「匕首の輝き」


「おっと。」


「まぁ。」


 庭を眺めている私の膝の上に、横になろうとされた天皇の頭が乗ってしまい、互いに驚く。

 そして2人で顔を見合わせて笑ってしまった。


「なかなかの寝心地。」


「まぁひどい。」


「そう怒るな、誉めているのだから。

 あとで変わってやろう。」


「そんな、申し訳ないです。」


「そなたなら構わん。」


 季節は冬に移り変わった。

 庭の草木はもう葉を落とし、寂し気だ。

 だが今日は暖かく、日当たりの良い場所で過ごせば春のようである。


 天皇スメラミコトが珍しく身重な私を連れて出かけた先は来目クメ

 久米御縣神社クメノミアガタジンジャ等が立つこの地域は、古より天皇所有の領土である。

 いずれここに屯倉ミヤケを作るのだという。

 どのようなものかと問えば、精力的に農業に力を入れる地域なのだとおっしゃった。

 民が皆飢えることない国を作るためにも必要なのだそうだ。

 民の心を見つめ、この国の先を見据えて政務に当たられる天皇は、きっとこの国を明るい方へと導かれることだろう。


(素晴らしいお方だ、本当に。)


 誰よりも国に尽くす天皇スメラミコトではあるが、あの日母に誓った通り、私を誰よりも愛してくださった。

 なんと恵まれたことだろう。


 だが兄にはこのような心休まるときなどないのだ。

 弱き兄は、孤独。

 私たちは、離れてはならなかった。

 未熟者の私たちは、2人で1人。

 決して離れてはならなかった。

 佐保の土地も消え、佐保一族も消えてしまう。

 それが定めというのなら、それに従うしかないが、それに従えるほど、兄は強くなかった。

 もし同じ状況に置かれたら、私もやはりそれに従えるほど強くはなく、恐怖によって武力を手にしたかもしれない。

 そんな私の心はいざ知らず、天皇は静かに寝息を立て始めた。




 私の手に、今、匕首アイクチがあるとも知らずに。




 優しい髪が、風に揺れる。

 しなやかな緑の黒髪は、彼の心を現しているようだと思う。

 青帝かと思った彼は、4年を経て更に貫禄もつき、力強くなった。

 国も栄え、民も喜んでいる。

 素晴らしい王だ。

 優しい人。

 美しい人。

 強い人。

 そして、愛おしい人。


(このお方は、私の全てだ。)


 匕首アイクチを鞘から抜き、振り上げる。

 陽の光を浴びて白く輝く首筋。

 それをも勝るほど、輝く刃。

 この刃を振りおろせるのならば、私はこんな1年も苦しまなかった。

 天皇がこれほどまでに私を愛してくださらなければ、私は彼を、殺せただろう。

 兄も、苦しまなかったに違いない。


(天皇が、私を愛したから・・・。)


 手が震える。

 取り落としそうになって、胸元に引き寄せた。

 ここで私が思いきらねば、ならないのだ。

 さもなければ、この天皇が作られた素晴らしい国に多くの涙が、血が流れるに違いない。

 何よりも天皇に、と気付いていただかなければならない。

 私自身も反逆者となる事こそが、せめてもの兄への償いとなるのだから。


 もう一度、刀を振り上げる。

 眩しい光が、私の顔に反射する。

 この1年の間に錆びてしまえばよいのにと、何度思ったことか。

 しかし匕首アイクチはちっとも錆びることなどなく、こうして冬の穏やかな日差しを受け、眩しいばかりに輝いている。

 何と憎たらしい。

 そう思えば、庭の枯木立がざわめいた。

 私の感情に、慄いているのだ。

 もう一度、胸元に匕首アイクチを引き寄せる。


(最後だ、これで最後だ。)


 穏やかな寝顔を瞼に焼き付けようと、見つめる。

 いつまででも見ていたい美しいかんばせ

 死ぬまで傍にいたい、愛おしい人。


 だが時はそれを許さない。

 私は罪人にならねばならないのだ。

 天皇の為に。

 兄の為に。


 私は再度振り上げる。

 そしてその匕首アイクチの残忍なほどの輝きが、帝の顔を照らした。

 庭の枯木立がざわめく。

 風も、私を取り巻く。

 泣くな姫よと、慰めてくれる。

 悔んではならぬ姫よ、それが定めだと、鳥が囀る。

 たとえ定めとも、それが辛い。

 受け入れがたい。

 悲しい。

 恐ろしい。

 やはり私は未熟者なのだ。

 いつまでも、いつまでも。


 一秒でも長く見つめていたい天皇の顔が、涙で霞んだ。

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