高千穂の峰

第60話


 桐生やユキニたちと別れた稚武と咲耶は、山あいの里に何度か下りて、高千穂への道を訊ねて進んだ。刺青のない稚武はすぐに怪しまれてしまうため、一つのところに長居することはできなかった。


 それでも、高千穂の峰がはっきりと見えてくるまでに、そう日はかからなかった。阿依良と高千穂の峰は案外近かったのである。


 しかし、やっとふもと近くまで来たときに、二人は道を戻らなくてはならなくなった。山を上る道のいたるところに、武装した阿依良兵がうようよしていたのだ。


「俺たちが来るってこと、感づかれているんだな、やっぱり……」


 木陰にひそみ、稚武はつぶやいた。


「ここまで来たけれど、しかたない。他の道を探そう」


 遠回りをしても、まだ間に合うと二人は考えた。足早に山道を進んでいく二人に比べ、「王」の一行は輿を使って行列で頂を目指しているらしい。その速度の差は歴然としていた。


 稚武と咲耶は寡黙に歩き続けた。休み休みながらも足取りは順調で、数日のうちは何事もなく山を回った。


 事態が変わったのは、やっと阿依良兵を見かけなくなるほど山の反対側にたどり着いた日だった。その日は一段と寒く、朝からどんよりと曇って、嫌な予感はしていたのだ。そして、二人が野宿の場所を決めた頃になって、とうとう雪が降り出した。


「倶馬曾は雪の降らない国じゃなかったのか」


 白く冷たい空を仰いで文句を垂れる稚武に、咲耶は呆れたように言った。


「誰から聞いたの、そんなこと。 雪の降らない国なんてあるの?」


 乾いた木の根元に座り込み、かじかんだ手に息を吹きかける。稚武はむっとして彼女を見たが、すぐに気をとり直した。


「こんなところで夜を明かしてたら凍えちまう。どこか、穴ぐらでも探してくるよ。そうでなかったら、どうにか獣を見つけて、毛皮をはぐとか……」


 駆け去ろうとした稚武の衣を、咲耶が慌てて掴む。


「待ってよ、わたしも行くから」

「お前はここで大人しく座ってろ。もうろくに歩けないくせに」


 愛想のかけらもなく、稚武はさらりと言った。

 咲耶は驚いた。何日も歩き通しで、足は腫れあがり、つぶれた豆からは血がにじんでいたが、それでも何食わぬ顔をしてついてきたつもりだったのだ。涙を呑んでも弱音を吐かないのは咲耶の意地だった。けれども、とっくに知られていたのか。


 このごろ妙に休憩を多く長く取るなと思い、ひそかに助かっていたのだが、それも承知の上のことだったに違いない。


 咲耶は恥ずかしいやら悔しいやらで顔を赤くして、むきになって言った。


「何を言ってるの。歩けるわよ、わたし。自分の寝床を探すくらいできるわ」

「嘘をつくな」

「嘘じゃないもの」

「女は男みたいに動けないもんなんだろう、俺と張り合おうとするんじゃない。この強情っぱり」


 叱りつけるように言って、稚武は立ち去ってしまう。そしていくらか行ってしまってから、不意に振り向いて大声で言った。


「何かあったらすぐに呼べよ、いいな」


 それきり、彼は薄暗い森の影に消えてしまった。咲耶は追いかけようと足を踏み出しかけたが、真実限界だった。不満ながらも諦めて腰を下ろすと、もう立ちあがることすらできなかった。


(何をしているんだろう、わたし……)


 ありったけの衣で身を包み、咲耶は縮こまって震える体を抱きしめた。独りになって動かずにいると、余計に寒く感じた。情けなさも増す。


(結局、稚武に頼ってばかりだわ)


 稚武は、自分は一人でも山で生きていけると言ってのけたほど、やすやすと火をおこし、獲物を獲って来てはさばいてくれた。聞けば、秋津の都にいたころに、皇子のたしなみだと叩き込まれたらしい。甘やかされて育ったのではないのだな、と咲耶は感心したものだった。


 そしてその分、役に立たない自分が惨めになってくるのだ。


(呼々に甘えていた頃から、少しも成長していないじゃないの……)


