第75話

  

    鉄はく この鉄山で

    粉鉄こがね七里しちりに すみ三里さんり

    米をとく音 早川の瀬か

    御台所になみが立つ

    一は朝日 二つは日のただなか

    三は夕焼け

    嬉しめでたや 若松山は

    枝も栄えて 葉も繁る 


 たたらは大きな屋根の下にあった。巨大な釜戸の上には狂った蛇のように炎が燃え盛り、その左右で大柄の男が歌の拍子に合わせてふいごを踏んでいる。男衆は熱気に汗だくになりながら動き回り、砂鉄を運んだり炭を積んだりと大忙しだ。


 歌声に負けず大声を張り上げて男衆を動かしている往年の男たちは、そろって片目が潰れていた。彼らが長の一族であり、指揮を執っているのだろう。その中に、一人若くして八雲やくもの姿があった。


「もっと、もっとだ、粉鉄こがねをつめ」


 彼は夢中になって指示を飛ばしていたが、太い柱の影に稚武の姿を認めるや、さっと顔色を変えた。


 八雲がこちらに気づいたのを知り、稚武は彼に歩み寄っていった。


 八雲は鋭く言った。


「朝になったらさっさ山を下りろと言ったはずだぜ。何をぐずぐずしているんだ。悪いが顔も見たくねぇんだよ」

「だけど、たたらを見せてくれるという約束だった」

「――てめぇ、よくもぬけぬけと」


 気色ばむ八雲にも、稚武は落ち着き払って言った。


「昨日一晩、考えていたんだ。八雲たちが『鬼』と呼ばれる本当の理由」


 八雲は眉をひそめた。


「今は、お前のおしゃべりに付き合ってられるほど暇じゃねぇんだ。いいから早く帰れよ」

「粉鉄を採ったあとの土砂は、すべて川に流すと言っていただろう」


 八雲は持ち場に戻ろうと背を向けたが、稚武はかまわなかった。


「それはつまり、下流にどんどん土砂が堆積していくということだ。そうなれば当然、川は浅く広くなって、ちょっとの雨でも洪水が起こりやすくなる。その被害を受けるのは、下流に住む農民だ」


 八雲は後ろを向いたまま、無言で足を止めた。


「そのうえ、川は常にあんな濁った赤い色をしてる。ことあるごとに氾濫する赤い川の上流に住む八雲たちを、鬼と思っても仕方ないな。鳥上山にはヤマタノオロチの伝承もあるし」


 稚武はさらに言った。


「ヤマトタケルがお前の祖先と戦ったのは、本当は、理不尽な水害から下流の人たちを救うためだったんじゃないのか」

「……けっこう頭がいいじゃねぇか、お前」


 薄く笑って八雲は振り返った。稚武はニッと笑い返した。


「これでも、都で色々と勉強したからな」

「だが、俺たちは引かない」


 八雲は真顔に戻って言い切った。


「俺たちの血は、これから先も途切れることなくたたらを踏み続けるだろう。お前に止める権利はないはずだ。ここでつくった鉄で都の兵の武具も作られているんだからな」


 稚武は黙りこくった。


「わかったら、さっさと都にでも帰ったらどうだ。たたらの連中はみんな気が荒い。お前の正体を知ったら何をしでかすか分からないぞ」

「……ナムじいという人は、どこにいるんだ」


 八雲はキッと眉根を寄せた。


「知らねぇよ」

「嘘をつかないでくれ。事は一刻を争う、とてつもなく重大なことなんだ。その人なら俺の剣を直してくれるかもしれないんだろう」

「ナム爺は、よそ者に気安く会わせられるようなかたじゃねぇんだよ。とにかくさっさと出て行け、仕事の邪魔だ」


 八雲は怒鳴って、今度こそ持ち場に戻ろうとした。するとその横を、上着を脱ぎ捨てた稚武が駆け抜ける。


「おいっ、てめぇ―」

「俺も手伝う」


 稚武は明るく笑って言った。


「一度やってみたかったんだ、たたら踏みというのを」


 誰が止める間もなく、稚武はたたらを踏んでいた番子のもとへ駆け寄り、手を合わせて半ば強引に交代してもらった。持ち場を奪われた番子ばんこが、弱り顔で八雲のもとへやって来る。


