禁忌
「顔色が悪いですね、大丈夫ですか?」
杉本君に問いかけられ、私は笑顔を返す。
それが無理な作り笑顔であることを見抜かれる自覚があるほど、下手な笑顔だった。
「兄貴先生、面白い人ですよね。」
咲かない桜並木の向こうに消える背中を見つめながら、杉本君は言う。
「きっと、根は良い人ではあったんだろう。」
独り言のように呟かれた言葉に、私は彼を見る。
それに気づいた彼は、穏やかに微笑む。
私とは違った、自然な笑顔だ。
「心配いりませんよ。」
私はぎこちなくひとつ頷いた。
「桜という言葉の由来を知っていますか?」
私は今度は首を横に振る。
「いくつか説があるんです。
以前お話ししたように古事記に登場する
‘咲く’に複数を意味する‘ら’をつけて‘さくら’と呼んだという説。
そして、以前桜信仰の話をちらりとしましたね。」
「その年の稲の実りを桜で占って、だから聖樹として信仰されたっていう?」
「そうです。
その関係での説が1つ。
さくらの‘さ’は穀物神を意味し、‘くら’は神の居所である
春風が杉本くんの髪を煽る。
そして私の髪も煽る。
一瞬、桜の花弁がその風に舞っているように見えた。
「そしてそれはこの佐保の由来にも共通します。」
思わぬ方向に話が向かい、私は目を見開く。
(そうだ、私はそれを、知っていた・・・。)
「古代のこの地域の稲の豊かさゆえか、土地の名前ゆえ稲が豊かなのかわかりませんが、佐保という名の由来は穀物の神を表す‘さ’、稲穂の‘ほ’だそうですよ。」
それは私が夢で知った内容と一致する。
そしてそれはきっと、狭穂姫の名前の由来でもあるに違いない。
「両者のつながりは深かったことでしょう。」
私は乾いた口を開いた。
「杉本君・・・」
緊張のせいだろう。
喉に何かが貼りついたようだ。
「どうして佐保のソメイヨシノは咲かないの?」
出たのは掠れた声だった。
杉本君は優しく目を細めた。
「昔って一夫多妻制ですよね。
でも同母相姦は禁忌とされていました。」
その言葉にドキリとする。
「実はいくつか残っているんですよ、そんな禁忌を犯したスキャンダルが。
例えば、大津皇子と大来皇女。
大海人皇子、つまり天武天皇と言えば、先輩でもご存知でしょう?」
私はまたぎこちなく頷く。
中大兄皇子と中臣鎌足と大化の改新した人だ。
「その人の子どもなんです。
両親ともに同じ人から生まれた、大津皇子と大来皇女。
でも二人は愛し合ってしまった。
大津皇子は有力な天皇候補だったんですが、謀反の罪故に・・・自害。」
その言葉の重さに、私は頷くことさえ出来ない。
「24歳の時でした。
大津皇子は死を悟り、姉である大来皇女に会いに行くのです。
この時の歌は万葉集にも載っているんですよ。
これ、好きな歌なんです。
わが背子を大和に遣るとさ夜深けて
訳してみると、
弟が大和へ帰る
見送りに 佇んでいたら 夜は更けて
いつしか私は
夜明けの露に
立ち濡れていた
みたいな感じなんです。
どうしても三十一文字に収まらないな。
想いの深さが胸に迫る素晴らしい作品だと僕は思うんです。」
彼の言う通りだ。
あまりに深く重いその気持ち。
まるで胸に突き刺さる気がした。
「それから、
二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
2人で行けども越え難い秋の山 どうやって君1人で越えるの
ってなとこですね。
大来皇女は大津の皇子の死を悟っていたのでしょう。
そして大津は、彼の前に立ちふさがる大きな山を越えられなかった。
大津の皇子は葛城市の二上山の雄岳山頂に葬られたという説があります。」
二上山と言えばフタコブラクダのような緩やかな二つの山が有名だ。
確か近畿百名山にも選ばれているはずである。
「他に有名と言えば、木梨軽皇子と軽大娘皇女でしょう。
軽大娘皇女はなにせ美女で、衣を通してその美しさが現れるようだということで衣通姫と呼ばれたほどです。
この木梨軽皇子も天皇有力候補だったのですが、この恋の発覚が発端となり、支持を失い、結局謀反を起こしますが失敗。
流刑の末、やはり、自害。」
その言葉が重ねて胸に突き刺さる。
「つまり、禁忌を犯したところで、幸せになどなれないのですよ。
そこに、どれほど想いがあろうとも。」
彼の言葉は、事実だ。
狭穂姫と狭穂彦だって、佐保に殉じたのだから。
「・・・残されたものもやるせない。」
それが杉本君の、答えだった。
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