桜花散りぬる風のなごりには

 始業式が終わって、佐保の咲かないソメイヨシノの話でクラスはもちきりだった。

 それもそうだろう。

 毎年咲いている高校のソメイヨシノが咲かないなどあるはずがない。

 そのまさかのことが起きてしまっているのだから。


 午後から部室に向かうと、部長もやはり悩ましげな顔をしていた。


「ごめんね。

 旅行の間、ネットで調べられることは調べていたんだけど・・・」


「いや、正直私たちの手に負えることじゃないよ。」


「確かに、樹木医や環境学者でもお手上げみたいだもんね。」


 そういう意味ではないのだが、彼らがお手上げなのも尤もな話なので私は深く首肯く。


 非科学的な話に科学で挑むなんて、それはきっと不可能だ。

 正に次元が違う。


「まぁ、いつか咲くらしいから、もういいかなとか思っちゃって。」


 溜め息混じりにそう言うと、部長は顔をあげて不思議そうにこっちを見た。


「・・・いつか咲くらしいって、どういうこと?」


 口を開きかけて、私は彼女を満足させる答えを持たないことを気付いた。


「・・・科学的では無いことも、世の中にはまだたくさんあるんだなってことだよ。」










 始業式が午前中に終わり、暗くて部活も出来ない日没後の高校には、人影は見当たらない。

 聞こえるのは草のざわめきと、鳥の鳴き声くらいだ。


 西門から桜並木を登りきった少し開けたところに、ひとつ、またひとつと影が集まってきた。


 図書室の方からひとつ。

 職員室からひとつ。

 生物室からひとつ。


 そして、咲いていない桜並木からーーひとつ。


「お久しぶり・・・と言うほどでもないですね。」


 兄貴先生がくすりと笑った。


「確かにそうだ。」


 橘先生も穏やかに微笑み、杉本君と兄貴先生を交互に見つめた。


「この案件については、君達2人が首謀者だと思っていいね。」


 言われた2人は顔を見合わせてから微笑むに留めた。


「まぁいいじゃないですか、たまにはゆっくりのんびり・・・お花見といきましょう。」


 まだ月も昇らず辺りは暗い。

 桜も咲かない坂の上で、兄貴先生がレジャーシートを広げ、杉本君がその中央にペットボトル飲料を並べた。

 そしてレジャーシートが飛ばないように両端に兄貴先生と杉本君がそれぞれ座る。


「どうぞ。」


 隣をぽんぽんと叩く後輩の勧めに従おうと一歩踏み出した時だった。


 一斉に、辺りが明るくなってきたかのような錯覚を覚え、その気配に振り返る。

 そしてその景色に私は目を見開いた。





「う、そ・・・」





 桜だ。


 ソメイヨシノが一斉に花開いている。

 一度に急速に咲くため、枝が軋む音や、花弁が擦れる音がして、まるでそれが呼吸のような、命の脈打ちのような印象を抱かせる。

 夜の闇に咲くそれは、桃色というよりも白、むしろ灰色がかって見えた。





「・・・まるで墨染のようだ。」





 杉本君が呟いた。

 彼の感嘆は正に私も感じたことだ。


 生命力が一気に解き放たれた一方で弔いを暗示させる光景に、眩暈がする。

 極めて微かにしかしないというソメイヨシノの香りが一帯に漂っているかの様な錯覚を覚える。


 眩しさに空を見上げると満月が上ってきた。

 怪しいほど大きな満月の明かりを受けた部分の花は、本来の桜色を思い出したように色付く。


 ふと、誰かに肩を叩かれた気がして振り返るが誰もいない。

 淡く微笑みながら涙を流す杉本君と、何処か切な気に目を細める兄貴先生はレジャーシートに座ったままだ。


 杉本君が私の後ろを指差す。

 振り返る私に、春の夜風が吹き付ける。

 思わず閉じた目を再び開けると、桜並木の中央に橘先生が立っていた。

 そして彼の視線の先、桜の花に埋もれるように、人影が揺れる。

 それは本当に影のような、靄のような存在で、はっきりと姿は見えない。

 だが私はその影に心当たりがあった。





 (狭穂姫・・・)





 その影は先生に引き寄せられるように、花の群れから離れた。


 それに倣うように、ソメイヨシノが一斉に散り始める。






(そうだ、ソメイヨシノは、自ら散るときを選ぶことが出来るーー)






 こぼれるように、花が散る。

 世の無常を感じさせるように呆気なく、軍人に説かれた通り潔く。

 初めは降りしきる雨のようだったそれは、みるみるうちに大海の流れのように波打ち、渦巻く。

 そして花が散れば散るほど、その命を吸い取るかのように狭穂姫の姿は明瞭になり、いつしか表情がはっきりみて取れるほどの実体を持った。


 花の海の中央に狭穂姫と橘先生が居る。

 息をするのを忘れるような圧倒的な生命の中央に、愛する人の命を奪ったたましいと、命を奪われながらも彼を愛しそれ故にこの地に残り続けたたましいが、居る。


 桜の花が、対流の如く舞い狂う。

 夢で見た炎が見せた桜に見紛うほど、荒々しく、無情に。

 そして優しく、慈悲深く2人を包み込む。


 先生の姿が、夢で見た天皇スメラミコトに重なった。


「私、貴男にどうしても伝えたくて。」


 狭穂姫は泣いていた。

 その涙は止まることなく、風に乗り煌めく。


「貴男を、愛しています。

 誰よりも、永遠に。」


 先生がーー否、天皇スメラミコトが頷き、狭穂姫を抱き寄せる。


 そして2人は、散花の海に飲み込まれていった。

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