「決意」

「もう決意は揺るがぬか?」


 兄の問いかけに、床に横たわる私は一つしっかりと頷く。


「わざわざその赤子だけをあ奴に渡さず、お前も共に戻ると言う手もある。

 あ奴のことだ、その子と共にであれば、お前も受け入れてくれるはずだ。

 そして匿いなんとかお前達を守るだろう。」


 満腹の息子は私の隣で、安らかに眠っている。

 私は首を横に振った。


「それはなりません。

 私は既に罪人。

 天皇スメラミコトの傍に罪人は不要。

 あの方が許すとおっしゃっても、周りがそれを許しません。」


 私は天井を見つめる。

 その向こうに、還るべき空がある。


「私は、還らねばならない。」


 城に使えていた家臣は可能な限り逃した。

 伯父も早々に逃げ帰った。

 後はどうしても残ると言い張った、息子を取り上げた老婆と、あと頑固者が数名。

 民にも抵抗はするなと伝えてある。

 天皇スメラミコトは無抵抗の者は傷つけまいと信じての事だ。

 実際、里では火の手も上がらず、血も流れていない。

 逆に民に食料の援助があったと報告があった。


「憎い人だ。

 稲城の外まで来ているのであれば、戦をしかければ良いものを。」


 兄はぽつりと呟き、そっと息子の頬を突いた。

 息子は微かに身動ぎをして微笑んだ。


「そうですね。」


 私はそれを独り言にしないために、同じようにぽつりと呟いた。


「お前、変わったな。」


 やはりぽつりとした呟きに、私は思わず微笑んだ。


「兄上も、変わられました。」


「そうか?」


「ええ。

 私達はもう子どもではない。」


 ここに来て我々2人がヒメヒコになるだけの器をようやく備えたと言うことを、私達は理解していた。


「何度申し上げれば分かってくださるのか!

 引き返されよ!

 姫は戻らぬと申しておられる!」


 外で老爺ろうやが嗄れた声で怒鳴るのが聞こえた。


「またあ奴の使いでもきているのだろうか。」


 気配を探り、私は首を横に振る。


「違う。」


 稲城の向こうにある魂から感じる気配は、兵のような一般の民のものではない。

 彼の中に流れている強い命の脈動だ。

 100年でも生きて生きられそうな、覇気。

 これだけの生命力をたたえる人物は、この国にたった一人しかおられない。

 あの春の日に気づいたのと同じだ。


 彼は神に選ばれし子。


 私達のような弱き者とは格が違う。

 孤独と、そして権力に揺らぐ我々とは違う。

 稲城の向こうの天皇スメラミコトの魂が悲しんでいる。

 苦しんでいる。

 怒っている。

 それに、佐保の草木が反応し、慰めたいが、同時に恐ろしく感じているのが、風に乗って伝わってくる。


 それがまた、悲しかった。


 私は身体を起こし、立ち上がる。

 手を貸そうとする兄を身振りで断る。


「いけません姫!

 産後の体で出歩かれては!」


 部屋に入ってきた老婆が嗄れ声で慌てて止めようとするので、苦笑を返す。


「静かに。

 そんなに騒ぐことではありません。」


 何が起きようと毅然としていなければならない。

 山となった母のように。

 部屋から出て、城を囲む稲に触れる。

 この向こうに天皇スメラミコトがいるのを感じる。


(これが、最後。)


 目を閉じて彼の気配にしばらく浸った後、私は振り返ることなく城に戻った。

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