第48話
咲耶が目覚めたとき、先に起きていた二人はさっさと焚火のあとを片付け、出発の準備を始めていた。すでに東の空は明るい。
「やあ、おはよう」
起き上がった咲耶に気づいて、桐生がにこやかに言った。
「よく眠っていたね。少しは疲れが取れたかい」
咲耶はおずおずとして答えなかった。
「まずは何か食べた方がいいかな。君は昨日もあまり食べなかったからね。――稚武、川が近くにあったろう、水を汲んできてくれ」
「なんで俺が」
焚火の焼けあとを蹴って片付けていた稚武は、憮然として振り向いた。だが、桐生にさらに促されて、竹筒を片手に渋々と川のほうへ向かって行った。
咲耶は内心ホッとした。稚武という若者は物言いが冷たくて、どうにも苦手だった。それに比べてこちらの桐生は、穏やかで優しく、男といっても無闇に警戒心が先に立つことはなかった。昨日あれだけ親切にしてもらったこともある。
無言で座り込む咲耶に、桐生はできるかぎり温和に訊ねた。
「さてと……一つ、訊いていいかな。君はどこに行こうとしていたんだい」
咲耶は瞬いて桐生を見た。困ったことに、いくら探しても答えが見つからない。しかたなく黙っていたが、桐生はいつまでだって答えを待っているつもりのようだった。
沈黙の後、ぽつりと咲耶は言った。
「……探し物をしているんです」
「探し物?」
やっと口をきいてもらえたことに安堵した表情で、桐生は尋ねた。
「なにかな」
「……『剣』と『鏡』……」
ここで咲耶ははっとして勢い込んだ。
「そうだ。あなたたちは旅をしてきたのでしょう、ずっと東から。――ねぇ、どこかで神器の話を聞かなかった? 倭の帝王が手にするという『剣』と『鏡』が、どこにあるか。ちょっとした噂でもいいから、聞いたことはない?」
とたんに桐生が顔色を変えた。
「……神器だって。なぜ、そんなものを探しているんだ」
「必要なの。どうしても必要なの――
「禍の王?」
咲耶は勢いのままに告げた。
「わたしの里は禍の王のせいで滅びたの。帰るところなんかないわ。わたしにはもう使命しかないのよ、禍の王を殺して、みんなの仇を討つ。
さすがに口をすべらせたことに気づき、我に返った咲耶は恐る恐る桐生の顔を見た。やはり彼は面食らったような、それでいて厳しい目つきをしていた。
「陽巫女? それって確か、倶馬曾の女王だったはずじゃ……」
桐生は咲耶を覗き込んだ。
「仇って、じゃあ、まさか殺されたのか」
「……そうよ」
敵がいたら睨み殺せそうな目で、咲耶は言った。
「禍の王と
「咲耶、君は女王に仕えていた人なのか。陽里というのは、山奥にあるという女王の宮があるところ? ……それで殺されそうになって、逃げてきたところなんだね」
細かなところまで訂正を入れる気にならず、咲耶は頷いた。
「そうか……。けれど、なぜ、仇討ちに神器が必要なんだ。禍の王とはどういう奴なんだい」
「『玉』を持っているのよ。神器の『玉』を。だから、残り二つをそろえなきゃ勝てないの」
桐生は無言で目を見開き、今度こそただ事ではない表情をした。
「『玉』だって……。『玉』を持つ者が、倶馬曾の女王を殺したっていうのか」
「そうよ。倶馬曾だけじゃない、禍の王は倭を滅ぼすの。だからその前に、わたしが討たなきゃいけないの」
桐生は片手で口を覆い、青くなって咲耶を見下ろしていた。
しんとした沈黙が下りる。
そこへ、竹筒いっぱいに水を汲んできた稚武が戻ってきた。
「おーい、待ってきてやったぞ」
重苦しい雰囲気になど気づかず、ずかずかとやってくる。
桐生は、咲耶の警戒心を解くために稚武を遠ざけたつもりだった。だが……。危うい橋を、そうと気づかない間に渡りきったことに、背筋がぞっと冷たくなる。
