第50話

「まいったな……」


 宮の門から数歩距離を置いたところで、早くも三人は行き詰っていた。


 正面の大門には当然のごとく衛兵が置かれており、入っていく役人たちをいちいち調べ改めているのである。通行手形が必要らしい。裏手に回ってみても、人の気配はないもののやはり見張り番がいた。


 裏門を臨める紅葉林にひそみ、三人はあれこれと策を出し合った。しかし見込みのある案はなかなか出ない。時間だけがむなしく過ぎ、陽が傾き始める。


 しだいに焦りが募ってきた沈黙の中で、それまでうぅん、と難しい顔をしていた稚武が、ひらめいたようにポンと手を叩いた。


「よし、これしかない。――咲耶、お前が行って番兵たちの気をひいていろ。その隙に俺たちが入り込むから」

「気を引くって、どうすればいいの」


 自信ありげな稚武に、どんなすばらしい策だろう、と咲耶はわくわくして問うた。しかし、稚武はけろりと言った。


「女は色じかけをするものと、昔から決まっているだろう」

「ふざけないで」


 どかんと咲耶は噴火した。


「あなたは女をなんだと思っているの。馬鹿にしないでよ。もう我慢の限界だわ!」


 怒りに任せて怒鳴り、咲耶は二人に背を向けて、ずかずかと立ち去ってしまった。


 耳元でがなられ、鼓膜がはちきれる思いをした稚武に、さらに桐生がごつとゲンコツを食らわせる。


「今のはお前が悪い。それでなくたって咲耶は巫女さまだったというのに。女を大事にしない国は滅ぶぞ、気をつけろよ」


 稚武は殴られた頭を不満そうにさすり、無言で唸った。


「おら、追いかけるぞ。どうしてお前はそう、女の子に思いやりがない、ん、だ……」


 言いかけながら咲耶の立ち去った方を向き、桐生は口をあんぐりと開けた。不思議に思って稚武もそちらを見やると、我知らず兄と同じ表情になる。


 目にした光景の衝撃に、二人は言葉を失った。なんと、咲耶が門番にくってかかっているのだった。


「いいから通してったら。人を探しているんだって言っているでしょう」

「なんだぁ、このおちびちゃんは」


 二人の番兵は眉間にしわを寄せ、背の低い咲耶をじろじろと眺める。腹の底から不審がっているのがよく分かった。


「帰んな。ここは子供の遊び場じゃないんだぞ」

「誰が子供よ。さっさと中に入れてちょうだい」

「いいかい、ここはな、偉いお役人さましか入れねぇんだわ。おじょうちゃんの探し人は中にゃいないよ。他をあたりな」

「いいえ、いるわ――いるんでしょう、中に、穂尊ホタカが!」


 声を張り上げた瞬間、兵たちの顔に険しさが走った。


「穂尊さまはいらっしゃらねぇ。昨夜、阿依良アイラの宮にお帰りになった。だが、おめぇ、いったいどこの者……」

「いやぁ、すいませんっ」


 にぱ、と満面の笑みで稚武が駆けつけ、咲耶を押さえ込む。そして、疑いの目を強くした兵たちに、これでもかと人当たりのよい笑顔を振りまいて早口に言った。


「ちょっとこいつ、酒が入ってるもんで。まったく弱いのに呑むからだめなんですよねぇ。兵隊さんたちに迷惑かけて、本当にもうしわけない。すぐ連れ帰ってよぅく言い聞かせますから、子供の悪戯だと思って許してください」


 もごもご、と何か文句を言いたそうな咲耶の口を力いっぱい塞ぎ、稚武は引きつった笑顔のまま、くるりと回れ右をする。


「じゃ、僕らはこれで」

「待て」


 案の定、がし、と袖をつかまれてしまった。


「ますます怪しいな。聞いたことのねぇ訛りだ。そっちの娘とも違う。お前、どこの者だい」


 無理やり振り向かされた稚武は、渋い顔で押し黙る。番兵たちは彼の顔をじっと覗き込み、さらに怪訝そうな顔をした。


「へぇ、刺青がねぇな……。倶馬曾に、刺青をしない一族なんてあったか」

「こっちの石も珍しいもんだ。桜みてぇな色してる」


 男の腕が胸の御祝玉に伸びた瞬間、稚武はすばやくその手を払いのけた。


「触るな」


 低い声と、きつい眼差し。


 番兵の顔が見る間に赤くなる。


「なんだ、このガキ―」


 男たちが声を荒げて襲いかかってくる。稚武は返り討ちを喰らわせるつもりだったが、それは無用だった。後ろからぬっと現われた桐生が、彼らの頭をつかみ、互いに頭突きさせたのである。ゴッという鈍い音の後に、兵たちは白目を向いて崩れ落ちた。


