新たな調査仲間


 急いで家に帰り、食事を終え、部屋を閉め切って誰も来ないことを確認して、再び手鏡を開いた。

 鏡の中には、ほっとした顔の狭穂姫がいる。


「捨てられなくて良かった。」


 捨ててしまえばよかった。

 が、お気に入りの鏡。

 捨てるに忍びない。


「大丈夫、全て終われば私もこの鏡から出ていきます。」


 是非そうしていただきたいが、全て終わる、とはどういうことなのだろう。


「それにしても、貴方は本当に素直ね。」


 鏡の中で、私がくすくすと笑う。

 気持ちが悪い。

 私はこんなお上品に笑わない。

 とてもじゃないが、笑えない。


「心を読まないでもらえますか。」


「ごめんなさい。

 読んでいるつもりはないのです。

 私は貴女に憑いてしまった、それは貴女と一心同体であるということ。

 加えて力は弱くともヒメという特性上、読むつもりはなくても、分かってしまうのです。」


 なんて厄介なことだろう。

 今の今までずっと、私が知らないだけで彼女は私の全てをお見通しだったということか。

 私のプライバシーは、どこに行ったというのか。


「ごめんなさい。

 でもこれでも私、もう1700年も前に死んでいるから、そんなに気に病まないで。」


「全く慰めになりませんよ、それ。

 そもそもなんで・・・」


 聞きたいことが多すぎて、私は口ごもった。

 だが私の全てを理解してしまう目の前の狭穂姫は口を開いた。


「私は死んで1700年程になりますが、佐保にずっとおりました。

 お恥ずかしいことに、死してなお、この世にとどまってしまったのです。」


 その理由を問うのはあまりに野暮だろう。

 きっと成仏できないほどの理由があったのだ。


(なんて非科学的な・・・。)


 私は米神に拳を当てた。

 頭が痛い。


「貴女が夢で見ているのは、私の記憶です。

 強く記憶に残ったことを、夢で見てしまっているようです。

 私のことはきっと全て夢で知ることが出来るでしょう。

 ですが、不快なものを見せてしまって、申し訳ありません。」


 鏡の中の私が、悲し気に視線を落とした。

 プライバシーが無くなってしまったのは私だけではないのだ。

 彼女もまた、見られたいはずもない記憶を、私に見られてしまっている。

 それがまた、私のような平凡な人生であったらまだしも、夫である天皇すめらみことを裏切り、兄の愛を受けた反逆者の記憶など。

 それが互いの意図したことでないにせよ、彼女は彼女で嫌な思いをしているに違いない。


「私も謝ります。

 故意にではありませんが、人には見られたくはないであろう貴女の記憶を見てしまっていますから。

 ・・・まぁお互い様ということにしてください。」


 そういえば、鏡の中で私は泣きそうな顔で笑った。

 健気な人だ、と少しだけ思う。

 これが私の顔でなければ、素直に思えたのだろうけれど。


「ありがとうございます。

 本当に。」


 だがきっと、お互いの精神衛生上、一心同体でいることは良くない。


「私から離れる方法ってないんですか?」


「申し訳ありません、私にもその方法は分からないのです。」


「・・・除霊とか、厄落としとか、なんかそういうのしてもらいましょうか?」


 普段であればそんな非科学的なことを言うはずもない私だが、この際藁にもすがる思いだ。


「古来のようなヒメもおらぬこの現代で、そのような強い力を宿した人がいれば、の話ですが。

 1700年も成仏できない私は、自分でいうのもなんですが強い霊のようで、なかなか・・・。」


 彼女の言葉からは、過去に彼女を成仏させようとした人達の苦労がうかがわれた。

 少しの沈黙を破ったのは、狭穂姫の、そうだ、という明るく取り繕われた声だった。


「桜を咲かせるお手伝いができるかもしれません。」


 予想外の申出に、私は目を見開く。


「どういうことですか?」


「佐保の桜を咲かせる仕事は、誰の役目か知っていますか?」


 知るはずがない。

 そもそも桜なんて、環境条件がそろえば咲くものだ。

 そうだ、そうに違いない。


「サホヒメです。」


 私は首をかしげた。

 狭穂姫とは、提案している彼女の名前のはずだ。


「違います。

 貴方も図書館で文字でも見せてもらったでしょう。

 私は狭穂姫。

 今私が言っているのは、佐保の地の文字を名前にもつ、佐保姫のことです。」


 ややこしい。

 同じ音の姫が2人もいるのか。


「私は人ですが、佐保姫は人ではありません。

 佐保山に住む、春の女神です。」


 杉本君が言っていたことを思い出す。

 奈良の都の東にある佐保山は、昔から春が訪れる山として愛されていた。

 竜田川の竜田姫は秋の姫、佐保山の佐保姫は春の姫。


「そうです、その佐保姫です。

 桜を咲かせるのは彼女の仕事。

 咲かせないのは、きっと何かあるのでしょう。

 彼女に聞けば何かが分かるはずです。」


「そんな、春の女神と話すことなんて、できるんですか?」


 いや、できたとしても恐怖体験はもうごめんだ。


「でも、それで部費が確保されるのでしょう?

 貴女の好きな、野外調査フィールドワークですよ。」


 そうだこの人は、全てを知っているのだった。

 嫌になる。


「ただ、咲いていない花はソメイヨシノだけでしたね。」


「はい。」


 狭穂姫は少し考えてから口を開いた。


「ソメイヨシノは人工的に作られた花だというのは、貴女が本で読んだ通りです。

 長いことこうしてこの世におりますが、見かけるようになったのはここ2、300年のこと。

 私もこの佐保を治めていた姫の端くれ。

 木々と心を通わせることが出来ます。

 ソメイヨシノは他の桜とは感じが全く違うんです。

 個という認識がほとんどないようです。

 群として意思をもつ、と言うのがいいでしょうか。」


「桜の意志」について食堂で鈴達と話したが、まさか本当にそんな話が関係しているなんて予想外だった。


「そうですね、本当にあの話はいい線をいっていると思います。

 ソメイヨシノはどこまでも人の為に咲く花。

 人に尽くそうとする木です。

 不自然に与えられた、あまりに純粋で哀れな命。」


 鏡の中の狭穂姫の言葉は、どこか耳に痛い。


「貴女に憑いてしまってからは自由に動くことが出来ないので、ソメイヨシノが今何を考え、どういう状況なのかはわかりません。

 ですがきっと、咲かない理由があるはずなのです。」


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