第4話


 そうとはいえ、そこで引き下がらないのが稚武わかたけ風羽矢かざはやの二人というものである。さすがに一膳の飯とまではいかなかったが、夜になると調理場から焼き魚をこっそり頂戴してきた。そして寝所にしている二人用の小部屋で、しとみから星を眺めながら頬張った。


「うっめぇ」

「おいしいけど、これじゃ足りないよ」

「言うなよ、よけいに腹が減る」


 さっさとたいらげると、稚武は寝床に入った。


「なぁ、風羽矢。昼間の話の続きだけどよ、今石上の宮に残ってる神器って、つるぎと鏡と玉のうちのどれなんだ?」

「わからないよ、そこまでは」


 風羽矢も自分の床に入った。二人はいつも頭を向かい合わせるようにして眠っていた。


「でも、都の大巫女にも本当はどこにあるか分かっていないんだって。神器の光はまぶしすぎて見えないんだそうだよ」

「頼りにならないんだな」

「神器は強く共鳴するし、反発もするって言う。三つをそろえて使いこなせる人だけが、この国の王になれるんだろうね。もし倶馬曾クマソの奴らがそろえてしまったら大変だよ」

「王か……」


 稚武は武者震いするように心を震わせた。


「じゃあ俺が大王おおきみになるためにも、とにかく倶馬曾に奪われた二つの神器を取り戻さなきゃいけないんだな」

「そういうこと」


 風羽矢は笑った。


「稚武、君は本気の本気で大王になるつもりなんだね。本当に難しいよ? 前途多難にもほどがある。わかってるの」

「何だよ、今さら」


 稚武はむっとして返す。


「世の中には、不老不死になりたいなんてほざいている奴がたくさんいるぜ。そいつらと比べてみろよ、俺の夢はまだ叶えようがあるぞ。…べつに、贅沢な暮らしがしたいわけじゃないんだ。いや、親父様や母様たちには楽をさせてやりたいと思ってるけどよ。――なんとなく、俺は、このまま死にたくないんだ」

「このままって?」

「ん? そうだなぁ、うーん…」


 訊かれると言葉に詰まるようで、稚武はうなった。そして珍しく真摯な声音で言った。


「何ていうか……そう、名前を残したいんだよ。人間って、生まれたからには死ぬしかないだろ。そして死んだ奴から忘れられていく……。俺は、それが寂しいと思っているのかもしれない。歴史の中に埋もれてしまいたくないんだ。まるで、俺という人間がいたのかいなかったのか分からなくなっちまいそうで……怖いんだ」

「……うん、分かる気がするよ」


 風羽矢は淡く笑んでいた。


「そういう気持ちになるのって、僕も分かる。だけど、だからって王になろうとは考えないなぁ。稚武、やっぱり君は他人と器の大きさが違うんだね」


 風羽矢にはちゃかすような調子があったが、稚武はいたって真剣だった。


「いいか、風羽矢。――俺は王になる。名前が残るくらい立派な王になりたい。この国を一つにして、誰もが安心して暮らせるような世界にしたい。倶馬曾みたいな奴らが刃向かうこともできないような、強い国にさ」

「うん、君ならできる、きっと」


 風羽矢はゆるりと一つ瞬いて笑った。


「だけど僕は、忘れられる人間っていうのも悪くないと思う。歴史になんて残らなくてもかまわないよ。僕は、僕と一緒に生きている君や、桐生兄や、親父様や母様たちと同じでいい。僕を知っている人間は、僕が知ってる人たちだけで充分だな。だから、僕が死んだら――僕のことを覚えているのは、この泊瀬はつせの山と河だけでいいや」

「つれないことを言うなよ、風羽矢」


 稚武は真っすぐ仰向けになり、天井を見つめた。


「お前が女だったら嫁にしたいって言ったのは冗談だけど、あながち嘘でもないんだぜ。そりゃあ嫁は無理だけど、右腕ぐらいにはなってくれるだろ? ついて来いよ、俺たちで国を作ろうぜ。そしたらお前の名も歴史に残るぞ。せっかく生まれてきたんだ、あがいてみなきゃ損だろう」

「もちろん、君が大王になるのをこの目で見届けるつもりだよ。這いずってでもついて行くさ。とっても面白いだろうからね。飽きない、休む暇もないんだろう、きっと。君が嫌だと言ってもついて行ってやる」


