第20話
翌日、宮内は皇后の刑の執行のために忙しく、
叱責を覚悟で二人は向かったが、意外にも、待ち受けていたのは
大王は現われた稚武を見て、まず体調を危惧した。
「昨晩はよく休んだか。今日も、無理などしなかっただろうな。顔色は悪くないようだが」
「はい、もうすっかりよくなりました。……ご心配かけて、すみませんでした」
「心配くらいさせなさい。見舞いにも行けずに、すまなかった」
ほっとした顔で大王は言った。久慈も安堵の表情を浮かべている。風羽矢がちらりと見やると、大巫女のしわだらけの顔はぴくりとも動かなかった。
並んだ面子に、少年たちは当初と違う意味で緊張していた。この顔ぶれは、あの「試煉」の時と同じではないか。察したように大王は言った。
「
大王は真面目な目で語った。
「
謙遜でなく、稚武は恐縮した。昨晩、自分は皇子失格だと反省したばかりなのである。
しかし彼の心中など知るよしもなく、大王は続けた。
「この三年間、そなたらは多くを学び、知識を得、そして実戦を経てよく成長した。期待以上だ。……だから今こそ、明かしておきたい」
「はい」
稚武はしっかりと答えたが、ここで大王は瞑目し、なかなか切り出さなかった。だがやがて、何かを見つけたように顔を上げて言った。
「神器の、鏡と玉のことだ」
「はい……。あの」
稚武はでしゃばりかと思ったが、訊かずに済ませられる話題ではなかったので思い切って訊ねた。
「玉というのは、
昨日のにごった稚武の意識の中にも、耳元で叫ぶ
そうだ、と大王は頷いた。
「
「それが失われたから……大王には俺より他に子がないのですね」
大王は一呼吸おいた。
「そうだ。玉が奪われ、呪われたゆえに、皇の血は絶えようとしている。わたしにはもう子は望めまい。……そなたも、今のままでは血を残すことは不可能だろう」
納得できた、と稚武は思った。
今まで、大王が稚武の女嫌いを見逃していた理由。その一つは、「玉」が呪われたままでは問題にならないがためだったのだ。
「
「破壊……ですね」
大王は頷かずに言った。
「破壊とは、すなわち、死だ」
「死?」
初めての言い回しに、稚武と風羽矢は目をぱちくりさせる。
「神器には
いきなり口を開いたのは大巫女だった。彼女はしわがれた声で、ほとんど頬を動かさずに器用にしゃべっていた。
「玉には玉の主、鏡には鏡の主、
大王はいかめしい面持ちで言った。
「それは皇でなくてはならない。決して、倶馬曾であってはならないのだ。しかし、呪われた神器は彼の国に渡っている……そうであったな、大巫女」
ちらりと横目で老婆を見やった大王の目は冷ややかだった。大巫女は少々畏縮して答えた。
「おそれながら……呪われたものとはいえ、神器の光はわたくしには眩しすぎます。ゆえに長き間、その姿をはっきりと捉えることは叶いませんでした。しかし三年前、わたくしは夢占にて隠り処に光を見申しました。それは神器の宿主となるべき男子。剣の主となる星のもとに生まれた皇子さまだったのです」
大巫女の首飾りの玉がしゃらと鳴った。
「同じ光を、十数年前にも見ました。それは、遥か西の彼方……海を越えた、倶馬曾の霊峰の奥深く。その暗闇に神器の光が飛んでいき、やがて見えなくなりました。これは神器がかの国に奪われたことに他なりませぬ。それが玉なのか鏡なのか、それとも二つともなのかは分かりませぬが……」
「倶馬曾の支配者、
久慈の言葉に、大王は頷いた。
「失われた神器のうち、少なくとも一つは倶馬曾の手の渡ったと見て間違いないだろう。そして向こうは、残る神器――そなたの剣を破壊しようとしているはずだ」
稚武は思わず腰の草薙剣に手をかけた。