「なんだ、弱いじゃないか。口ほどにもない」


 桐生は呆れたように言い放ち、男たちを見下ろしてため息をついた。最近は落ち着いたとはいえ、桐生は間違いなく稚武たちの育ての親であった。稚武と風羽矢の無鉄砲ぶりも、元はといえば桐生譲りなのである。


「桐生兄」


 兄に向けてホッとした表情を見せたかと思うと、稚武はじろりと咲耶を睨んだ。


「お前な、なんて危ないまねをするんだ。自覚がないのか」

「あなたがふざけているからじゃない。いつまでもぐずぐずしているから」

「なんだと」

「なによ」


 またしても騒がしくけんかを始めた二人に、桐生が割って入る。


「おら、つまらん言い争いをしている時間はないぞ」


 泡を吹いて倒れている番兵たちを見やり、桐生は真面目な面持ちになった。


「こうなったからには仕方ない。せっかくだ、今のうちに入り込もう。制限時間は、こいつらが目を覚ますか、交代が来るかまでだな」


 稚武と咲耶は口をつぐみ、同時に頷いた。



 気絶している番兵たちを木に縛りつけたあと、三人はひっそりと門の中に侵入した。


 西から茜色の陽が差している。秋の日が沈むのは早い。このままどんどん日が暮れれば、薄闇の中を歩き回れるだろう。絶好の時間帯だ。


 茂みの陰に隠れ、桐生が小声で提案した。


「三人では動きにくい。二手に分かれよう。――稚武、一人で行けるな」


 こくん、と稚武は頷く。しかし咲耶は納得いかないようだった。


「どうして? ばらばらになってしまったら、逃げるときどうするの」

「どうにかなるさ」


 稚武はきょろきょろと辺りを見回しながら言った。


「咲耶、桐生兄から離れるなよ、いいな」


 それだけ言うと、彼は殿に向かって駆け出した。送り出すように桐生が忠告する。


「無茶はするなよ」

「わかってる」


 後ろ手を片方上げただけで、稚武は行ってしまった。


 咲耶は不安を感じずにはいられなかった。走り去る後ろ姿が、死にに出て行った呼々を思い出させたのである。


(行ってしまう――行ってしまう、みんな)


 行ってしまったら、もう二度と戻ってこない。


「大丈夫だよ、稚武は」 


 不安が顔に出ていたのか、桐生が笑って言った。


「風羽矢を探すのは、稚武に任せておいた方が早いんだ。俺たちがついていけば足手まといなんだよ、逆に。あいつらには絆があるから」

「……きずな?」

「色々とね」


 桐生は頷き、それ以上詳しくは言わなかった。そして咲耶が問いを重ねるより早く、話題を変えた。


「さぁ、俺たちも動こう。時間は短いぞ。――咲耶、君は神器を探したいんだろう」

「そうだわ」


 ハッとして咲耶は言った。穂尊のことで頭の中がいっぱいで、つい神器のことを隅においやってしまっていた。


「桐生、協力してくれるの?」


 咲耶の期待に満ちた目に、桐生はわずかに微笑んで頷いた。


「ここまで来て、君を見捨てはしないよ。それに、俺もちょっと見てみたいんでね、神器の『鏡』というやつを」

「ありがとう。ここにあるかは分からないけれど、確かに探す価値はあるわよね。広いこの倶馬曾の、都なんだもの。物も人も自然と集まってくるんだわ、きっと」


 花形の痣を掴むように、咲耶は手を握り締めた。


(穂尊は阿依良にいる……)