「……今の話、稚武には言わないでやってくれ」
そっと耳元でささやかれ、咲耶は顔を上げた。だが、桐生は何もなかったように笑って稚武に駆け寄っていってしまった。
「ありがとう、悪いな」
「ほら」
仏頂面の稚武から竹筒を受け取りながら、桐生は表情をひそめて小声で言った。
「稚武、倶馬曾の女王が殺されたらしい。咲耶は女王の里の生き残りだといっている」
稚武は息を呑んで桐生を見上げた。桐生は眉元を歪めて頷く。
「どうする。とりあえず都に行って、事の真相を確かめるのが先決だと、俺は思うが」
稚武はまだ信じられないような眼差しでいたが、ようやっと頷いた。
「わかった……そうだな。その争いに風羽矢が巻き込まれていたら大変だ。倶馬曾が滅びるということは、愛比売さまも言っていた。本当だったんだな……」
顔を上げて稚武は言った。
「確かめよう。倶馬曾が滅ぶとなれば、秋津国にとっても大事だ」
「よし」
桐生は頷き、咲耶に向かって大きな声で言った。
「俺たちはこのまま都に向かうけれど、君はどうする。近くの人里までなら、送っていくよ」
咲耶はしばらく考え、はっきりと答えた。
「あなたたちについていくわ。わたしも
日向は倶馬曾の都であり、陽巫女の託宣を得て政の実務を行っている大都市だった。あそこに行けば、禍の王や
それと、もう一つ。なぜ先ほどの話を稚武にしてはいけないのか――桐生は何か知っているのではないか? このことを後できっちり問いただすためにも、桐生について行こうと決めたのだった。
「やっぱり仇を討つつもりなのか。やめておけって言ったのに」
苦りきって言う稚武に、咲耶はむっとして返した。
「あなたには関係ないわ。わたしの勝手でしょう。わたしにしかできないことなんだから」
「まぁまぁ、いいじゃないか、稚武」
おおらかに桐生が言った。
「俺たちが放っておいても、この子は都まで来るだろうよ。だったら女の子に一人旅をさせるより、一緒にいてやるべきだろう」
「桐生兄」
稚武は不服を唱えた。
「俺たちの旅に、他人を巻き込むべきじゃないっていうことを忘れたのか」
「咲耶はお前が連れてきたんだ。もう一緒に飯も食った仲だし、他人とは言いがたいな」
「屁理屈だ。桐生兄は女に甘い。
稚武は怒っていたが、桐生が一度決めてしまったことは覆らないと、身をもってよく知っていた。しかたなく、こちらも譲る気がないらしい咲耶に向かって言った。
「俺たちについてきたら、どんな目に遭うか分からないぞ」
「かまわないわ。わたしにはもう怖いものなんてないんだから」
「後悔しても知らないからな。あとで文句を言うなよ」
「言うもんですか、馬鹿にしないで」
頑固に言った咲耶に、とうとう稚武は諦めたようだった。
「なら、さっさとその都に行こう。少しの時間も惜しいんだ」
麻袋を肩にさげ、ぶすくれた様子の稚武に、咲耶はふと尋ねた。
「そういえば、あなたたちは日向に何をしに行くの」
「人探し」
そっけない答えに、桐生が苦笑して付け足した。
「俺たちの弟でね、風羽矢というんだ」
ふぅん、と咲耶は納得したようなしないような、曖昧な返事をした。実のところはどうでも良かった。
桐生は微笑みながら、その弟こそが『玉』の主であり、秋津でも倶馬曾でも禍と呼ばれている少年だということを、胸の奥深くで思った。彼を仇と呼ぶ咲耶に明かすわけにはいかない。そして、風羽矢と一緒に秋津に帰れると信じて疑っていない稚武にも、言えるわけがなかった。
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