佐保姫1


大和西大寺やまとさいだいじ

 西大寺さいだいじー」


 放送を右から左に聞き流し、乗ってきた橿原神宮線かしはらじんぐうせんの京都行き普通列車から降りる。

 春休みらしく、制服姿の少ないホームだ。

 エスカレーターに乗り、橋上コンコース《連絡用の通路》へと上がる。

 この駅は平城遷都1300年祭に際し大幅に増床され、小さなショッピングモールになっている。

 ケーキ屋さんやベーカリーカフェなど、小洒落た店もあり、私も時折利用する。

 今日は勿論素通りだ。

 このショッピングモールと桜観光のポスターがあちらこちらに貼ってあること以外は、よく見れば昔ながらの古びた駅と何ら様子は変わらないかもしれない。


 ホームへ舞い降りる鳩を横目に、高校へ行くのと同じ奈良線のホームへとエスカレーターを降りる。

 今日向かう先は、佐保高校ではない。

 近鉄奈良駅から北に徒歩20分ほどの場所にある、佐保姫神社だ。

 昨晩、狭穂姫サホヒメに教えられた場所である。

 発車の放送に、私は慌てて最後の数段を飛び降りると、そのまま電車に駆け込んだ。


 大和西大寺駅を出て、2分もすれば佐保高校の最寄り駅だ。

 数少ない同じ制服を着た背中が、電車から降りた。

 再び扉が閉まり、電車が発車する。

 終点奈良駅までも、ここから2、3分である。


 電車が止まり、扉が開くと地下のホームに出た。

 階段を上がって、改札を出る。

 そこからまた階段を上がるとようやく外で、見慣れた行基像ぎょうきぞうが立つ噴水が迎えてくれる。

 私はそこから北東へと歩みを進める。


 杉本君が言っていた通り、学校に桜が植えられるようになったのは明治時代になってからのことなのだと、本で読んだ。

 教育は民の根本を変えていくのに最重要である。

 教育の基礎を国学に求めた明治政府。

 江戸時代の国学者である本居宣長が詠んだ

「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」

 という歌が、いつしか親しまれるようになった。

 一斉に咲いて一瞬で散りゆく桜の姿は、潔く散る軍人の姿とも重ね合わされ、日本帝国軍人の象徴となっていく。

 ちなみに読んでわかる通り、彼が詠んだ花はソメイヨシノではない。

 ヤマザクラだ。

 だがヤマザクラよりもソメイヨシノの方が根付きがよく、生長が早く、その上低コスト。

 いずれをとっても、急成長を求められた日本には使わない手はない花であった。

 そしていつしか、桜は日本精神をあらわす花になったのだ。


 手にした鏡の中で、狭穂姫が頷く。


「その通り。

 当時からソメイヨシノは人間の為、日本の為に植えられ、咲いてきた花なのです。」


 彼女の声はどうやら周りの人には聞こえないらしいから、便利なものだ。


(でも佐保姫にはどうやったら会えるんですか?

 私そういうの、あまり信じない・・・見たことがないんですけれど。)


 私の声は当然周りの人に聞こえるのだから、心の中でそう問いかける。

 鏡の中で狭穂姫はくすっと笑った。


「見たことがないものを信じろという方が難しいでしょうから。

 途中道端で蒲公英でも何でもいいですから、まだ咲いていない花の蕾を摘んでください。」


 歩きながら、花を探す。

 コンクリート舗装が基本の道路に、あまり花の姿は見かけないが、街路樹の根元にまだ蕾の蒲公英を見つけた。

 蒲公英を摘むところなんて、知り合いに見られたら堪らない。

 ちらりと辺りを見回し、人目がないことを確認してからさっと摘んだ。


(それから?)


「あとは私に任せてくだされば大丈夫。」


 スマホの案内に従って住宅地を入っていくと、ひょっこり空き地があって、そこには祠が3つ。

 手前の一つが一番大きく、その中にはお地蔵様がおられる。

 ということは、奥の二つのどちらかだ。


「右です。

 蒲公英の蕾を祠の前においてください。

 それから鏡を祠に向けてください。」


 言われた通り、右の祠の前に蕾の蒲公英を置き、手の中で鏡を祠へ向けた。


「佐保姫、ご無沙汰しております。

 貴女と同じ名を持つ狭穂が参りました。」


 張りのある声が辺りに響く。

 その貫禄は、彼女がその昔、ヒメと呼ばれる人であったことを知るには充分であった。


 だが何も起きない。


「この時期は佐保姫はお忙しいですから。」


 困ったような声が、手の中から聞こえた。


「佐保姫。」


 もう一度狭穂姫が呼びかける。


 だが、やはり何も起きない。


「いいえ、よくご覧なさい。

 ほら、蒲公英が。」


 手の中から聞こえた声に祠に置いた蒲公英を見ると、不思議なことに硬かった蕾が少しずつ開いてきている。


「嘘っ・・・」


 次の瞬間、強い風が吹いて、私は目を瞑った。

 再び目を開いた時、今度は開いた我が目を疑うこととなった。

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