ここで討てなかったのは残念だが、もう居場所は分かっている。焦ることはない、と咲耶は自分に言い聞かせた。


(まずは陽巫女さまがおっしゃったとおり、神器を集めよう。日向に同志を見つけることはできなかったけれど、桐生もいてくれることだし、落ち込んではいけない。そんな暇はないんだわ)


 夕闇が迫る中、二人は人の気配に注意しながら、そろそろと茂みを抜け出した。


 もし、ここに『鏡』があるとしたら――桐生は、自分がどうするべきなのかわからずにいた。風羽矢が持つ呪われた『玉』、稚武が持つ破壊の『剣』。では、『鏡』は何の力を持つのか。


 救いであったら嬉しい、と思う。


 神器のことに関して、桐生にできることは、触れずにただ祈ることだけなのだ。そんな自分に歯がゆさを覚えながら、桐生は考えていた。なんにせよ、咲耶に渡していいものではない、と。


 目指すは宝物殿である。二人はまず、ぼけっとしているような女官でも捕まえ、その在りかを聞き出そうという作戦に出た。そば近くの殿の陰にひそみ、手ごろな人物が通りかかるのを待つ。


 じわじわと沈んでいく太陽に、宮は静かに暗くなっていく。足元にまで夕闇が迫ってくる。しかしじれったいことに、なかなか手の出せそうな人物は見えなかった。というよりまず、人影そのものが少ないのだ。


(夕暮れだから、みんな帰ってしまったのかしら……)


 待つのをやめ、いっそこちらから出向いていった方がいいのではないか。


 咲耶の考えをよんだのか、桐生がひそやかに言った。


「焦るなよ、さっきので懲りてないのか」

「でも、らちが明かないわ、このままじゃ」

「……確かに人が少ないな。ここは都なんだろう。日暮れといっても、もっと賑わっていそうなものだが。首長がいなくなったからか……」


 主人を失った家というのは、言いようもなく寂しいものだ。


 しみじみとひたっている桐生をよそに、咲耶は今にも飛び出してしまいそうだった。


「やっぱり待てない。行きましょう、桐生」

「おい、待て―」


 桐生は咲耶の腕をつかんで引き止める。ここまでは先に何度かあったやり取りだった。しかし今度は、桐生はぐいっと咲耶を陰の中に伏せさせ、口を塞いだ。


「シッ」


 突然のことに驚いた咲耶だったが、そのわけはすぐに知れた。二人の頭のすぐ上の廊に、足音があったのだった。近づいて来るにつれ、談笑の声音もだんだんとはっきりしてくる。どうやら男の役人のようだった。


「ここも、すっかり寂しくなっちまったなぁ」

「仕方ないさ、今さらつまらないことを言うなよ。俺たちだってもうすぐ、阿依良に召されるんだから」


(阿依良)


 暗がりの中で咲耶は目を見開く。


 男たちはにわかに声を明るくした。


「そうだな。阿依良に行けば王にお仕えできるんだ。穂尊さまもお目をかけてくれるとおっしゃったし。これで少しは生活が楽になるぞ」

「まったく、まだ胸がむかむかするわい。あんな詐欺師を首長と仰いでいたなんてな。くそぉ、わしのこの三十年はなんだったのだ」


 声に憤怒が入り混じると同時に、足音も乱暴になる。なだめるような声が続いた。


「まぁまぁ、良かったじゃないか、救われて。穂尊さまが首長を追放してくれなかったら、俺たちは一生あの陽里の女たちにこき使われるところだったんだぜ。あんな偽者の陽巫女サマによ。穂尊さまが成敗していなかったら、俺がなぶり殺しにしてやったものを」


 咲耶は耳を疑った。――ニセモノ?


