第20話


 翌日、宮内は皇后の刑の執行のために忙しく、稚武わかたけ風羽矢かざはやは暇を与えられた。参上せよとの命を受けたのは日が暮れてからのことだった。

 

 叱責を覚悟で二人は向かったが、意外にも、待ち受けていたのは大王おおきみ久慈くじ、そして大巫女だけだった。他の側近やなじみの宰相たちの姿がないのを見ると、これは人払いをさせてあるらしい。


 大王は現われた稚武を見て、まず体調を危惧した。


「昨晩はよく休んだか。今日も、無理などしなかっただろうな。顔色は悪くないようだが」

「はい、もうすっかりよくなりました。……ご心配かけて、すみませんでした」

「心配くらいさせなさい。見舞いにも行けずに、すまなかった」


 ほっとした顔で大王は言った。久慈も安堵の表情を浮かべている。風羽矢がちらりと見やると、大巫女のしわだらけの顔はぴくりとも動かなかった。 


 並んだ面子に、少年たちは当初と違う意味で緊張していた。この顔ぶれは、あの「試煉」の時と同じではないか。察したように大王は言った。

大泊瀬おおはつせ、それに風羽矢。そなたらを呼んだのは、つまらぬ説教をするためではない。……話しておかねばならぬ事がある」


 大王は真面目な目で語った。


倶馬曾クマソへの遠征ももう間近だ。大泊瀬、そなたにはすでに軍を任せられるだけの力量が備わっていると思う。もちろん久慈を将としてつけるが」


 謙遜でなく、稚武は恐縮した。昨晩、自分は皇子失格だと反省したばかりなのである。


 しかし彼の心中など知るよしもなく、大王は続けた。


「この三年間、そなたらは多くを学び、知識を得、そして実戦を経てよく成長した。期待以上だ。……だから今こそ、明かしておきたい」

「はい」


 稚武はしっかりと答えたが、ここで大王は瞑目し、なかなか切り出さなかった。だがやがて、何かを見つけたように顔を上げて言った。


「神器の、鏡と玉のことだ」

「はい……。あの」


 稚武はでしゃばりかと思ったが、訊かずに済ませられる話題ではなかったので思い切って訊ねた。


「玉というのは、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまというものですよね。それは……大王家の御祝玉みほぎだまだったのですか」


 昨日のにごった稚武の意識の中にも、耳元で叫ぶ中菱姫なかひしひめの声は響いていた。あの時、彼女は泣きながら言ったのだ。子供ができないのは自分のせいではなく、皇の御祝玉が失われたせいなのだと。


 そうだ、と大王は頷いた。


あまつ神の末裔である皇の血は重い。ゆえに神器の一つ、八尺瓊勾玉は、日嗣ひつぎに代々受け継がれてきた特別な御祝玉だ。あれなくしては子に恵まれぬ。大王家の繁栄と存続のためには、不可欠な勾玉だ」

「それが失われたから……大王には俺より他に子がないのですね」


 大王は一呼吸おいた。


「そうだ。玉が奪われ、呪われたゆえに、皇の血は絶えようとしている。わたしにはもう子は望めまい。……そなたも、今のままでは血を残すことは不可能だろう」


 納得できた、と稚武は思った。


 今まで、大王が稚武の女嫌いを見逃していた理由。その一つは、「玉」が呪われたままでは問題にならないがためだったのだ。


すめらぎの血を未来へ伝え、やまとを導くためにも、我らは玉にかかった呪いを解かなくてはならない。――呪いを解く方法は、ただ一つ」

「破壊……ですね」


 大王は頷かずに言った。


「破壊とは、すなわち、死だ」

「死?」


 初めての言い回しに、稚武と風羽矢は目をぱちくりさせる。


「神器にはぬしがおりまする」


 いきなり口を開いたのは大巫女だった。彼女はしわがれた声で、ほとんど頬を動かさずに器用にしゃべっていた。


「玉には玉の主、鏡には鏡の主、つるぎには剣の主が、その神力を宿らせて神器と一つになるのです。まさに今、皇子が剣の主であられるように。……そして、倭の真の王となれるのは、神器をそろえ、三種の宿主となれた者だけなのです」


 大王はいかめしい面持ちで言った。


「それは皇でなくてはならない。決して、倶馬曾であってはならないのだ。しかし、呪われた神器は彼の国に渡っている……そうであったな、大巫女」

 ちらりと横目で老婆を見やった大王の目は冷ややかだった。大巫女は少々畏縮して答えた。


「おそれながら……呪われたものとはいえ、神器の光はわたくしには眩しすぎます。ゆえに長き間、その姿をはっきりと捉えることは叶いませんでした。しかし三年前、わたくしは夢占にて隠り処に光を見申しました。それは神器の宿主となるべき男子。剣の主となる星のもとに生まれた皇子さまだったのです」


