの、種類もさまざまで、サイズもさまざまに揃っていた。
「わ~、この弓、装飾がとても綺麗ですわ。
このような弓が家に飾ってあったら、さぞかし素敵なことでしょうね」
カティは弓に対して、綺麗に飾られた外観に価値を見出しているようだった。
そう言えば、俺を森で助けてくれた二人のエルフ達も、綺麗な装飾の施された弓を使っていた。
そのように、見た目を重視するということも、弓の価値としては大事なのだと思った。
そのコーナーには、うちの工房の製品も何種類か壁に飾られている。
他の工房の製品に比べて、種類もより多く、見やすい場所に飾ってある。
きっと、人気商品としての扱いなのだろう。
しかし、俺は少々不満だった。
「若旦那。
このような陳列の仕方だと、どれがどこの工房の製品か、分かり辛いですよね」
「うん?
まあ、そうだが。
オーダー品じゃなく、このような既成品なんかは、どこの製品かなんて気にする客は少ないんじゃないか?」
うむ、と俺は考え込んだ。
ブランディングが、まだまだできていないといことだな。
良い物は、良い製造者から提供されるものであることは明白なのに、誰が良い製造者なのかということが、客に対して訴求できていない。
ふと、傍らを見ると、矢を並べてある棚があった。
その最も手前の、最も目に入りやすい場所に、うちの工房の矢が置かれていた。
うちの工房の製品のみ、製造者名として工房の名前が表示されている。
さらに、名人クーランディア推奨品、とまで書いてあった。
これだよ、これ。
これがブランドなのだ。
若旦那にブランドとは何かを語ろうとしていたその時、壁にかけてあった弓を手に取って眺めている客が、俺の視界の隅に映った。
二人組のその男たちは、店員や他の客の目から手元が見えないように、背を向けて弓を眺めている。
ただ、俺だけは、その男が小さなナイフを手に持っていることを見逃さなかった。
弓の端の、最も先端の部分の、木と木を貼り合わせた部分にナイフの切っ先を刺し入れようとしていた。
「ちょっと!
あんたら、何やってるんですか!」
俺はわざと店員にも聞こえるように、大声で男たちに問いかける。
男はピクリと背筋を伸ばすようにして驚愕を表すと、俺の方を凝視する。
目を細めて俺を睨むように見る。
手のナイフは、こっそりと懐にしまわれる。
「今、ナイフで弓を傷つけようとしていたじゃないか!」
「なんだと、この!
んなこたあしちゃいねえよ!
難癖つけやがると、ただじゃ置かねえぞ、コラ!」
ナイフを隠した男は、その頬に二本の線が交差するような形の傷跡がある。
低いガラガラ声、ドスの効いた声で俺を怒鳴りつけてきた。
俺の隣りにいたカティが「キャッ」と小さく悲鳴を上げる。
俺が男に近付こうとした時、もう一人の男は、持っていた弓を俺の方に放り投げた。
その手の甲には入れ墨が掘られている。
片方には蛇、もう片方には剣が描かれていた。
俺は弓を床に落とさないように、慌ててキャッチしていると、そのスキに男たちは素早く店を飛び出して行った。
俺は急いで追いかけようとしたが、店の出口を出たところで、相手はもう姿をくらませていた。
俺の手に残った弓に目を落とすと、うちの工房の製品であることがわかった。
その時、嫌な予感めいたものが、俺の胸の奥でドロドロと渦巻くのを感じた。
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