バネ



 呆気にとられる私に、杉本君は解説を始める。


花山院かさのいんの歌です。

 教科書にも大鏡おおかがみの『花山院の出家』が載っています。

 17歳で即位されますが、藤原家の陰謀で19歳の若さで退位されました。

 春日大社の宮司さんの家系は花山院かさのいんさんとおっしゃるのですが、これはこの和歌を詠んだ花山院かさのいんの屋敷に先祖の方が住まれたからだそうです。

 元々宮司さんも藤原家の由緒ある家系の方ですから。」


 知っている観光地の名前と急に関連付いて驚く。


「桜の元を住処とするならば 自然と花を見る人となろう。

 これは花山院かさのいんが出家後に修行をなさっている折、桜の木を見て詠んだそうですよ。」


 杉本くんの手は、ソメイヨシノから離れた。


「華やかに散りゆく桜の花はきっと、彼が追い出されてしまった世のように見えたことのでしょう。

 移ろいゆく世界は、華やかで美しく、無常なものだ。」


 そういう杉本君は、何をそんなに達観しているのだろう、と思う。


「やっぱり僕がソメイヨシノに触れたところで、何も分かりません。」


 杉本君は笑った。

 だがふと、なぜ彼が「やっぱり」と言ったのだろう、と思う。

 まるで、何かが分かるかのような口ぶりだ。


「それでも、不思議だなとは思います。」


 桜を見上げる姿はなぜか、胸を締め付ける。

 やはり彼の前世の母だという狭穂姫に感化されているのだろうか。


「時は止められないはずです。

 それを無理に止めて、何かを溜め込む・・・まるでバネみたいだと思いませんか。

 人の過労と一緒で、木であっても無茶なことは身を滅ぼすだろう。

 そこまでして、ソメイヨシノは、なぜ。」


 細められた視線の先には固い蕾。

 彼はやはり、なにか知っているに違いない。

 私と同じで夢で何かを見たのかもしれない。

 古典に通じている彼であれば僅かなヒントで様々な事に気付いたことだろう。


(じゃあ橘先生や、兄貴先生は?)


 そのそぶりを見せる事はないが、今思えば桜涙病に容易く対応してみせた兄貴先生は、もしかしたら何か思う節はあるのかもしれない。

 桜への思いを隠しきれない橘先生も、また然り。


 でもそれを確認する勇気は、正直私にはない。

 あまりに非現実的過ぎて、頭がおかしくなったんじゃないかと思われそうで怖い。


 杉本君の視線が、再び私に向けられた。

 穏やかな瞳が、私を写し、緩く弧を描く。


「僕は図書室にいきますが、先輩はどうされますか?」


「私も、図書館によるよ。

 返さないといけない本があって。」


 その返事に、杉本君と並んで歩きだす。

 こうして並ぶと、彼は背が高いし、肩幅も広くて、男子だなと思う。

 そんな杉本君が欠伸を噛み殺すので、私は目を瞬かせた。


「眠いの?」


「はい、最近夢見が悪くて。」


 心臓がどきりと音をたてる。

 生まれ変わりだと知ってはいるけれど、やはり心のどこかで信じきれない自分が居て、現実だという証拠がでると冷や汗をかくのだ。

 こんな話題を最近誰かとしたが、誰とだったかと考えていると図書室に付き、杉本君がドアを開けてくれたので会釈して入る。


「夢と言えば。」


 彼は書棚に向かう。

 そしてクジラ色の本を一冊手に座った。

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