 大巫女の首飾りの玉がしゃらと鳴った。


「同じ光を、十数年前にも見ました。それは、遥か西の彼方……海を越えた、倶馬曾の霊峰の奥深く。その暗闇に神器の光が飛んでいき、やがて見えなくなりました。これは神器がかの国に奪われたことに他なりませぬ。それが玉なのか鏡なのか、それとも二つともなのかは分かりませぬが……」

「倶馬曾の支配者、陽巫女ヒミコという女王は険しい山奥の宮に暮らしているといいます」


 久慈の言葉に、大王は頷いた。


「失われた神器のうち、少なくとも一つは倶馬曾の手の渡ったと見て間違いないだろう。そして向こうは、残る神器――そなたの剣を破壊しようとしているはずだ」


 稚武は思わず腰の草薙剣に手をかけた。


「剣の主はそなただ、大泊瀬。剣は代々、皇の血筋の正統を確かめるためのもの。皇より他に持つのは叶わぬ。だが、玉と鏡はそうとも限らないだろう。鏡はもともと、禍や穢れを跳ね返す倭の守護であったもの。そして玉は、皇に血の未来を与えるための守りであったものだ。御祝玉として、大王が皇后に贈るための妻問いの宝。そうして生まれた皇太子の守りとなり、幾世にも渡って受け継がれてきたものなのだよ」

「このままでは、皇は皇子の代で絶えまする」


 大巫女は物々しく言った。


「神器にかかった呪いを解かなくては、倭は滅びの道をたどるしかないのです。呪いを解くには、破壊が必要。破壊とは、つまり、神器の主の死です」


 少年たちは息を呑んだ。


「呪われた神器はわざわいを呼ぶ」


 少し疲れを見せて大王は言った。


「呪いを断ち切るには、奪われた玉の主、鏡の主を殺めるしかない。それができるのは同じく剣の主であるそなただけなのだ、大泊瀬」


 稚武は顔が冷たくなっていく心地を覚えた。


「では、倶馬曾を攻め、神器とその主を見つけ出し……殺せと」

「それしかないのだ、倭のためには」


 大王は視線を下げた。


「神器は誰にでも宿るものではない……相応の呪力の持ち主でなければ。倶馬曾に奪われた神器の主は、女王陽巫女だろうとわたしは睨んでいる。しかし、たとえそうでなくとも、神器は互いを呼び合うもの。近づけばおのずと出会うだろうよ」


 そして戦いは避けられない、と言ったのは大巫女だった。


「鏡と玉の神器の主は禍の申し子……。倭を滅ぼすために生まれ、そのためだけにしか生きられない呪われた者です。禍の主を殺めることでしか皇の呪いは解かれないのです」


 大王はまっすぐに稚武を見た。


「忘れるな、大泊瀬。ゆえに、禍の子もまた、剣の主であるそなたを破壊しようとする。そなたを殺そうとするだろう。それが分かたれた神器の宿命だ。殺らなれば、殺られてしまうのだよ」

「皇子の死は、すなわち倭の死です」


 久慈は取りすがるように言った。


「あなたは倭の民、すべての希望、すべての生命なのです」

「……わかりました」


 稚武はぎゅっと草薙剣の柄を握って、大王の目に熱意をもって答えた。


「他の神器の主と戦い、倭を救うことが俺に与えられた使命なら、必ず果たしてみせます。……大王が俺にそれを望むなら、応えてみせます!」


 大王の望みなら何でも叶えてあげたい、と稚武は強く思った。父が心から笑えるような日が訪れるように。そのためとあれば何とだって戦う。それができるのが自分だけというなら、これほど光栄なことはない。


 そして、それを叶えたそのときにこそ、自分は自信をもって大王を父と呼べるようになる…稚武はそう確信していた。


 大王はわずかに頬を緩めた。


「そなたならきっと叶えてくれるだろう。宮古から生まれ、剣を手に取ったそなたは、そのために生まれてきたのだろうから。信じているよ」

「はい」


 稚武は力強く答えた。その隣にいた風羽矢は、もじもじしながら物言いたげな目で大王を見ていた。気づいた大王が、どうかしたか、と声をかける。


 すみません、と恥じ入ってから、風羽矢は控えめな声で言った。


「失礼なことを申し上げます……。ずっと気になっていたことがあって。あの、二つの神器が奪われたのは、一体いつのことなのでしょうか。稚武が生まれた後のことなのですか? それに、戦場からは程遠い都にあったはずの神器が、どうして倶馬曾に奪われることになったのでしょうか」


 大王は無言で目を据わらせた。怒らせてしまったかな、と風羽矢はびくつき、ちらりと久慈に助けを求めると、恐ろしいことに彼の方が厳しい顔をしていた。どうしよう、と心内でおろおろとふためく風羽矢に、助け舟は隣からあった。


「……俺も、もう一つ訊いておきたいことがあります」


 稚武は真面目な顔をして言った。


「昨日、皇后がおっしゃっていました。神器の『玉』、八尺瓊勾玉を奪ったのは、大王の兄上様だと。……どういうことですか」

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