第21話


 この三年間、いろいろな学習をこなしてきた稚武たちは、もちろん紀伝や歴史も学んできた。最近の政史などもだ。


 教師の講義はこうだった。


『さきの大王おおきみ今上きんじょう陛下のお父君で、大泊瀬皇子おおはつせのみこの祖父上様に当たるかたです。正式な御子は穴穂あなほ皇子と呼ばれておられた今上陛下と、もう一人、兄君がおられました。兄君は最初皇太子でありましたが、まったく手のつけられない乱暴者で、家臣たちの信頼を失っていってしまったのです。そこで弟君であった今上陛下を擁立する動きが大きくなり、兄君は怒って、目障りな弟を亡き者にしようと挙兵なされました。しかし兄君に味方する者は少なく、ついには都を追われ、伊予いよに逃れて自害なさったのです』


 そして勝利した穴穂は日嗣ひつぎとなり、父が病で崩御した後に即位した。叔父や従兄弟たちがこぞって反旗を翻したが、次々に討ち取って、今の平安な世になされたのだ、と。反逆者の中には、中菱姫の父や兄の名もあった。


 大王は重く息をつき、視線を落として言った。


「……それを明かすつもりで、今宵そなたらを呼びたてたのだ。……わたしの兄上は―」

「お待ちください、大王」


 言いかけた大王を制し、久慈が真剣な顔つきで風羽矢かざはやに向き直った。彼はいつになく厳しい口調で言った。


「風羽矢。これから大王がお話しになることは、本来、皇の方々しか知ってはならないことです。それを聞くからには、あなたにも相応の覚悟が必要ですよ。分かっていますか」

「はっ……はい」


 風羽矢はぴっと背筋を正して答えた。なお念を押そうと口を開く久慈に、大王はいくらか不興をみせた。


「もはや前置きはいらぬ、久慈。わたしが風羽矢にも話しておきたいと言っているのだ。皇でもないお前が口をはさむことではない」

「……失礼しました」


 大王はそのまま少年たちに向かった。


「二人とも、心して聞きなさい。他言は許されない」

「はい」 


 二人は声をそろえて答える。大王はゆっくりと語りだした。


「結論から言えば、中菱なかひしの言ったとおりだ。神器の玉と鏡を宮から持ち出したのは、わたしのたった一人の兄上、薙茅皇子かるかやのみこだ」


 稚武わかたけと風羽矢は真剣に聞きいった。


「習っただろうが、兄上はかつて日嗣の皇子だった。だが、わたしに向かって兵を挙げ、伊予に逃れるときに、玉と鏡を持ち去ってしまったのだ」

「伊予……たしか、倶馬曾クマソに最も近い国ですよね。狭戸せとの海にあるという」


 風羽矢が言うと、大王はそうだ、と頷いた。


「そのとき、我が秋津国はちょうど倶馬曾と交戦していた。伊予もまた戦地となっていたのだ。――兄上は玉と鏡に怨みの念を込め、自害なさった。だが、その直前に、あのかたは誰かに神器を託していたのだ……それが何者なのかは知れぬ。そうして、戦乱の中、神器の一つは確実に倶馬曾に渡ってしまった。兄上がそう仕向けたのか、たまたま倶馬曾兵に見つかって奪われたのかはわからないが」


 稚武は呆然として言った。


「では……では、皇を呪っているのは、大王の兄上様なのですか」

「そうだ」

「兄が、弟の滅びを願ったというのですか」

「……そうだ。兄上はわたしを怨んでおられる。あのかたを死に追いやったわたしを、死してもなお、怨み続けている。そして神器は倭の禍となり、我らに敵対する倶馬曾に渡った」

「――俺が断ち切ります!」


 稚武は叫ぶように強く言った。


「薙茅皇子があなたや俺を呪っているというのなら、そんなものは俺が断ち切る。禍にあなたを殺させやしない……っ。俺が、禍を殺します」


 大王はほがらかに目を細めた。


「兄上が神器を持ち去り、わたしはそれを追って伊予に向かった。そして都に戻ってきたとき……宮古みやこは姿を消していた。十七年前のことだ。あのときにはもう、宮古のはらにはそなたがいた。紛れもなく、そなたは倭の最後の希望の子なのだよ、大泊瀬。我らに残された、禍の主に対抗できうる唯一の、な」

「はい」


 稚武ははっきりと答えた。風羽矢もまた、稚武についていくために全力をつくそうと決意を新たにした。


 少年たちが退出しようとしたとき、大王は「あぁ」と思い出したように言った。


「中菱は東に流すことにした。それから、そなたを騙して奥宮に連れ込んだ文官と女官も処刑しておいたよ。もう安心していい」


 にこやかに言われて、稚武は目を剥いた。


「騙して……って。処刑、とは?」


 大王は満足そうににこりとするだけで答えなかった。


 稚武と風羽矢が青ざめて久慈を振り向くと、彼もまた笑って言った。


「当然の報いですよ、皇子」


(そんな…) 


 このとき、自分が軽率であったために二人の倭の民の命が失われたことを、稚武は生涯忘れることがなかった。



 少年たちが退出し、大巫女が社に戻った後、大王も寝所に向かおうとした。そして、久慈がいつになく気落ちしているのに気づいた。


 思い当たる節はあった。自分が「口をはさむな」と言ったせいだろう。


 何かしらの言葉をかけようと口を開きかけた大王だったが、ふと真面目な顔をして言った。


「……久慈。お前になら、そろそろ話しておこうかと思う」

「は」


 うつむいていた久慈は顔を上げた。


「お前のことは誰よりも信用している。 それに、大泊瀬について倶馬曾にも行ってもらうことになるからな……。わたしが心にしまっておいたことを、お前にだけは今、話しておく」

「はぁ……」


 久慈は喜んでいいやら分からず、目を瞬かせた。


「これはあくまでも推測だ。邪推といってもいい。わたしはもはや、誰も信じられなくなっているのかも知れぬ。……だが、可能性は捨てきれない。調べれば調べるほど、符号は一致してきた」

「は、いったい何をお調べになってらしたというのです」


 大王は鋭い眼差しをまっすぐ久慈の目に合わせた。


「風羽矢のことだ」

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