第九話 「ジュリアーノ」

「お前の言い出した仕事だ、任せるとは言ったが、本業が疎かになっちまっちゃあ、何の意味もないだろうが!」


 親方は腕組みをしながら怒鳴りつける。

 

「す、すみません!

 今すぐ客先に行って、謝って来ます!

 納期を遅らせてもらうように…… 」


「ばかやろう!

 そんなことしたら、うちの工房の評判にキズがついちまうだろうが!」


「は、いや、でも、どうしたら…… 」


 親方は大きくため息をつくと、

 

「ふう、どうしたもんだろうなあ……」


 腕組みしたままうつむいてしまった。

 

「奴隷をあと何人か連れてくるってのはどうだ、親父?」


 若旦那が対策案を提示した。

 

「それも考えたんだがな、今回の受注をさばいた後は、もとの生産量に戻っちまうんだ。

 そんときにゃ、そんなに大勢の働き手は必要なくなっちまうんだよ」


 それは、食いぶちだけ増えて、利益を圧迫してしまうということだ。

 新しく労働者を雇用しても、仕事を覚えさせて戦力にするまでには、時間もかかる。

 必要がなくなったからといって奴隷を売ろうにも、買った値段で売れるということは考えにくいから、損失が出てしまう、ということだ。

 生産要求に対する人員の調整というのは、どの世界でも難しいことなのだ。

 

「ううう、どうしたら……」

 

 ジュノが泣きそうな顔でつぶやいた。

 

「ちょっと頭を冷やして、じっくり考えてみるとするか」


 親方はそう言うと、自宅の方に向かって歩いていった。

 若旦那も、うなずいて外に出ていった。

 

 俺はジュノの肩を、ポンとたたき、声をかける。

 

「だいじょうぶか、ジュノ?

 最近あんまり寝てないんじゃないのか?」

 

「ああ、そうなんだ、遅くまで仕事をしていたから。

 そのせいで注意力が落ちて、本業の方でミスをしてしまったんだよ。

 情けないよなあ……」

 

「まあ、失敗は誰にでもあることさ、次の仕事で挽回すればいいじゃないか?」


「次は……、無いよ」


 この受注をきちんとこなせなかったら、工房の名前に泥を塗ったことになり、その責任をとってジュノはクビになるだろう、ということだった。

 一度の失敗が命取りになるとは、まったく厳しい世の中である。

 

「俺さ、街でいちばん大きい商店の三男に生まれてさ。

 でも、店を継ぐのは長男の兄貴にもう決まってるんだ。

 父の仕事を小さい頃からずっと見てきて、俺も商人になりたいって、ずっとそう思ってきたんだ。

 いつか、兄貴に負けないような、大きな店を経営するようになりたいって、そう思ってるんだ。

 それなのに、こんなミスをして、切り抜けられないようじゃ、そんなの到底無理ってことだろうね」

 

 そう語るジュノの背中は、ひどく小さくなったように思えた。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

 街で最も大きな食品商会、バルデッリ商店。

 農家や組合から食品を仕入れ、料理店や食品加工店に卸している。

 アウグスティーノ・バルデッリが経営するその店には、三人の兄弟がいた。

 長男 ステファーノ、次男 ディーノ、そして三男 ジュリアーノ。

 

 ジュノは小さい頃から父親の仕事ぶりを目で見、肌で感じて育ってきた。

 明るく人見知りしないジュノは、常連のお客さん達からも可愛がられていた。

 足しげく顧客のところに通い、足りないものはないかと、訊ねて回っている。

 そんなジュノの努力の甲斐あって、いつでも営業成績は三兄弟の中でも一番だった。

 

 ある日、ジュノは街のパン屋との小麦粉の継続的な大口契約を結ぶことができた。

 

「ただいまー。

 兄貴、フレデリクさんのお店との小麦粉の契約、とってきたよ」


 店番をしていたステファーノに、そう報告した。

 

「ジュノ、すごいじゃないか。

 お父様が聞いたら、きっと喜ぶことだろう」

 

「うん!

