水なき空に波ぞ立ちける

吉晴

序 不思議な夢

 周囲に煙が立ち上ぼり、焼け焦げた匂いが服に染み付く。

 あちこちで赤くちろちろと炎が躍る。

 弓を防ぐためと言って、稲穂や籾で城の周囲を固めたのは仇となった。

 兄上が稲城イナギと名付けられたこの城は、今やただの火を燃やす材料にしかなっていない。

 それも分かり切ったことだった。


(これで良いのだ)


 強い風にあおられて、稲城はみるみる焼け落ちてゆく。

 その焼け落ちた上を吹く風は、熱い熱気をはらみ、私の頬にへばりつくように吹き付ける。

 バチバチと時にはぜ、時に大きく燃え上がる炎。

 山を焼き尽くす力を秘める、恐ろしい炎。

 だがその炎もまた、神から与えられた美しき力だ。


 しかし私は負けてはならない。

 最期まで強く、あらねばならない。

 炎に負けず大きな産声を上げた、腕の中の子のためにも。

 私は最期まで戦わねばならない。

 強き母であったと、人から聞き伝えられるように。

 愚かな人の子であったと、この子が後ろ指差されないために。


「ご覧なさい、誉津別命ホムツワケノミコト

 その小さな御目をしっかり開いて、この世界をご覧なさい。

 お生まれになったこの佐保を、今消え行くこの佐保を、御目に焼き付けてください。

 そして、争うことしかできなかった愚かな私達の姿を、御目に焼き付けてください」


 まだ朧気にしか見えていないであろう目を必死に開けて、辺りを見回す。

 その姿が私の心を満たした。

 白い頬が陽の光を受けて、ここだけ柔らかい乳のにおいが立ち込めるような気がした。


(賢い子だ、もう母の言うことがわかるのか)


 この子の大人になっていく姿を、傍で見ていたかった。

 百日もすれば首が据わるだろう。

 二百日もすれば寝返りをするだろう。

 三百日もすれば歯も生えるだろう。

 そしてきっとそのころには、立ち上がる。

 1年などすぐに過ぎる。

 あっという間に、大きくなるはずだ。

 きつく腕の中の子を抱きしめる。


(大丈夫、この子は強い子、大丈夫、大丈夫)


 炎の中で生まれし子。

 炎に負けない強い子。

 可愛い可愛い我が子。

 ああ、愛しい。

 ああ、愛惜しい。


「大きくおなり、誰よりも優しく、強い子におなり」


 この子だけが、希望なのだ。

 次の世を担う、我が子こそが、頼みの綱。


「争いなど二度と起こらぬ、美しい国をどうか」


 すると腕の中の子が綺麗に笑った。

 まるで、わかりましたと言うかのように。

 あまりに鮮やかな笑顔だったから、私も思いがけず忘れていた笑顔を取り戻した。

 零れそうになる涙をこらえ、笑う。

 私はまだ強くなれるはずだと、この子がいるから頑張れるはずだと、そう自分に言い聞かせて。


「これは明日には消える母の温もりよ、失ったものに縋りついてはなりません。

 あなたに母はおりません。

 あなたは強い子。

 たった独りで生きていける強い子に、母は……罪深き母はいりません」


 何度も何度も、そう言い聞かせる。

 どうか本当になるようにと、息続く限り唱えていたかった。

 炎はまるで攻めあぐねているかのように、ちろちろと踊るばかりだった。









 鳥の鳴く声がする。

 庭だろうか、羽ばたいて飛んで行った。

 風が草を揺らす音がする。


 私は目を開いた。


「・・・夢?」


 目元をぬぐうと手が冷たい。

 水がついた。

 ずいぶんリアルな夢だった。


 身体を起こす。

 まだぱらぱらと涙がこぼれた。

 ずずっと鼻をすする。

 それでもなかなかおさまらず、私はベットから出て鼻をかんだ。


(それにしても、あの赤ちゃん、かわいかったな)


 ぼんやりとその夢を文芸部の部誌4月号に投稿出来ないかと考える。


(もう少し続いていたら良かったかも。

 夢ってわかっていたらもうちょっと寝ていたのに。

 変わった服を着ていたな、奈良時代、いや、もっと前?)


 私の通う佐保高校の文芸部は毎月部誌を発行する。

 現部長はなにせマイペースで、締め切りが1週間後だと通達することもしばしば。

 だからこそ事前の準備が大切なのだ。

 特に4月号は新入生の目に初めて触れる。

 つまり、新入部員確保のための重要な一手になるのだ。

 部活動が盛んで部活参加人数は150パーセントを超えるおかげで、部活動の運営費は取り合いが必至。

 部員数の確保、つまり部費確保は、我が部においても死活問題である。


(でも書くには知識が足りない)


 普段はSFをメインに書いているのだ。

 歴史ものを書くためには情報収集が欠かせない。

 3月も末の今から、急に新ジャンルに手を出すのは至難の業か。

 4月号に乗せる予定の作品は、春休みが始まるころから気合を入れて書き始め、推敲を重ねているものが既にある。

 残念だが諦めるしかないだろうか。

 しかしいいネタになりそうだし、この際真面目に勉強してみようか、とも思う。

 当時のことを学ぶなら、古事記や日本書紀を避けては通れないだろう。

 となれば自ずと古典の知識も必要になってくるのが、理系の私には頭が痛い。

 古典が授業にあるなんて、しかも受験に必要だなんて、ナンセンスだと常々思っているくらいなのだ。

 今みたいな便利な世の中育ちの我々では、和歌を詠んでいたような時代を理解することなど、できるはずがない。

 どれだけ古典文学を読み込んでも同じこと。

 可憐な花の美しさも、和歌の嗜みも、文字の掠れも、私たちは風情を感じる受容体レセプターが退化してしまっているのだから、無駄なのだ。

 古典を学ぶ必要なんて、今やもうないに違いない。

 特に理系を選んだ私にとっては、足手纏いとなる科目に過ぎないし、同じく思っている受験生も多いことだろう。


 過去の産物に縋ったところで、何になる。


 それでは科学は進歩しない。車は走らない。人工衛星も飛ばない。LEDだって点かない。

 こう考えてしまう私たちは、もう露のはかなさも、散る桜の切なさも、大して理解できるはずがないのだ。


(進化の代償、か)


 仕方がない。

 とりあえず、忘れてしまう前に書きとめよう。

 開いたままの数学の参考書やノートを腕で押して勉強机に空きスペースを作ろうとするも、どうやら机からなだれ落ちてしまいそうなので諦める。

 ネタを書き溜めているノートを数学の参考書の上に広げ、バランスが悪い中で書き始めた。


(不思議な夢。

 前世だったりして)


 おかしくて笑ってしまう。


 人は死ぬと21グラムだけ軽くなると言った医者がいたそうだ。

 彼はそれが魂の重さだと結論付けたらしいが、それも100年前の話。

 測定誤差も大いにあり得るだろうし、そもそもデータの数が一桁しかないようでは、サンプル数が少なすぎるだろう。

 信憑性に欠けることは重々承知だが、話としては面白い。

 魂の存在が証明される日がいつか来るのかは知らないが、それこそきっと、何度も生まれ変わった先の話だろう。


(もし、生まれ変わるなんてことがありえるならの話だけれど)


 ノートの上をシャーペンが走る音が心地よい。


 今日がまた、始まった。

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