締切

 夜の黒さを背負わせているには、その一粒一粒はあまりに小さい。

 そして夜と髪とこの艶やかな一粒が繋がるとすれば、それはどこか色めいて見える。


「夢は儚くて良く分からないものです。

 だからこそそこに時折、想いが混じる。

 もしかしたら相手も自分を想ってくれているのではないかという思いに、束の間でも縋りたくなる、淡い時間。

 そして曖昧だからこそ、事実何か非現実的なことが混じっていても人はそれを受け入れてしまう。」


 それは私の今置かれた状況の事とも思える言葉であり、杉本君自身の事とも受け取れる。

 そして、狭穂姫や前世である誉津別命ホムツワケノミコトの事をも匂わせる。




「杉本君は・・・どんな夢を見ているの?」





 本棚の陰に座り込んだ私達のところに、日の光は届かない。

 薄暗い中でみる杉本君の顔を見入ってしまう。

 魂が同じだけで、彼は別人だ。

 なのにどこか夢で見た天皇スメラミコトを思い出させる。

 空気を介して伝わってくる体温。

 彼はすぐ傍にいる。

 それがどこかくすぐったくて嬉しい反面、切なく胸が痛い。


「先輩はどうなんですか?」


「私は、」


 口を開きかけて、つぐんでしまう。

 私は本当に、狭穂姫に憑かれているのだろうか。

 あれこそ夢で、ただの私の妄想ではないのか。

 だってあれが全て現実なのだとしたら正に、「事実は小説よりも奇なり」だ。

 話したら気持ち悪がられてしまうのではないだろうか。

 彼から冷たい視線を向けられ、もうあの古典の講義は聞けなくなってしまうのだろうか。

 私の顔をじっとのぞきこんでくる視線から、逃れるように立ちあがろうとして、目の前が暗くなり、ソメイヨシノによく似た花びらが飛びかう。

 立ち上がりかけた足の力が抜ける。

 温もりに包まれて、ぐったりと寄りかかってしまう。


 ようやく戻った視界に、植物図鑑が写り込んだ。

 裏表紙だけが開かれ、奥付きが見える。

 そこには桜色の紙で作られた小さなポケットがあって、入っていたであろうオレンジ色の貸出カードが、本を落とした拍子に飛び出ていた。

 電子化される以前の産物で、古い本には時折添付されたままになっていることがあるそれの中程に、癖のある雑な字で「秋篠和穂」の文字が踊る。

 佐保高校の生徒だった頃に兄貴先生が借りたという事だ。

 今見で何度も開いた本なのに、今の今まで気付かなかった。




(兄貴先生・・・狭穂彦・・・)




 瞼の裏で、兄貴先生と狭穂彦の顔がちらつく。

 どちらがどちらなのか、一瞬わからなくなる。





「大丈夫ですか。」




 ぼうっとしていた私の耳元でする囁き声に、はっとして身体を離す。


「ごめん!」


 心配そうな顔をした杉本君に顔を覗き込まれ、その近さと自分の失態に火を噴きそうになる。


「大丈夫ですか?」


 改めて問いかけられ、こくこくと何度も頷く。

 それを確認した杉本くんはほっとしたように一つ頷いた。


「もしかして4月号の文芸誌の執筆で寝不足ですか。」


 その問いかけに、新たな冷や汗が吹き出した。


「ああっ!!

 締め切り忘れてた!!」

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