 お父様がお帰りになったら、真っ先に報告しようと思ってるんだ」

 

「そうだな、きっと褒めて下さるよ。

 契約の覚え書き、そこに置いておいてくれ。

 確認しておきたいから」


「わかった!」


 ジュノは、自分は商売の才能があるんじゃないかと、密かに思っていた。

 三兄弟の中で、一番の成績を上げている。

 この店を継ぐのは、もしかしたら自分ではないかと。

 いや、自分しかいない、とまで思い込んでいた。

 

 その日、父のアウグスティーノが王都から帰ってきたのは夜も遅くであった。

 ジュノはできる限り遅くまで起きて待っていたのだが、仕事の疲れもあり、我慢できずに眠ってしまっていた。

 

 ジュノが夜中にふと目を覚ますと、父の書斎から声が聞こえてくる。

 父とステファーノが話をしているようだ。

 ジュノは父を驚かせようと、忍び足で書斎のドアまで歩いて行った。

 少し開いた扉の隙間から、部屋の光とステファーノの話し声が漏れてくる。

 

「お父様、フレデリクさんのお店と、小麦粉の継続契約が取れたんです」


 ジュノは、扉の隙間から中の様子を覗き込んだ。

 

「おお! すごいじゃないか。

 お前がとってきたのかい? ステファーノ」

 

「はい。

 これが覚え書きです」

 

 ステファーノは懐から書類を取り出すと、父親に手渡した。

 

 それは、まぎれもない、ジュノが取ってきた契約。

 ジュノが書いた覚え書きだった。

 兄が自分の手柄を横取りしたことを知り、ジュノは愕然とした。

 

 少し年の離れた兄は、ジュノにとても優しく接してくれていた。

 何でも丁寧に教えてくれた。

 勉強も、遊びも、仕事も。

 そんな優しい兄が、自分を裏切ったことに、ジュノは怒りよりも強い悲しみを感じていた。

 二人に気づかれないように、ジュノは自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込んで泣いた。

 その夜は、涙を流しながら、眠りについた。

 

 

 

 次の朝、ジュノ達三兄弟とその父アウグスティーノは、ダイニングの大きなテーブルで、朝食を一緒にとっていた。

 ジュノは、昨夜のショックが忘れられず、誰とも目を合わせることがなかった。

 そして、皆が食事を終えようとする頃を見計らって、アウグスティーノは口を開いた。

 

「おまえたち。

 わしはこの店の経営から引退することに決めたよ」

 

 三兄弟は、驚いた表情で父の顔を見つめる。

 ジュノも、涙で赤くなった瞳で、父の顔を凝視していた。

 自分に! この店を自分に継がせてくれると、そう言うのではないかと期待して。

 しかし、その期待は淡くも崩れ去った。

 

「店は、長男のステファーノに継いでもらう。

 ディーノは、その片腕となって、兄を助けてやってくれ……」

 

 ジュノは頭が真っ白になっていた。

 兄は自分の手柄を横取りして父に報告をしていた。

 そのおかげで父の信頼を得た兄が、店を継ぐことに決まった。

 本来その信頼は、自分に向けられて然るべきなのに!

 

 その時ジュノは、何かがプツリと音を立てて切れたような気がした。

 

「そして、ジュノには、な……」


 父が言葉を継ぐのを遮るように、ジュノは椅子を倒しながら立ち上がると、大きな声で言った。

 

「お父様!

 僕は、この家を出ます!

 家を出て、修行して、いつか、いつか必ず、この店よりも立派な商店を立ち上げてみせます!」

 

 そうして、ジュノはバルデッリ商店を飛び出したのであった。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

「その後、親方に拾われて、この工房で働かせてもらうようになったんだ」


 ジュノはそんなふうに、彼がこの工房に来た経緯を説明してくれた。

 肩を落として、自嘲するようなその瞳は、うっすら涙を溜めていた。

 

 俺は、ジュノのことが大好きだった。

 読み書きを教えてくれたことも、その理由ではあるのだが。

 奴隷を分け隔てしない、懐の大きさ。

 いつも明るく接してくれる優しさ。

 そして、仕事に対して情熱を持って取り組む姿勢。

 彼の役に立ってあげたいと、そう思った。

 

「じゃあさ、こんなミスなんて軽く片付けて、新しい仕事の方に戻らないとな!」


「うん……でも、何かいい方法があるのかい?」


 俺は、自信たっぷりに笑みを浮かべると、力強くうなずいた。

 

 

 

「納期は遅らせられない。

 人員も増やすことができない。

 だったら、効率を上げて生産量を増やすしか、手はないよな?」


 ジュノは、首をかしげている。

 俺が言っていることが理解できないようだ。

 

「作業の効率を上るんだ。

 同じ人数で、一日に出来上がる矢の数を倍にすることができたら、ひと月でこの受注をこなせるだろう?」

 

「確かに、そうだけど……効率を上げるって、どうやるのさ?」


 そして俺は答えた。

 

「工程改善さ」

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