 照れくさいので冗談めかして言ったが、それが風羽矢の本音だった。稚武のそばにいるのは楽しい。彼がいない生活など、まるで想像もつかないのだ。


 加え、実は風羽矢は、泊瀬の外の世界というものに憧れがあった。黄金に輝いているという大王の宮や、遥か西の果ての日の沈む国倶馬曾――話にしか聞いたことのないものをあれこれと思い描いては、胸をときめかすのだ。


 稚武の声は明るい。


「じゃあまず、体を鍛えておかないとな。二十になったらすぐに兵に選ばれるために。まぁ、お前は弓の腕があるから余裕だろうけど…でも、そうだ、泳げなきゃ困るぞ。倶馬曾は海の向こうなんだから」

「うっ……それは問題だ」

「カナヅチを治す特訓でもするか?」


 本気で眉を曇らせている風羽矢に、稚武はからかって言った。


 稚武と風羽矢の二人は、直接は戦争を体験したことがなかった。この前に大きな戦争があったのは十五年ほど前、二人が生まれる前のことなのだ。それからも秋津国と倶馬曾とのこぜりあいは続いているが、泊瀬に住んでいるうちには全く実感の湧かない話だった。稚武と風羽矢がどうも気楽にかまえているのは、国のために殺しあうという戦争の悲惨さを知らないせいもあった。


「でも、二十って結構先のことだよなぁ。それまでに戦争が終わってたらどうするか」

「……それより、大王の子だと名乗りを上げたらどうなの」


 風羽矢は控えめに、だが確信をもって言った。 


「もしかしたら違うのかもしれないけど、本当にそうかもしれないんだよ? 違うという証拠はないんだ。だったら、大王に申し出てみても損はないと思うんだけど。……君は帝王になろうっていう野心家のくせに、どうしてそういうところでは無欲なんだ」


 稚武は黙り込んで天井をにらんだ。そうして、身を返して風羽矢と顔を向かい合わせる。


「案外馬鹿だよな、お前って」


 声音は怒ったような呆れたような、とにかく強がっているものだったが、表情は薄く曇っていた。


「期待すればするほど、裏切られたときにへこむんだ。大王の子だと出て行って、認められなかったらどんな顔をして引き下がればいいんだよ。…万が一、大王が認めたとしても、周りは俺のことを厄介者のように扱うだろう。違うという証拠がなければ、そうだという証拠もないんだ。何か、黙らせるくらいの実力がなければ無理なんだよ、こういうことは」

「……確かに」


 風羽矢が眉を下げると、稚武は身じろいでまた仰向けになった。


「それにな、実の父親が誰であろうと、俺の親父様は泊瀬の親父様だけだ。母様は泊瀬の母様だけ。――大王の子だと名乗り出るのは、二人を裏切ることになるんじゃないかと思う。俺はここのみんなが好きだし……」


 稚武は正直なところを話した。


「俺だって、本当の両親のことを全く気にしていないといったら嘘になる。そりゃあ、真実を知りたいと思うときもあるさ。けど、本音は、あんまり知りたくないんだ。宮古みやこって母親が死んだのは事実だし。……それに、なぜ宮古は父親から逃げるようにして泊瀬で俺を生んだんだろうと考えると、悪いことしか思いつかないんだよな。もしかしたら俺を守ってくれたのかもしれない、とか。あの人が俺を『大王の元へやるな』と言ったのには、ちゃんと理由があるんじゃないか、ってさ」


 風羽矢は静かに聞き、彼の言葉を丸ごと胸に受け止めていた。そしていつも首にかけている紐を服の下から手繰り寄せ、肌身離さず下げている勾玉を手の平にのせた。


「……僕も、その気持ちを知ってる……」


 風羽矢の勾玉は、装身具としては少々地味なものだった。片手で包めてしまえるくらいにちっぽけで、さえない白色をしている。だが彼にとっては何より大切なものであった。唯一、親とはぐれる前から持っているものなのだ。


 風羽矢は勾玉を星の光にすかして眺めた。


「僕と僕の本当の親をつないでいるものは、この御祝玉みほぎだまだけだ。……僕だって、親は育ててくれた親父様と母様しかいないと思っているけれど、どうしてもこれを手放すことはできないよ」


