第16話
帰路の野営地で、
空には満点の星が、まるでそっと手に取れてしまいそうに瞬いていた。
「よく晴れているね。こうやってゆっくりと星を眺めるなんて、
「そうだな」
稚武は目を細めた。
「こっちの国から見る空も、泊瀬と同じなんだな。都から見るよりも、こんな東の果ての国から見たほうが同じに見える。なんだか不思議な感じだ」
「うん。なんでだろう。懐かしい気分がするよ、僕も」
稚武は空を仰いだまま半身を起こした。
「泊瀬はもうそろそろ桜が咲き出すころだよな」
「まだ早いよ、きっと。ちょうど僕らが都に着くころじゃないかな」
「そうか。……でも、帰ったら今度は倶馬曾と戦だ。結局今年も、里帰りは無理そうだな。来年こそは桜を見に泊瀬に帰りたいもんだ」
「うん、そうできたらいいね。でも、そんなに早く
風羽矢は頭の下に腕を組んだ。
「今回は師匠の手際で早く片付いたけど、倶馬曾にはただ戦しにいくんじゃないからね。まず規模が違うだろうし。それから神器の鏡と玉を見つけ出して、君が
「……『鞘』無しでいいのかな」
力なく、稚武はまた大の字になった。
「大王は、剣の本当の神力を呼び出すには『鞘』が必要だとおっしゃっただろう。でも俺には、まだ見つけられてないんだ。探してる暇もなかったし」
「不安?」
風羽矢がきくと、稚武は首を傾げるようにして頷いた。
「だいたい、女がみんな同じ顔に見える。その中から『鞘』を探せって言われてもなぁ…」
「立候補者は大勢いるだろうけどね」
風羽矢は明るく笑った。
「きっと大丈夫だよ、稚武。問題があるなら大王が何かおっしゃるさ。そうだ、もしかしたら向こうも君を探しているかもしれないよ」
「『鞘』が?」
うん、と風羽矢は頷いた。
「剣と鞘は惹かれあうんだろう。だったら大丈夫。焦らなくてもそのうちうまくめぐりあうよ、きっと。焦ったら余計に行き違うかもしれない」
風羽矢に言われると、稚武もそうかと心が軽くなった。珍しく深刻に考えていた彼に、風羽矢はにやっと笑った。
「実は僕、楽しみなんだ。君とその子と出会うのが」
「なんで」
稚武は横目で相棒を見やった。
「うん、だって、君が女の子と一緒にいるなんて、想像しただけでおもしろいからさ。どういう態度を取るのかなぁって。まさかいつもみたいに『邪魔』とかなんて言ってしまわないだろう? そんなことしたら、いくら『鞘』だって怒って去っていってしまうよ」
忠告の意味も含めて、風羽矢は言った。
「だからさ、稚武がどんな風に変わっていくのか楽しみなんだ。意外と君みたいな奴の方が、恋をしたら夢中になっちゃうのかもね。君のお母さんを好きになった大王みたいに」
稚武は難しい顔をして押し黙った。
だからといって自分もそんな風になるとは、ちょっと考えられなかった。想像してみるが、女に甘ったるくなっている自分など、どうも気持ちが悪い。
「
唐突に稚武は話題を変えた。
「泊瀬に里帰りができたときには、二人の子供の顔がみられるかもな」
「うん、楽しみだ。きっと可愛いだろうねえ、五十鈴姉に似ていれば」
風羽矢はにこにことして言った。
「そうしたら桐生兄の
言いながら、彼はそっと自分の胸元に手を当てた。服の下にある、己の御祝玉に。
そのしぐさに、稚武はあっとひらめいて身を起こした。顔を明るくして相棒を覗き込む。
「そうだ、風羽矢。倶馬曾の遠征で西に行けば、お前の本当の親の手がかりが見つかるかもしれないぞ。お前が生まれたのって、倶馬曾との境の方なんだろ」
「え。……それは、ちょっと、難しいと思う……」
風羽矢は眉を下げた。
「やってみなきゃわかんないだろ。向こうに行ったら調べてみようぜ。親は無理でも、生まれた国くらいはわかるかもしれない。もしうまくいって親に会えたら、俺が皇子として言ってやるよ。あなたたちの息子はこんなに立派になりました、って」
言われて、風羽矢はふと真面目な声音をした。
「僕たち、少しはしっかりしたかな。泊瀬の母様や親父様たちが安心できるくらいに」
「おう、ずいぶん変わったと思うぜ。身長だってだいぶ伸びたし。桐生兄にはまだ届かないかもしれないけど、親父様よりはでかいだろう」
自信満々に言った稚武に、そうだね、と風羽矢は微笑んだ。
「稚武はもうすっかり皇子様らしくなってしまったし。こうして軍を率いて、東国を鎮圧できてしまったくらいに」
「あとは倶馬曾か……やっぱり。――試練だな」
「うん、試練だ」
風羽矢は両手をついて体を起こした。
天の蓋が、地平線から反対側の山並みまでをぐるりと覆っている。そこにちりばめられた眩しい星々は、明日も明後日も変わらずこうしてあるだろう。泊瀬の夜空も同じだ。いくら地上の人々が変わっても、空はいつまでも変わらない。表情を変えることがあるとしても、永遠に民の頭上に広がっている。太陽はめぐり、月は満ち欠けを繰り返し――
「西の空も同じかな」
つぶやいた風羽矢に、稚武もあぐらをかいて、どうかな、と答えた。
「倶馬曾は『日の沈む国』だからな。どういうところなのか見当もつかない。東国にこんなだだっ広い平野があるっていうことも、都にいた頃には全然予想もつかなかったくらいだもんな」
稚武は微笑んで風羽矢を見た。曇りのない黒い瞳の中で、いくつもの星が瞬いている。
「ともかく、これで征西の目的がはっきりしたよ。倶馬曾を恭順させること、神器を破壊すること、風羽矢の故郷を探すこと。――なんか、うまくやれそうな気がしてきた」
「恭順? ……大王は、倶馬曾を滅ぼせとおっしゃったよ」
不安げに言った風羽矢に、稚武は正面の空を仰いで言った。澄んだ声だった。
「兵法を勉強していて、ずっと考えていて……それから今回の戦で、思ったんだ。他の国を滅ぼすっていうのは、間違っている。秋津国も倶馬曾も、もとは
風羽矢は嬉しくなった。王というのは時に残酷な決断を下さなければならない立場かもしれないが、本質はそうであってはいけないのだ。
体に流れる血の熱さを知っている人、情けをもって人々を従えることの出来る人――
「……倭は良い国になる」
風羽矢は微笑みながら、確信をもって言った。
「倭の民は幸せだ。君を王に戴いて」
「そうか? 俺は、俺の国に、倶馬曾の民も欲しいだけだぞ。欲張りなんだ」
野望を持った目で、稚武は笑う。
風羽矢は頷いた。
「僕も君に賛成するよ。――記伝の勉強で習っただろう。倶馬曾の土地も、
「そう倶馬曾の民にも言ってもらえるように、努力するさ。多少の武力は必要だろうけど。とりあえず向こうの中央に進むまではな。――兵法の第一の基本、『大きな敵は頭をぶったたけ』」
稚武はニッと目を輝かせて笑った。
「話してみたいと思うんだ。倶馬曾の女王――
その夜、二人は眠くなるまでずっと星を眺めていた。同じ空の下にいた。永遠にこうして同じ空の下で生きていくと信じて。
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