4月7日

「炎の中で」

 俄かに外が騒がしくなった。

 部屋に駆け込んできた家臣は、焦燥しきった顔で訴える。


「狭穂姫を攫ったのかと天皇スメラミコトの使者の方が来られています!」


 兄が口を開く前に、私は言い放った。


「追い返しなさい。」


 その言葉に家臣も兄も驚いたようだ。

 私は続けて口を開く。


「私は自らここへ来た。

 佐保と運命を共にするために。

 そうお伝えなさい。」


 私がその言葉を変えるつもりがないことは兄もよくわかったのだろう。

 家臣にひとつ頷いてみせた。

 伝言を携え家臣が部屋を出て行ってしばらくすると、外がさっきとは比べ物にならないほど騒がしくなる。

 流石に外に出ないわけにいかなくなった私と兄は騒ぎの方へと足早に進む。

 その行く手から駆けてきた家臣が、叫ぶように言った。


「火が放たれました!!」


 城の周りに堆く積まれた稲穂に、火矢が打ち込まれたらしい。

 辺りに焦げ臭い匂いと煙が上がっているのが見えた。

 その下では家臣が火を消そうと躍起になっているのが見える。


天皇スメラミコトの炎は我々では消せないだろう。

 無駄な怪我人は出すべきではない。

 炎から離れるように伝えなさい。」


 兄が放火を伝えた家臣に静かにそう伝える。


「ですがっ!!」


「そして逃げるように言いなさい。」


 淡々とした兄の言葉に、家臣は口を開けたり閉じたりし、言葉にならないのか顔を手で覆った。


「民は我々と共に還る必要はありませんから。

 佐保は無駄な血が流れることを望みません。

 そうですね、兄上。」


 言葉を補えば、兄も深く一つ頷く。


「そんなっ!!」


 しかしやはり納得がいかないようだ。

 何とか逃がさねばと考え込んでいると急に腹に痛みが走り、押さえる。


「おい、」

「姫!」


「大丈夫。」


 私は深呼吸をしてから笑ってみせる。


「さぁ早く!」


 そう急かせば、家臣は駆け出した。

 姿が消えてから、兄が肩を支える。


「大丈夫か。」


 その問いかけに苦笑を返す。

 ヒメは通常、民のお産に立ち会う。

 私も幼い頃から母に連れられて何度もその現場を見てきた。

 そのヒメとしてではなく、母としての勘が訴える。


「・・・始まったようです。」


 火の手が回り始めたようだ。

 この子は炎の中で生まれることとなるだろう。


(強く優しい子におなり。)


 腹を撫でながら、部屋へと歩き出した。










 炎の音を聞きながら、痛みを堪える。

 何度もその現場に立ち会ってきたから、大抵のことはわかっているつもりだったが、予想以上であった。


 古くから仕えてくれている老婆が傍で痛むたびに腰を摩ってくれる。

 彼女も何度もお産に立ち会っており、兄も私も取り上げてくれた恩人である。


「姫、もう少しでございます。」


 昔母が言っていた通りの呼吸を繰り返す。

 呼吸に集中すると、痛みが和らぐと言っていた。

 ヒメは民の為に祈祷をするが、ヒメ自身のお産では祈祷をする者はない。

 ヒメは己の力で、耐え、子を産まねばならないのだ。

 それは正に、己との戦い。


ヒメ、今です!」


 老婆の指示に従い、息む。

 必死だ。

 全身全霊で、子をこの世に送り出す。

 何が起きたのか自分には分からないが、辺りに泣き声が響いて、終わりを告げた。

 呆然とする私の視界で、老婆が子を湯で洗い、産着に包んで運んできてくれた。


「元気な男の子にございます。

 ヒメのお生まれになった頃によく似ておられますよ。」


 笑顔で皺くちゃの老婆の顔。

 鳴き声を張り上げる真っ赤な皺くちゃな赤子の顔。

 誰よりも愛おしいその子を、受け取る。


 涙が溢れた。


 天皇の第一皇太子となり得る男の子だという確信があった。

 この子が罪人の子と後ろ指さされる未来を憂いた。

 それでも産もうと決意したのは、天皇スメラミコトを心から愛していたからだ。

 生き物として最大の使命である、次の世代を産むという事。

 未来を築いて行く私達の子を、この世にどうしても産み出したかった。


 この様な愚かなことを、2度と繰り返さない未来を作るために。


 それはこの子に重荷を背負わせる、自分勝手な思いに過ぎない。

 それは充分すぎるほど分かっている。


 それでも私はそれを望み、この子を産んだ。


 火のついたような泣き声に、この子は天皇スメラミコトの火の加護を受けたに違いないと、微笑む。


 母を天へと還すであろう炎は、子を強く守るに違いない。




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