 御祝玉というのはまじないがかけられた勾玉のことであり、いわば安産祈願のお守りだった。それが無事生まれた子のお守りとなって受け継がれていくのはままあることで、桐生も似たような御祝玉を首に下げている。


 かつて倶馬曾軍から助け出されたとき、赤ん坊の風羽矢の腕にはすでにその勾玉が結び付けられていたのだった。


「この玉を手にするたび、僕は自分が泊瀬の本当の子ではないと思い出すんだ。親父様やみんなが知ったらきっと怒るんだろうけどね。……でも、だからって、今さら本当の両親に会いたいとは思っていないんだよ。会えたらおもしろいなという気はするけれど。だいたい、生きているかどうかも分からないし。……そうだね、稚武。真実を知るのは、多分すごく怖いことだ……」


 風羽矢は勾玉を胸にしまい、仰向けになった。その横で、稚武は身じろぎ一つせずにまるで寝言のように言った。 


「……お前は俺よりも俺のことをわかってる――俺の隣にいろよ、風羽矢。俺が王になってもならなくてもさ、ずっと一緒にいようぜ」


 風羽矢はすぐには答えなかった。このまま稚武が眠ってくれればいいと思いながら押し黙って、しばらくしてから小さく言った。


「僕たちたぶん、やっぱり、まだ子供なんだろうね。すごく」

「……ああ……、そうかもな」


 それだけ答えると、稚武は健やかに寝息をたて始めた。本当に寝ぼけて言っていたのかもしれない。普段の彼ならまず口にしないことだろう。


 風羽矢はなんとなく寝つけなくて、春の星明かりのさす部屋でぼんやりと考えていた。


(僕は、いつまで稚武の隣にいられるんだろう…稚武と同じものを見て、同じことを考えていられるんだろう)


 自分たちは一緒に大きくなってきたのに、どうしても同じではいられない。そのことを、風羽矢は稚武以上に大きく感じていた。


 大人に怒られるのはいつも稚武だけだ。それが風羽矢には不思議でたまらなかった。彼に罪を擦りつけているつもりなどないのだ。だが、いつの間にか稚武の方だけが悪者になっていて、風羽矢がかばおうとすればするほど大人は分かってくれないのだった。風羽矢は優しい子だ、それに比べて稚武は…と、裏目に出てしまうことさえあった。


 どうしてそうなるのか、風羽矢には分からない。原因が風羽矢にあるのか稚武にあるのかもまったく分からなかった。


 ただ一つ、知っていることがある。憎まれ役の稚武のほうが、実は皆に溶け込んでいるということだ。稚武は明るく、破天荒で、人懐こい。目立つゆえに目の仇にする者もいることはいるが、特に女の子からの視線には色々あるが、それでも彼は多くの人に好かれていた。


 それに比べ、風羽矢はどうしても稚武の一歩後ろに引いている傾向があった。宮古という母親のはっきりしている稚武とは違い、風羽矢は本当に親の素性も知れぬ子である。実際の生まれた場所も、倶馬曾との国境に近い遥か西の国だという。自分は決して泊瀬の生まれではないのだ…動かしようのないその事実が、どうしても風羽矢のもう一歩を阻んでいるのだった。


 これではいけないんだ、と風羽矢は思った。


 稚武と一緒にいるのは楽しい。ずっとこうしていられたらと、風羽矢も思っている(もちろんこれは、面と向かって稚武に言えることではないが)。だが、果たしてそれが稚武のためになるのかというと、そうでないことはもうわかっていた。


 風羽矢が、無意識に稚武を前に出してしまっている理由。それはもしかしたら、彼が稚武なしでは生きていけないからかもしれない。


 風羽矢はそっと胸の御祝玉に手を置いた。不安になったときの癖だ。


(僕は、稚武に依存しているだけなのかもしれない…)


 そうであれば、いつか彼の邪魔になるときが来る。そしてその時が来て、稚武が風羽矢という荷物の重みに気づいたなら――


(僕はどこに捨てられるんだろう…)


 分かっているのは、もう子供のふりをやめなくてはいけないということだけだ。真実を知ることと同様に、それはひどく勇気のいることだと、風羽矢は思った。

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