桜が表すもの
杉本君は、前というより街並みの間から見える空を見上げながら、ぽつりと言った。
「
いつまでも続くとは限りませんよ。
ひょっこり治るかもしれません。」
彼はそれからちらりと私を振り返った。
「咲かない桜もないし、散らない桜もない。
桜は命ある限り、定めに従い、春になると花開く。」
歩き出した学ランを、私も追いかける。
「桜って、綺麗ですよね。
あまりに美しすぎて、人はそこに死を関連付けるようになってしまった。」
「桜の樹の下には
私は勢いよくそう言った。
「
まるで国語の先生のように、杉本君は穏やかに返した。
「でもそれだけではありません。
西行の歌は有名ですね。」
「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ
でしょ。」
「その通り。
世の中は数なきものか 春花の散りの
と
世の中の
この人は結局10月に亡くなりましたけれど。
・・・でもなにせ、散花は死を匂わせる。」
杉本君はくすりと笑う。
「実は
とはいえ、季節は春夏秋冬4つなんですから、春に亡くなる人もたくさんいるんでしょう。
でもそれをドラマティックに語りたいのが、人間というもの。」
彼の言うことはいつもなんだかおもしろい。
苦手な古典の話であっても、ふんふん、といつしか引き込まれてしまっている。
「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは
も有名です。
草深き野の桜に心あるならば 今年はどうか墨色に咲け。
源氏物語の『薄雲』の章で、藤壺を亡くした源氏が『今年ばかりは』と呟くことでも知られています。
当時としてはかなり知られていた歌なのでしょう。」
「ふぅん。
流行語的な?」
「違うような気がしますが・・・まぁうるさいことは言いません。」
杉本君は呆れたように笑った。
彼は本当にいつも笑顔だと思う。
だから、桜の下で泣いているのを見てどきりとしてしまったのだろうか。
「桜は美しくも、無情な世を表します。
そして命をも。
それはこの世の節理であり、生きとし生けるものの定め。
吹く風も散るも惜しむも年ふれど ことわり知らぬ花のうへかな
と詠んだのは小倉百人一首の選者として有名な
幾年も風も散花も惜しむのは 「理」知らぬ私であるよ、と言ったところでしょうか。」
ふと彼はまじめな顔をして私をじっと見つめた。
春の温かな日差しを受けて、瞳が茶色味がかって見える。
どこか光って見えるのは、涙の名残だろうか。
その瞳にどこか見覚えがあるような気がした。
胸をつかまれるような、そんな少しの苦しさがある。
「それでも花を、世を、命を思ってしまうのが人。
きっと
静かに語られた言葉は、狭穂姫の夢を見ているせいか、ひどく重く感じた。
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