咲かせよ


「実は生物部に一つ頼みがあるんや。」


「どんな内容ですか?」


 薄暗い廊下を抜け、中庭を通って西門の方に出た。

 当校はなぜか、上靴の代わりに学年ごとに色の違うスリッパを使う。

 その校舎内用の赤いスリッパのままだが、教頭先生はおおらかな方だからそんなことまでいちいち気にはしないだろう。


「染井、お前、学校にきて、何か気付いたことないんか?」


 西門から続く坂を上り来たところに3人並んで立つと、教頭先生はそう私に問いかけた。


 佐保高校は奈良盆地の端の、小高い丘の上にあり、校内も平坦な訳ではない。

 学校の敷地にたどり着くまでも勿論上り坂だ。

 正門側は、校内に入ると一段一段が若干高めの階段が現れる。

 西門側は、それまでの坂よりも厳しい坂をしばらく登れば校舎にたどりつくことができる。

 余談ではあるが、文化部の人間にとっては重たい教科書を詰め込んだ鞄を下げて毎日登るのはひどく苦痛で、憎い坂なのだ。 


 私は辺りを見回し、先生の言いたいことを理解した。


「桜ですね。」


「正解。」


 なぜか冬でも手放すことのない教頭先生お気に入りの扇子で頭を叩かれる。

 大変良い音がした。


「痛っ。

 正解したのに・・・。」


 思わず頭をさする。


「実は私も、さっき学校に来た時に、驚いたのだよ。」


 橘先生も腕を組んで坂道を見下ろした。


 ここ奈良では、いつもであれば3月の末に桜は咲き始める。

 特にこの坂道は佐保高校ご自慢の桜並木で、道に降り積もるほどの桜が咲く。

 毎年入学式のころにはちょうど散りかけで、美しいの花吹雪が華やかに新入生を迎えてくれるのだが。


「今年はなぜか桜が一輪もさいてないんや。」


「寒々しいですね。

 今年の一年生は可愛そう。」


 私も腕を組んで坂道を見ろ下ろす。

 こんな時期に桜並木を見るなんて2年ぶりだ。

 ・・・咲いてはいないけれども。


「お前、そう思うなら、なんとかしたりたい!っていう思いはないんか?」


 その言葉に先生を振り仰げば、きらめく瞳にどこか嫌な予感がする。


「ええ、まあそりゃ・・・。

『桜咲いたら一年生』って歌もあるくらいですし。」


「ほな決まりやな。

 お願いしてええですか、橘先生?」


 肯定とも否定とも取れないような返事を心掛けたが、そういえばその空気を読んでくれるような方ではなかった。

 なにせおおらかなのだ。

 そして気が早い。

 さっきまで私の方を向いていた教頭先生はくるっと橘先生の方をむいて話しかけていた。


「尽力してみましょう。」


 それに微笑んでうなずく橘先生。


「ちょと待ってください。

 話が全く読めないんですが、それ、私に関係は?」


「大有りや。」


 眩しいばかりの微笑みとしっかりとうなずくその姿に、思わず顔が引きつる。


「説明お願いできますか。」


 橘先生の顔を見れば、先生は小さく頷いて口を開いた。


「話は至極単純で、教頭先生は私に花咲じいさんになるよう勧められたのだよ。

 君にはその手伝いをしてもらいたくてね。

 生物部の初仕事、だ。」


 嬉しそうにほっほっほと笑う先生に、もしかしなくてもかなりの大物なんじゃないか、と思う。

 単純なのは説明だけで、それをなすことがどれほど大変であるか、樹木に関しては素人である私でも容易に想像がつく。

 10日後の入学式に間に合うように、桜を咲かせるなんて、人間のできる業じゃない。

 是非嘘だと言ってもらいたい。


「・・・そんなの、プロの樹木医の方にでも頼んだらいいじゃないですか?」


「あほぉ!

 分かっとらんなぁ、佐保高校は常に金欠なんやぞ!

 樹木医呼ぶ金があるかぁ。」


「そんな偉そうに言わなくても。」


 扇子で顔を扇ぎながらそう言う教頭先生に思わず突っ込んでしまう。


「気乗りせぇへんねやったらしゃぁない。

 今年も生物部の部活動運営費が削減予定やけど。」


 呟くようにこぼれた言葉に、私は思わず反応してしまう。

 何度も繰り返すが、佐保高校は金欠である。

 生物部はなにせ部員数ー部長と私副部長の二人ーのわりにお金がかかる。

 30匹を越える生き物を飼育し、20鉢を越える植物を育てているからだ。


「しゃぁないよなぁ。

 ここで活躍すれば儂も総務部に掛け合いやすくなるものを。

 あの食い意地の張ったマイケルが痩せる細る姿は見たくないんやけどなぁ。

 ああ残念や。」


 じりじりと精神的に追い詰められるのも、無理はないとご理解願いたい。

 嫌な先生だ。

 今時はやりのパワハラじゃないか。

 しかし、逆らえないのもまた事実。


「・・・なんとか頑張ってみます。」


 そう答えるしかない。


「さすがやな、染井!

 それでこそ新3年生や!」


 扇子で頭をバシバシ叩いてくる先生が憎い。

 この坂以上に憎い。

 職務乱用だ。

 でもそんな悪態は呑み込むほかない。

 さらに言えば。


「尽力してみましょう。」


 そう、尽力するほかないのだ。


「ええなぁ!青春やんか!」


 ばしばしと今度は肩をたたかれ、痛いなぁと思いながら、どうすればいいのだろうと考え始める。


「じゃ、儂らは職員会議やから、頼んだで。」


「頑張りましょう。」


 笑顔の先生二人に私は頭を下げ、とりあえず明日図書室に調べに行ってみようと思う。

 文化部の私は何せ体力がない。

 今日はもう疲れたから帰ろうと、生物室へ足を向けた。

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