第27話


 その後、紅科くしなは帯で宇受うずを背中におぶり、稚武わかたけのために貝や魚のあらをふんだんに盛り込んだ汁を出してくれた。薄味であったが、丸二日間何も口にしていなかった稚武には充分すぎるほど美味であった。


 三杯目のおかわりを頼んだときに、つばを誘う香りにつられたのか、風羽矢かざはやが目を開いた。


「……あれ……」

「風羽矢」


 すぐに稚武が彼を覗き込む。風羽矢はかすれた声で言った。


「……稚武。……僕、生きてる?」

「生きてる。生きてるよ。俺たち助かったんだ」


 口にして、稚武もようやく実感をつかみだした。自分たちの生存が奇跡であることに初めて気づいた。また、二人がはぐれないで同じ浜にたどり着いたことも、本当に常識を超えた神秘の領域の出来事であると思った。


「よかった、風羽矢。あの時お前に手が届いて、本当によかった」

「うん」


 風羽矢はゆっくりと身を起こして笑った。


「ありがとう。最後の瞬間、君が手を取ってくれたのが分かったよ。だから僕は、大丈夫だと思った。大丈夫だと思ったから、きっと生き延びられたんだね……」


 うん、うんと何度も稚武は頷いた。その彼の後ろから、にゅっと紅科が顔を出して風羽矢を覗き込んだ。


「あらァ、やっぱりこっちもイイ男。拾ったかいがあるってもんだわ。あんた、カザハヤっていうの?」


 風羽矢は驚きすぎて目をぱちくりさせたが、ぎこちなく頷いた。


「う、うん……。風羽矢。――君は、誰?」

「あたしは紅科。後ろのこの子は宇受。妹ね」


 紅科はフフンと得意げに笑った。


「あたし特製のあら汁、お食べなさいな。元気がわいてくるわよ」


 極限まで腹の減っていた風羽矢は、遠慮せずに食べた。紅科はしばらくそれを満足そうに見守っていたが、やがて前置きなく訊ねた。


「ねぇ、あんたたち、実は都の人なんじゃない?」

「えっ……」


 忙しなく膳を口に運んでいた少年たちは箸をとめた。その反応に、紅科はにやりと笑う。


「そうなんでしょう。分かっているのよ、あたしには。ほらほらっ、白状してしまいなさい」

「そうだよ」


 あっさりと稚武は認めた。風羽矢は顔をしかめたが、否定はしなかった。


「俺たちは都から船に乗ってきて、嵐にあって、ここに流れ着いた……んだと、思う」

「その船って、軍艦?」

 二人は同時に紅科の顔を見た。彼女は静かに笑っていた。


「……なんで知ってる」

「知ってるから、知ってる。――稚武、あんたの正体も、あたしはちゃんと知ってる。あんたは秋津国の王。銀の鹿の背に乗る少年」


 稚武は腰を浮かした。武器ならある。彼が草薙剣くさなぎのつるぎに手を伸ばした瞬間、紅科は鋭い目で彼を見据えた。


「やめておきなさい。あたしたちを敵に回すのは損よ」

「お前……たち?」


 そのとき、バンと乱暴に戸が開いた。


「ユモリさま、おられるか」


 ずかずかと入ってきたのは体格のいい大男だった。手には大きな銛を持ち、獲ったばかりと思われる魚を背に担いでいる。彼は起き上がっている少年たちを目にし、大きく目を見開いて銛を構えた。


「目覚めたか、おぬしたち。都の若者よ」


 声は野太く、敵意をあらわにしていた。大男は稚武の手元にある剣を見つけ、いかめしい顔つきをさらに厳しくした。


「我らと戦うか。ユモリさまに命を救われたご恩も忘れて。これだから秋津の連中は腹の虫がおさまらない奴らばかりなのだ。さぁ、わしと戦う勇気があるならその剣を取れ。おのが信念、見せてみよ!」

「落ち着きなさい、松山」


 顔を真っ赤にする松山の後ろ頭を、紅科がいたく冷静なさまでべちんと叩いた。そして同じ目で稚武を見やる。


「あんたも、そのぶっそうな剣はしまっておいてちょうだい。伊予いよを滅ぼす気?」

「……そんなつもりじゃ」


 稚武はおとなしく手を引いた。そして、紅科がこの剣の本性さえ見破っていることに気づいた。

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