「剣の主はそなただ、大泊瀬。剣は代々、皇の血筋の正統を確かめるためのもの。皇より他に持つのは叶わぬ。だが、玉と鏡はそうとも限らないだろう。鏡はもともと、禍や穢れを跳ね返す倭の守護であったもの。そして玉は、皇に血の未来を与えるための守りであったものだ。御祝玉として、大王が皇后に贈るための妻問いの宝。そうして生まれた皇太子の守りとなり、幾世にも渡って受け継がれてきたものなのだよ」
「このままでは、皇は皇子の代で絶えまする」
大巫女は物々しく言った。
「神器にかかった呪いを解かなくては、倭は滅びの道をたどるしかないのです。呪いを解くには、破壊が必要。破壊とは、つまり、神器の主の死です」
少年たちは息を呑んだ。
「呪われた神器は
少し疲れを見せて大王は言った。
「呪いを断ち切るには、奪われた玉の主、鏡の主を殺めるしかない。それができるのは同じく剣の主であるそなただけなのだ、大泊瀬」
稚武は顔が冷たくなっていく心地を覚えた。
「では、倶馬曾を攻め、神器とその主を見つけ出し……殺せと」
「それしかないのだ、倭のためには」
大王は視線を下げた。
「神器は誰にでも宿るものではない……相応の呪力の持ち主でなければ。倶馬曾に奪われた神器の主は、女王陽巫女だろうとわたしは睨んでいる。しかし、たとえそうでなくとも、神器は互いを呼び合うもの。近づけばおのずと出会うだろうよ」
そして戦いは避けられない、と言ったのは大巫女だった。
「鏡と玉の神器の主は禍の申し子……。倭を滅ぼすために生まれ、そのためだけにしか生きられない呪われた者です。禍の主を殺めることでしか皇の呪いは解かれないのです」
大王はまっすぐに稚武を見た。
「忘れるな、大泊瀬。ゆえに、禍の子もまた、剣の主であるそなたを破壊しようとする。そなたを殺そうとするだろう。それが分かたれた神器の宿命だ。殺らなれば、殺られてしまうのだよ」
「皇子の死は、すなわち倭の死です」
久慈は取りすがるように言った。
「あなたは倭の民、すべての希望、すべての生命なのです」
「……わかりました」
稚武はぎゅっと草薙剣の柄を握って、大王の目に熱意をもって答えた。
「他の神器の主と戦い、倭を救うことが俺に与えられた使命なら、必ず果たしてみせます。……大王が俺にそれを望むなら、応えてみせます!」
大王の望みなら何でも叶えてあげたい、と稚武は強く思った。父が心から笑えるような日が訪れるように。そのためとあれば何とだって戦う。それができるのが自分だけというなら、これほど光栄なことはない。
そして、それを叶えたそのときにこそ、自分は自信をもって大王を父と呼べるようになる…稚武はそう確信していた。
大王はわずかに頬を緩めた。
「そなたならきっと叶えてくれるだろう。宮古から生まれ、剣を手に取ったそなたは、そのために生まれてきたのだろうから。信じているよ」
「はい」
稚武は力強く答えた。その隣にいた風羽矢は、もじもじしながら物言いたげな目で大王を見ていた。気づいた大王が、どうかしたか、と声をかける。
すみません、と恥じ入ってから、風羽矢は控えめな声で言った。
「失礼なことを申し上げます……。ずっと気になっていたことがあって。あの、二つの神器が奪われたのは、一体いつのことなのでしょうか。稚武が生まれた後のことなのですか? それに、戦場からは程遠い都にあったはずの神器が、どうして倶馬曾に奪われることになったのでしょうか」
大王は無言で目を据わらせた。怒らせてしまったかな、と風羽矢はびくつき、ちらりと久慈に助けを求めると、恐ろしいことに彼の方が厳しい顔をしていた。どうしよう、と心内でおろおろとふためく風羽矢に、助け舟は隣からあった。
「……俺も、もう一つ訊いておきたいことがあります」
稚武は真面目な顔をして言った。
「昨日、皇后がおっしゃっていました。神器の『玉』、八尺瓊勾玉を奪ったのは、大王の兄上様だと。……どういうことですか」
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