4月4日
「愛おしい」
里帰りは2泊3日の予定であった。
里をめぐり、秋の恵みを堪能している間に、時間はあっという間に過ぎ、2夜目となった。
昨夜は民と共にこの実りの秋を祝ったが、今宵は兄と伯父と3人で、家族水入らずで過ごすことになっていた。
佐保のこと、都のこと、山となった母のこと、子どもの頃のこと・・・話は尽きず、いつの間にか夜も更けていた。
叔父は明日の朝からしなければならないことがあるからと自室に引き上げ、私は兄と二人、穏やかな秋の夜長を語り合った。
流石にうとうととし始めた私に、兄はぽつりと呟くように言った。
「お前は
「そうかもしれません。
悪い方ではありませんから。」
夢うつつに私は答える。
「・・・愛とは、何だ。」
どこか鋭く、咎めるような声色に、私の眠気は吹き飛ぶ。
「兄上・・・?」
月明りに見る兄上の様子は、いつもと違っていた。
いつも、と言っても、もう2年も会っていなかったけれど、でも違っていた。
月あかりがそう見せるのか、深い影を背負い、顔色が悪い。
「昔から恋は盲目と申すもの。
帝の寵愛も、時が過ぎれば褪せてゆく。
お前の美しさなど、ひとときのものなのだから。」
兄の言葉の刺々しさに戸惑う。
「でも私はまだ若いわ。
あと10年くらいは大丈夫なはずです。」
「その10年の先はどうするのだ。
お前の一生はあと10年では終わるまい。」
「そうですけれど・・・」
そんなことを考えたことはなかった。
私は浅慮で、いつも目の前のことばかりにとらわれている。
こう言っては何だが、兄も昔はそうだった。
よく一緒に母に叱られたものだ。
―例え未来を見る力がなくとも、しっかりと考えなさい。
しっかりと考えれば、分かることも多い。
そして努力次第では・・・未来を変えることだってできるのですから。―
いつの間にか大人になった兄は、きっとこの佐保の10年、20年先のことも考え、そして私の将来をも考えたのだろう。
「いい加減目を覚ませ、狭穂姫。
お前は、夢を見ているだけなのだ。」
兄の瞳が、ただただ暗く、虚無のように私を見つめる。
「
男というのは、美しいものや権力に惹かれる。
元よりお前との結婚は、この佐保を手に収めるため。
この佐保があ奴の者となった今、お前の価値はなんだ?」
彼の問いかけに、私は返す言葉を持たなかった。
「
兄の漆黒の瞳は母を思い出させた。
思慮深く、強い姫の力を持った母。
彼女の言葉はいつも真であった。
「・・・そん、な。」
かすれた声で、そう呟くのが精いっぱいだった。
「お前は、夫と私と、どちらが愛おしい?」
私を見つめる兄の瞳から、私は目を逸らせないでいた。
「思い出せ。
あの温かな春の陽、共に佐保を駆け回った。
美しい清流で占いをした。
秋の恵みに感謝をささげ、すべてが眠る凍える冬も雪に笑った。」
漆黒の瞳に、思い出が走馬灯のように駆ける。
私はずっとずっと、兄を追いかけていた。
兄はいつも、私を大切にしてくれた。
そっと私の肩を抱き、兄は耳元で囁く。
「お前と私は、たった二人の兄妹だ。
誰よりも互いを知り、誰よりも愛おしむ。
私たちは彦と姫。
母のような偉大な力は無い我々は、いつも二人でひとつと言って佐保のために励んできたはずだ。
そんな私を一人、佐保において、お前は・・・。」
いつの間にかよく抱きしめられていた。
懐かしいぬくもりに、涙が溢れる。
兄への愛が溢れだしたのだ。
頼みの母を失った兄は、どれほど心細かっただろう。
例え頼りない私であっても、どれほど会いたいと望んだことだろう。
いつも二人でいたのだ。
二人でひとつと、そう言い聞かせて、この佐保のために尽くそうと、そう心に決めて、二人で手に手を取り合ってきたのだ。
「私はお前を手放したことを後悔しているよ。
こんなにも・・・こんなにも愛おしい春の姫を。」
兄の声は震えていた。
泣いているのだ。
幼い日から彼は何も変わっていない。
どこか頼りなく、それでいて私を守ろうとしてくれた、あの兄のままだ。
母のように強くはないけれど、それでも私たちは互いに守り合って、支え合って生きていこうと誓っていた。
あの頃の兄のままだ。
明日には離れねばならぬ、このぬくもりが、あまりに切なく胸を突く。
「兄上・・・。」
私の声も震えていた。
「愛おしいよ、愛おしい。
お前を
兄の悲鳴に、私はその背中に腕を回し、固く抱き合った。
そうだ、私も兄が愛おしい。
このぬくもりに縋って生きてきたのだ、
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