 深くうなだれて、ため息をついたときだった。

 何の前触れもなく、葉のない高い木々から無数の人影が降ってきた。どれも似たような刺青をもった、軽装の男たち。


「きゃ……ッ」

「よぉ、おちびさん。こんなところで何やっているんだい」


 からかうように言いながら、ひときわ刺青の多い若い男が咲耶に歩み寄り、取り出した小刀を向けた。


 ――山賊。咲耶は直感した。


 声も出せずに鋭い切っ先を凝視している咲耶に、男たちはにやにやと笑う。


「一人かい。なんてまさか、そんなはずはねぇか。女が一人でこんなところにいたらこういう目に遭うってことぐらい、ガキでもわかるよなァ」


 言って男は、不意をつくようにして、咲耶がくるまっていた上着を剥ぎ取った。


「なにするのよ―」


 咲耶は怒鳴りかけたが、さらに小刀を差し向けられて口をつぐむ。緊張した面持ちで黙りこくる彼女の顔を、長らしい男はしげしげと見つめた。


 咲耶は小声ながらも厳しく言った。


「悪いけど、あなたたちに差し出すようなものは何もないわよ。食料だって底をついているし」

「馬鹿を言っちゃあいけねぇな」


 ひとしきり咲耶の顔を眺めた男は、にっと笑った。


「よしよし、なかなかの上玉じゃねぇか。――立ちな、おちびさん」


 咲耶はすぐには聞かなかったが、彼の目が真剣みを帯びて鋭くなったのを見て、そろそろと立ち上がった。


 すると彼らは、咲耶の姿を上から下までじっくりと見定め、楽しそうに口元を歪めた。


「ふぅん……。こんなところに無防備でいたあたり、世間知らずのお姫さんだとは思ったが、これはひょっとしてひょっとするぞ」

「なによ」


 馬鹿にされたのを感じた咲耶は、むっとして彼を睨んだ。


 男は浮ついた笑みで言った。


「おちびさん、あんた、生娘だね」

「は?」

「男を知らないだろうと言っているんだ。――その様子を見ると、俺様の勘は当たったかな。こりゃ儲けもんだ」


 言うなり、男の手が咲耶に伸びてきた。咲耶は驚いて抵抗したが、すぐに押さえ込まれてしまった。


「は、離して、このッ……」


 咲耶がいくら暴れようとも、男のがっしりとした腕はびくともしない。彼は明るい声で仲間たちに告げた。


「よぉ、みんな。残念ながらこの娘はおあずけだぜ。手を出すんじゃねぇぞ。生娘ほど金になるやつはねぇんだからな。わかったか」


 おう、と素直に答える声と、ちぇ、と笑いながら残念がってみせる声が返った。


 彼らは自分を売る気なのだと、咲耶はやっと思い至った。カッと頭が煮えたぎる。


「馬鹿、離しなさいよっ」

「へぇへぇ、暴れるんじゃねぇよ。大切な商品に傷でもついたら大変だ」

「ふざけないで」


 渾身の力で男を突き飛ばし、一瞬の隙に咲耶は懐剣を構えた。両手でしっかりと握り締め、男たちを睨みつける。


「寄らないでよ、早くあっちへ行って。……行きなさいよ!」


 必死の咲耶の気迫に、山賊たちは目を丸くしたが、すぐに高らかに大笑した。


「そんな細腕で俺たちに敵うと思っているのかい? ほとほと世間知らずのおちびだな」


 にやついた男の腕がぬっと伸びてくる。懐剣を握り締めたまま、咲耶は全身をこわばらせた。動こうにも、一歩あとずさるのがやっとだった。


「いや……来ないで、来ないで……寄らないでったら」


 咲耶が怯えれば怯えるほど、男の口の端が大きく歪む。


 恐怖が限界にきて、咲耶は大きく叫んだ。


「やだ!」


 その瞬間、横から大木が飛んできて、咲耶に詰め寄る男の脳天を直撃した。すこーんという小気味よい音がしたかと思えば、彼はどさっと倒れ伏した。


「お頭、お頭!」

「なんだ、どこのどいつだ、今のは」


 怒鳴って振り返った子分は、次の瞬間には蹴り飛ばされていた。


「ここの俺だ、馬鹿やろう!」


 疾風のごとく現われたのは稚武だった。彼は襲いかかってきた山賊たちを片っ端からなぎ倒し、残りが怖気づいたのを見て咲耶に駆け寄った。咲耶は呆けてへたり込んでいた。


「無事か、咲耶」


 意外にも優しい声がかけられたが、やはり二言目には怒鳴られた。


「だから、何かあったらすぐ呼べって言っただろうが。いい加減にしろ、くそ意地っ張り!」


 咲耶は、言い返しはしなかった。本当に怖かったのとホッとしたので、すぐには口がきけなかったのだ。


 その様子を見て、稚武は声を改めた。


「おら、立て。逃げるぞ」


 しかし咲耶は腰を抜かしていたので、稚武はしかたなく抱き上げて走った。


 もちろん、山賊たちも黙って見送りはしなかった。走って追ってくる者もいたが、稚武が思わず「げっ」と眉を歪めたのは、馬に乗った輩の姿だった。見れば、いつの間に気がついたのか頭と呼ばれていた男が、先頭をきって馬を駆けさせていた。


「ガキ、よくもやってくれたな。これでも喰らえ!」


 彼はきりきりと矢を番え、怒鳴って放った。


「うおっ」


 勢いよく飛んできた矢を、稚武はすんでのところで避けた。しかし、咲耶を抱いていたためにいくらか動きが鈍り、鋭いやじりは肩をかすっていった。


 転びそうになったのをなんとかこらえ、稚武は一目散に雪山の中を駆け逃げていった。


 山賊たちはさらに追いかけようとしたが、馬をとめた長に抑えられた。


「野郎ども、もうよせ。これ以上は」

「なんでだ、お頭」

「馬鹿にされたんだぜ、俺たち」


 野太い声で文句を垂れる子分たちに、長は「うるせぇ」と一喝した。


「忘れたのか、てめぇら。ここから先は高千穂の神域だぞ。むやみに足を踏み入れれば、こっちが魂を抜かれちまうよ」


 はっとして山賊たちは息を呑んだ。


「何者だか知らんが、あいつらも馬鹿だ。参道を通らずに高千穂に上って、生きて帰って来たやつはいねぇってのに」


 稚武の攻撃でたんこぶができた頭をさすり、彼はニィと笑った。


「もっとも、男の方は俺の毒矢を受けた。神罰が下る前におっ死ぬさ」

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