4月9日

「終幕1」


天皇スメラミコトがおいでだそうだ。」


 部屋の戸口で、兄上はそう言って小さく笑った。


「諦めの悪い方だ。」


 思わず私も笑った。

 赤子さえ突き放した私に、一体まだ何を求めているというのだろう。

 しかも外は雪が舞っている。


の上に上がることを許可する。」


 兄上はそう言い残し、去って行った。

 私は頭からかぶっていた着物を床に落とし、立ちあがった。

 天皇の前に出るのは、この姿で良いだろう。

 醜く短くなった髪で。


 廊下を歩いていけば、城に残った数少ない家臣達が疲れているのが分かる。

 もうずいぶん長い間城にこもったままだ。

 食料もずいぶん減って、あと10日持てばいい方だろう。

 きっと天皇もそれに気づいている。

 だからこそ、やってきたのだ。


「姫!」


 櫓の下で老爺が驚いたように声を上げる。


「登られるのですか?危険です!」


 私は首を振る。


「もう、終わりにしますから。」


 呟きのような小さい声だったが、彼にはそれで充分通じたらしい。

 梯子を登っていく。

 数名の家臣が寄ってきて下でそわそわと不安がっているのが、なんだか少しおかしい。

 もう私達の命は尽きたも同然なのに、それでも案じてくれる彼等の優しさが、少しおかしくて、心が温かくなる。

 梯子を登りきると、そこには2人の老爺がいた。

 彼らは慌てたようにひれ伏すので、慌てて身体を起こさせる。

 身体が冷たい。

 雪が降っているのだから、当たり前かもしれない。


「同じ櫓に登る者です、ただそれだけです。」


 稲城の向こうを見れば、その存在はすぐに分かった。

 やはり彼の生命力は並ではない。

 目を開かずとも、そこにいるのが分かるほどだ。

 彼は私の姿を認めると微笑んだ。

 しかしその笑顔は、あの昔のような勝気な笑顔ではない。

 どこか疲れた、悲しみに暮れた顔。

 気持ち痩せたのかもしれない。


「今日は赤子の父として、責務を果たさんために来た。」


 吐き出す息が白い。

 一体どういうことだろうかと首をかしげる。


「全ての子どもの名は必ず母がつけるものだ。

 この子の名を、何とつければよい?」


 赤子が生まれる前から、そのことがよぎらぬことはなかった。

 顔を見て、この子の名前は決まっていた。

 しかしそれを口に出すことは叶わなかった。

 この子には、私が名をつける資格はないと思っていたから。


「天皇が代わりにお付けください。」


 私の吐く息も白い。


「それはできぬ。

 母にしかできぬことだ。

 私はこの子を何と呼べばいいのか、皆目見当がつかない。」


 縋るような目が、私を見上げる。

 私はようやく彼がここに来た理由が分かった。


 彼は決めたのだ。


 これが最後なのだ。

 天皇スメラミコトとしての面目保つためにも、反逆者を生かしておくためにも、最後の逢瀬なのだ。


 私は息を吸い込んだ。


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