「しかし、やっと本物の陽巫女さまが現われてくださったんだ。これで倶馬曾は安泰じゃ。秋津だって攻め落とせるぞ」

「やはり、陽里のやつらは魔女だったのさ。巫の力もないくせに、わしらが作った米をむさぼりやがって」

「――嘘!」


 桐生が止める間もなく、咲耶は彼らの前に飛び出した。そして呆気に取られている彼らの一人に掴みかかる。


「嘘、嘘、嘘よ。何てことを言うの。陽里の巫女が魔女? 陽巫女さまが偽者ですって。そんな馬鹿なこと!」

「……何だ、お前」


 驚きながらもにわかに気色ばむ男たちは、三人。胸元を掴まれた男は、不快をあらわにして咲耶の手を取った。咲耶は怯まない。


「どういうことなの。誰が言ったの、そんなこと。なんであなたたちは、そんなこと信じてるの!」

「怪しい女だな、賊か」


 呼子に手を伸ばした男を、桐生が手刀でしとめる。そして残った役人の腰元から剣を抜き、彼の首筋に当てた。何もかもが一瞬だった。


「な――」

「動かないでくれよ」


 乾いた声をもらす人質の男、そして咲耶が怒鳴りつけたもう一人に向かって、桐生は低く言った。


「咲耶、こっちに来な」


 言われてすぐ、咲耶はそれまで食ってかかっていた男を突き飛ばして、足元をふらつかせながら桐生の腕へすがりついた。よほど衝撃が大きかったらしい。


 桐生は呆れて言った。


「まったく。稚武よりも無茶をする子なんて、初めて見たよ」

「なんだ、お前らは―」


 勢いよく突き飛ばされてしりもちをついた男が、厳しく問う。しかし、仲間の首もとの刃が鋭く光ると、くやしそうに言葉を呑み込んだ。


 桐生は落ち着いた口調で訊ねた。


「悪いが、少し話を聞かせてもらえないか。陽巫女が偽者とか本物とか、どういうことなんだ」


 男は黙っていたが、桐生が手の刀を握りなおしてみせると、顔を歪めて口を開いた。


「俺たちが今まで女王とあがめていた女は、神さまの声を聞く巫女なんかじゃなかったんだよ。すっかり信じ込まされていた。けれど、本物の陽巫女さまが天から阿依良に降りられたのさ」

「嘘よ。何なの――その阿依良の巫女って」


 顔を上げて咲耶が叫ぶ。男は少し嘲るように笑った。


「お前ら、まだ聞いていなかったんだな。――本物のヒミコさまは奇跡を起こされるのだ。予言をし、病人を癒し、果ては死人を黄泉還よみがえらせる。偽者とは比べものにならないだろう」

「死人を……黄泉還らせる?」


 そうだ、と男は笑う。


「そのヒミコさまが穂尊さまをつかわして、偽者の陽巫女と、俺たちに暴虐の限りをつくしていた首長たちを一掃なさったのさ」


 咲耶は口元を押さえ、声を震わせた。


「ヒミコを名乗る女が、阿依良にいるの。そいつが穂尊を動かしているのね。倶馬曾の女王として」

「それはちょっと違うな。まやかしの女王の時代は終わったんだよ。ヒミコさまのお導きで、倶馬曾には男王が立たれる。天女の化身のヒミコさまがお招きするんだ、王は神の御子に違いない」


 咲耶は息を呑み、胸で叫んだ。


(禍の王だわ!)


 震える彼女の肩を押さえ、桐生は男に向かって眉をゆがめた。


「ずいぶんあっさりと乗り換えるものだな。そのヒミコこそが偽者だとは思わないのか」

「穂尊さまがおっしゃったことだ。――穂尊さまは、圧政に苦しむ我らを救ってくださった。見る間に民の暮らしはよくなった。あのおかたの言うことを信じずに、他に信じるものがあるか」


 これが国というやつの正体か、と桐生は憤りを覚えた。支配者の威厳というものは、こんなにももろい。その日暮らしの民たちは、目先の潤いに忠誠心を投げ出して喜び狂う。こんなものなのだ、稚武が手にしようとしている玉座というものは。こんなにももろい、人の心でできているもの。人の心ほど頼りなく移り気なものはないのだ。


 弟の背にずっしりと乗りかかっている責任、そして彼を担ぎ上げる血筋の権威の危うさに、桐生は暗い影を見ずにはいられなかった。


 薄笑いを浮かべる男を、失望の眼差しで見つめる。そんな桐生の背後で、手刀によって失神していた役人が意識を取り戻していた。彼はしびれている手で呼子を取り、思い切り吹き鳴らした。

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