桜の意志

「咲かない・・・それを樹が自らの意思で選んでいたとしたら?」


 こんな風に、時折唐突に不思議なことを言うのが彼女の癖だ。


「なんかまた変なこと言い始めた。

 何、どういうこと?」


「だって、もし環境のせいなら、咲かないんじゃなくて咲けないっていうことでしょ?」


「・・・確かにそうだ。」


 私がうなずくと、鈴は残りのオムライスを食べ始めたので、私もお茶を手に取る。


「つまりだ、説は2つ。

 咲けない説――桜は咲きたい。環境のせいで咲けないだけ。

 咲かない説――桜は咲きたくない。今年は咲かないと心に決めている。」


「咲きたくないのを咲けって言うのは酷いね。

 人権侵害だ。」


「桜は木だから・・・樹権侵害?」


 2人で小さく笑う。


「おい、笑い事じゃないだろ。」


 騒がしい食堂。

 テーブルに誰かが近づいてくるのに、私たちは気付かなかったようだ。

 鈴は反り返るようにして背後に立つ友を見る。


「あ、早紀。」


「隣いいかな?」


「どうぞどうぞ。」


 私と早紀は文芸部で一緒。

 確か鈴とはESSで一緒だった。

 ちなみに彼女のプレートにはカレーライスが乗っている。


「桜が咲かないなんて、おかしい。

 ソメイヨシノは基本的に全部クローンだからさ、あわせて一斉に咲くはずなんだ。」


「あ、話聞いてたんだ。

 っていうか、気付いていたの?」


 鈴が何のことだというように首をかしげる。


「咲いていないのがソメイヨシノだけだっていう話。」


「ん。」


 カレーを頬張って、早紀はうなずく。

 文芸部でミステリーを書く彼女は、観察力に優れている。


「どういうことどういうこと?」


 要領を得ないのか鈴が私たちの顔を代わる代わる見る。


「桜の種類だよ。

 昨日部長と手分けして佐保地域の桜を確認して回ったんだけど、咲いていないのはソメイヨシノのみ。

 他のオオシマザクラやヤマザクラ、シダレ系はちゃんと咲いているし、ヤエザクラ系は開花が少し後ろにずれるんだけど、蕾は膨らんできている。」


 実に興味深い結果だ。

 奈良は桜の名所が多い。

 今回の調査範囲で大きなところを上げると、西からまず法華寺のシダレザクラ。

 満開だった。

 海龍王寺の枝垂れ桜も同じく満開。

 佐保川流域も、ソメイヨシノ以外は開花している。

 ヤエザクラの木が植えてある場所も多く、その辺りはつぼみが膨らんでいる事を確認した。

 興福院のヤマザクラも今や盛りと咲き誇ってる。

 鴻池陸上競技場も桜が本当に多いが、こちらもソメイヨシノ以外はシダレやヤマザクラを中心に満開。

 氷室神社の枝垂れ桜も有名で、こちらも満開。

 古木だけに圧巻だった。


「え、全部見てきたの?」


「全部じゃないけど、ある程度は。」


「沙穂ちゃん大変だったんじゃない?」


「・・・うん。」


 親しい友達は私が桜を見られないことを知っている。

 鈴が心配してくれる通り、私はもちろん涙が止まらなかった。

 幸い花粉症の季節なのでマスクで顔を隠しながら調査をしてきたが、生物室に戻ってきたときにはげっそりだった。

 やはりこのまま咲かなくてもいいのでは、という考えが頭をよぎってしまったくらいだ。


「じゃあさ、ソメイヨシノの集団ボイコットとか?」


 鈴がボケているが、そのあたりは無視して早紀の方に身を乗り出す。


「ね、理由心当たりない?

 桜を咲かせることができたら、生物部の部費の削減を免れる可能性があるんだよ。」


 んーと早紀は唸りながら首をかしげ、勿体振るかのように水を飲んでから口を開いた。


「わりぃ。

 私文系だから。」


 その返事に思わずカクンと首を垂れる。

 あれだけ理系のように語って、その上その一言だけのために、水を飲んだりしないでほしい。

 期待したじゃないか。


「過去にはなかったのか。」


「ネットで叩いたら、春が寒い時にほとんど咲いてないっていうのはあったけど、この暖かさで咲かないことはない。

 それに一輪も咲いていないこともない。」


「本当に一輪も咲いていないのか?」


「確認した限りは咲いてない。

 勤務の長い先生や、佐保高校出身の先生に聞いても、ソメイヨシノだけ咲かなかったことなんてないって言っているし。」


「それじゃぁまあ、諦めるんだな。」


 ははっ、と早紀が意地悪く笑う。


「他人事だと思って。」


「ま、実際他人事だからな。」


 ニヤリと笑う早紀の柔らかい頬をつねってやる。


「いひゃっ!」


 今度は早紀が私の頬をつねろうと腕を伸ばすから、私はそれを捕まえてじゃれあいに発展する。


「はいはいやめな沙穂、早紀。

 こぼれる。」


 食べ終わった鈴に止められ、大人しく座ってお茶を飲む。


「でも、私だって他人事とは思ってはいないよ。

 桜が咲かないのはあんまりだ。」


「ってことで、今年の文芸誌4月号のテーマ小説のお題は、桜にしまーす!」


 突然聞こえた大きな声に振り返る。


「あ、遥。」


 類は友を呼ぶ。

 そんな言葉を思い出す瞬間だ。

 私たちはいつも約束もしていないのにいつの間にか集まる。

 理由など、やはり「同類だから」としか答えることができない。

 ちなみに遥は文芸部の部長だ。

 彼女は私たちの中でも一番兼部数が多い。

 その数を私は、把握しきれていない。


「いいんじゃない?

 ほら、花は満開の時よりもその前後の方が美しいって言ってたのは・・・誰だっけ?」


 早紀の顔を見れば、彼女はため息をついて言った。


「吉田兼好だよ。徒然草。

『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。

 雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。

 咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。』」


 すらすらと暗唱してくれる彼女は、我らが歩く辞書。


「一輪も咲いてないよ。」


「それも風情だよ!」


 鈴の突っ込みに遥が反論する。

 このままだとまたじゃれあいに発展しかねない。


「わかった、わかった。

 で、締め切りはいつ?」


「えっと、確か4月8日。」


 遥の言葉に、私と早紀は固まる。


「遥、もう一度。」


「えっと、確か 4月8日・・・アハ。」


「アハ、じゃねぇよ!」


 一瞬で遥の背後に移動し、容赦なくスーパーホールドを掛け首を絞め始める早紀。

 その身のこなしは、とてもじゃないが文化部とは思えない。


「わっ!ストップストップ!」


「あと5日しかねぇじゃねぇか!」


「10日の入学式を考えてのギリギリの締切です。

 早紀の文章力ならそのくらい楽勝楽勝・・・ちょっと早紀!

 ギブです!

 ギブギブ!

 本当に!」


「5日間か・・・。」


 思わず眉間に手を当ててため息をつく。


「入学式に間に合わせることなんて、できるのかな。

 原稿も、桜も・・・。」


 私は騒いでいる3人を置いて席を立つ。

 食器を返して食堂を出た。

 まだ外は少し肌寒い。

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