第14話



 稚武わかたけが自分の女嫌いに悩んでいることを、風羽矢かざはやはこっそり久慈くじに相談してみた。久慈もまた独身であったのだ。


 久慈は楽しげに笑った。


「そうですね。皇子みこももう一人前の男であられる。女性が必要な夜もありましょうが…どうやら、そのような雰囲気は微塵もありませんね。誰か胸に秘めた女性がおられるということは?」

「ないと思います…」


 風羽矢は少々自信なく答えた。


 稚武と親しい少女といえば、幼い妹分である那加女なかめ加那女かなめと、姉代わりであった五十鈴いすずぐらいなものだ。


 女性全般で言えば、母の真鶴まづや里のおばちゃんたちであるが……稚武が彼女たちに特別な感情を隠し持っているとは考えにくかった。五十鈴は美人で優しい娘だが、それでも稚武の目には身内としか映っていなかっただろう。


「早くに母を亡くした子が、それを求めて好色になるという話は聞きますがね。皇子は逆なのでしょうか」


 そこで久慈は気づいた。


「そういえば風羽矢、あなたも皇子と同じ歳でしょう。あなたはどうなのです? 誰か心惹かれる女性などはいないのですか」

「いません」


 風羽矢はすこし首を傾げながら言った。


「でも、僕は……女の人に好きといわれたら嬉しいし、いつか恋というものをしてみたいなぁとは思ったりするんです」


 風羽矢の夢は稚武が帝王になるのを側で見届けること。だがそれとは別のところで、ささやかな家庭を持つということも夢の一つだった。妻と、賑やかな子供たち。自分が孤児という身の上のためか、血のつながった家族というものに憧れがあるのだった。


「だけど稚武は、そういうふうにも思えないみたいで。大王はまだ出会いがないだけだとおっしゃっていましたけど……そういうものなんでしょうか」


 そうですね、と久慈は笑った。皇子も風羽矢もなんて青い若者なのだろう、と微笑ましく思う。


「人には運命の相手というものがいるのかもしれません。皇子はそれを待っていらっしゃるのかもしれませんね……。まぁ、わたしみたいに、ぼけっとしている間に逃してしまううっかり者もいるかもしれませんが。これでも昔は女泣かせでならしたものですがねぇ」


 ハハハ、と久慈は乾いた笑いをした。彼は男ぶりが良いので、今も女に不自由はしていないようだったが、もう結婚する気はなくしているらしかった。


 風羽矢は苦い顔をした。


「僕、稚武がちゃんと気づけるか心配なんです。もし、せっかく運命の人と出会ったのにいつもの調子で冷たくあしらっちゃったらどうしよう、って」


 同い年の親友にここまで心配されるとは。やれやれ、と思いながら久慈は言った。


大王おおきみも昔はそうでしたよ」


 周りに人影はなかったが、久慈は声音をひそめた。


「お若くして中菱姫なかひしひめと結婚なさり、妃様も他に何人かおありでしたが……。大王はいつも冷めておられました。結婚するのは皇子の義務だとおっしゃって、結婚したのだから自分はたぶん妃を愛しているのだろう、とどこか他人任せな心持でいらっしゃったのです。…変わられたのは、宮古みやこ殿にお会いになったときですよ」


 久慈はにんまりと笑った。


「大王は、ただの女中として宮に上がってきた宮古殿に夢中になりました。あの変貌ぶりにはわたしも驚かされたものです。生来不器用な性格のおかたですが、持ちうる限りの情熱のすべてを宮古殿に注いでおられました。そして愛し合っておられた……」


 懐かしむように目を細め、久慈は言った。


「その大王と宮古殿のお子なのですから、大丈夫でしょう。皇子もきっと良い出会いをなさいますよ。ここは、じっくりと見守りましょう」


 はい、と半信半疑ながら、風羽矢は一応納得したようだった。


 その複雑な表情を見て、久慈は若い頃の自分を重ねた。このままいくと、彼も自分と同じ轍を踏むような予感がしたのだった。


「風羽矢、わたしはあなたの方が心配ですよ。皇子の側近として、恋愛にうつつを抜かすのもどうかと思いますがね、他人の恋愛にばかりかまけていると、自分の婚期を逃しますよ」


 そうは言ったが、久慈は自分の独身を憂えているわけではなかった。自分の一生は大王のためにある。妻子のあるなしなど大した問題ではないのだった。



 しばらくして、稚武と風羽矢の二人は椅子に座っての学習も受けるようになった。文章や数学、そして政治についての勉強が始まったのである。


 久慈のほかに何人もの教師がやってきて、代わる代わるおびただしい量の知識を二人に詰め込んでいった。教師の中には大陸からの渡来人も何人かおり、最先端の医学や本場の易学も学ぶことが出来た。


 並行して、立ち居振る舞いなどの作法も叩き込まれるようになった。稚武はこれに泣いた。型にはめられたとおりに細やかに動くのが、どうも性に合わないのだった。


 その上、武術の修行も終わったわけではなかった。こちらは日々の訓練を怠るわけにはいかないのである。新しく来た師範に、二人は前にも増してしごかれ、毎晩くたくたになって夢もみずに寝た。


 

 学習を重ねていくうちに、二人の嗜好の傾向に差がでてきた。稚武は兵法や数字、地理などに興味を持ち出し、風羽矢はもっぱら紀伝や文章などを好むようになった。


 だが新しいもの好きなのはお互い変わらず、教えられたことを吸収するのはずいぶん速かった。それを喜ぶ教師もいれば、嫌な顔をして汗をかく者もいたが。


 いつしか二人は、施政者に必要なあらゆる学問をその若い頭脳に刻みこんでいった。

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