第47話
夕陽が緩やかに差す森の淵に、咲耶は立っていた。
目の前にあるのは、わずかに盛り上がった土くれだった。それだけが、この下に愛しい人の亡骸が眠っていることを語っているのだと思うと、どうしようもなく寂しかった。
だが、咲耶はもう泣いてはいなかった。とうとう涙が枯れてしまったと思いながら、黙って呼々の墓を見つめていた。手には、ただ一つ遺された懐剣。
(呼々……)
胸のうちで咲耶は呼びかけた。
(どうか見ていて。あなたの仇はわたしが討つわ。
たとえ肉体が滅んでも、魂はつねに共にある。今、呼々の言葉は真実であると心で感じることができた。呼々はそばにいてくれる。いつでも。
(わたしたちは一つよ、呼々)
咲耶はおもむろに懐剣を鞘から抜き、束ねられていた長い髪を肩の下で切った。膝近くまであった自慢の髪はざくっと切り離され、手に掴みきれなかったいくらかが地に落ちた。
いつも呼々に優しく撫でられていた髪。だけど、もう、二度とその手が触れることはない。
(わたしは戦士になるわ……。禍の王を討つのに巫女である必要はない。巫女のままでは剣を持って戦えない。だからわたしは、呼々と同じ、
肩下の髪の長さは、呼々と同じだった。
(もう泣かない。立ち止まらないで、禍の王を討つことだけを考える。そのためだけに生きるわ)
切り落とした髪の毛を大きな葉で包み、墓の中に埋めた。ここは呼々の墓であると同時に、甘えた姫巫女の墓となった。
(探さなくちゃ……神器を)
禍の王の持つ『玉』を打ち砕くことのできる、『剣』と『鏡』をそろえなくては。そして一刻も早く、仇を討たなくては。
それは途方もないことのように思っていたが、今はどんな困難にだって立ち向かってやろうという気になっていた。もう失うものなど何一つないのだ。守るべきものがなければ、恐れることなどあるはずがなかった。
ふいに甘い花の香りがして振り返ると、稚武がきょとんとして立っていた。いきなり咲耶の髪が短くなっていたからだろう。だが、すぐに得心がいったように物憂いげな顔になった。
咲耶が驚いたことには、稚武は両手いっぱいに花や色鮮やかな紅葉を持っていた。
彼は無言のまま呼々の墓の前まで来ると、桔梗や萩の花をどさりと置いた。それは、死者へのせめてもの手向けに違いなかった。
――桐生という若者は、咲耶が呼々の亡骸を抱いてひとしきり泣いた後、よく覚えていないが色々と慰めの言葉をかけてくれ、墓を作るのも手伝ってくれた。そして味気ないちんまりとした塚ができあがると、気をつかってくれたのであろう、姿は見えないが声の届くところで野宿の用意を進めている。
しかし稚武は、一言も口を開かず、墓作りの手伝いもそこそこに、ふらふらとどこかへ消えてしまったのだ。恨みがましくまでは思わなかったが、情の薄い人間だと思っていた。
けれど。
「ありがとう」
一気に花であふれ返った墓に目を丸くしながら、咲耶は言った。
「ずっと探してきてくれていたの、こんなに」
稚武は頷きもしないで座り込んだ。
「どうして髪を切った。仇でも討つつもりか」
「――そうよ」
凍ったような声音になって咲耶は答えた。
「わたしには使命があるの。だから、甘ったれの部分を切り捨てたの」
「馬鹿だな」
呆れたような苦々しい言い様に、咲耶はカチンときてくってかかった。
「馬鹿とはなによ。あなたなんかに何が分かるの。わたしたちがどんな目にあったかも知らないくせに」
「知らなくても、お前に仇討ちなんて無理だってことは一目で分かるよ。諦めたほうがいい」
咲耶はかっと頬が熱くなるのを感じた。
「諦めろですって。簡単に言わないで。わたしにはそれにしか残っていないんだから」
「そんな細腕じゃ返り討ちにあうだけだ。……彼女も、お前に死んでまで仇を討ってほしいとは思っていないだろう」
「なによ―」
咲耶がさらに言い返そうとしたのを、弱り顔でやってきた桐生がとめた。
「そこまで。いいから二人とも、こっちに来て飯を食えよ」
「おう」
稚武はため息混じりに焚火の元へと向かって行った。しかし、咲耶はすぐについていく気にならなかった。察したように桐生が穏やかに言った。
「咲耶。君も、今夜は、腹にものを入れてもう休んだ方がいい。女の子が無理をしちゃいけないよ」
「……はい」
頷いたものの、彼らに一分の隙さえ見せるわけにはいかないと咲耶は思っていた。しかし、木の実をいくつか口にしてみると、津波のように眠気が襲ってきて、駄目だと分かっているのに木の幹に背を預けて寝入ってしまった。それでも、懐剣だけはしっかりと手に抱きしめて。
「……寝たか」
火にあたりながら、稚武が咲耶を横目で見やる。桐生はまた枯木をくべた。
「疲れているんだろう。そっとしておけよ」
「まったく、妙なものを拾っちまった」
うなだれるように稚武は言った。
「これからどうする、こいつ」
「さすがに放って行くわけにはいかないからな。どこから来たのか、朝になったら聞いてみよう。迷子だというなら、送ってあげるのが人の道というものだ」
「のん気だな、桐生兄。俺たちも迷子だって忘れてないか」
揺れる炎を見つめながら、稚武は腰の厚布にくるまれた剣に手を置いた。
「のんびりと寄り道をしている暇はないんだ。早く都に行かなきゃ。
ちら、と視線を眠りこくる少女に向ける。
「そいつは、どこか近くの村にでも預ければいいさ。迷子だっていうなら、その村の誰かが送ってくれるよ、きっと」
「お前をそんな薄情な男に育てた覚えはないぞ、俺は」
顔をしかめて桐生は言った。
「だいたい、お前が連れてきた子だろう。どこで見つけたんだ。お前が女の子に声をかけるなんて、今までなかったのに」
「女だとは思わなかったんだ」
言い訳しているような気分になって、稚武は拗ねた顔をした。
「木の根元に隠れていたんだよ。泥だらけで小さくなって。男のガキかと思った。立ち上がらせたら髪の毛が長くてびっくりしたよ」
「へえ、隠れていたのによく見つけたじゃないか」
「呼ばれたんだ」
さらりと答えてから、「あれ?」と稚武は首をかしげた。
「そうだったっけな……どうだったろう」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
桐生は思い切り眉根を寄せる。それから、頬杖をついて言った。
「とにかく……詳しいことは、明日、あの子に話を聞いてから決めよう。見捨てていくわけにもいかないが、俺たちも気軽に他人を連れて行ける旅をしているわけじゃないからな……。行くところがないと言ったら、せめて近くの人里まで送って行ってやろう。それでいいな」
「ああ、いいよ……」
気のないように答えながら、稚武は地べたにねそべった。そしてそのまま、どこか幼い顔を火の影にのぞかせて、くうくうと眠ってしまった。
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