「八雲、何だい、あいつは」


 周りの男たちも大口を開けたことには、稚武のたたら踏みは力強かった。歌の拍子をまるで無視したものではあるが、幼い頃から泊瀬はつせの山を駆け回り、都での修練によって培ってきた彼の体力は、並外れたものになっていたのだ。


「ほぉ、なかなかやるじゃねーか、旅のお若いの」


 稚武に大きく声をかけながら、里長が八雲の隣までやって来た。彼もまた右目を失った、八雲の叔父である。


「ははは、八雲、面白いじゃねぇか。やらせてみたらどうだい」

「叔父貴。でも……あいつは」


 言いかけて、八雲は口をつぐんだ。それから少し考えて、交代を待っている番子たちに告げた。


「飛び入りが入った。みんな、あいつを存分にこき使ってやれ」




 たたらに火が入って一晩が過ぎた頃、たたら場は、突然たたら踏みに加わったたくましい少年の話題で持ちきりだった。


 次の番子と交代し、稚武は汗をぬぐいながら休憩所まで向かった。そこには大の大人たちに混じって、乙次と甲太もいた。


 やって来た稚武に、甲太が鋭い目で言う。


「てめぇ、ずるいぞ。里の男だって、十になるまではたたら踏みは許されないのに。おととい来たばかりのよそ者が、どうして一人前に任されているんだ」

「体力の差だろ」


 稚武があっさりと答えると、甲太はますます膨れた。聞いていた周りの番子たちが高らかに笑う。


「いやいや、甲太。この兄ちゃんは筋がいいよ。――どうだいあんた、いっそこのまま、このたたら場に骨を埋めるっていうのは」

「はは、ありがたいけど遠慮しておく」


 稚武が笑いながら答えると、男は本気でがっくりしたようだった。


「……まぁ、たたらの本当の魅力は、炉を崩すその瞬間さ。絶対やみつきになるぜ。山を下りても忘れられないくらいなんだからな」


 この男も出戻りという口らしい。


「それは怖いな。でも、俺はまだ大切な用事の途中なんだ。――ナム爺という人に会いたい。けれど、八雲が居場所を教えてくれなくて。あんたたちは知っているか」


 番子たちは驚き入って顔を見合わせた。それから、恐る恐るというふうに稚武の顔色をうかがいながら言った。


「そりゃあ、知らんこともないが……」

「八雲が教えんというのに、おらたちがばらすわけにはなぁ」

「だいたい、会おうと思って易々と会えるかたでもあるまいし。俺だって直に姿を見たことはないぞ」


 稚武は難しい顔をした。


「そんなに偏屈な爺さんなのか、その人は」


 男たちは互いに言葉を濁らせた。


「そう聞かれても、会ったことはないからなぁ」

「――おいら、知ってるぜ。ナム爺」


 稚武を横目で見て言ったのは甲太だった。隣の乙次もぽそっと呟く。


「……僕も。遊んでもらったことがある」

「変な面白い爺さんだよな、ボケてるけど」


 うん、と乙次が頷く。


「本当か」


 稚武は身を乗り出して甲太に尋ねた。


「どうしたら会えるのか、教えてくれ」

「やなこった」


 べっと舌を出して、甲太は顔をしかめた。それから皮肉るように笑う。

 

「誰がてめぇみたいなよそ者の頼みをきくもんか。だいたいお前、八雲を怒らせたから教えてもらえなかったんだろ。自業自得って言うんだぜ、そういうの」


 稚武はぐっと言葉に詰まった。甲太はさらに得意になって言った。


「よそ者はよそ者らしく、一晩経ったら素直に出て行けばいいんだ。どうせここは鬼の里なんだからな。お前だって本当はそう思ってるんだろ。のろのろしてると、おいらたちの仲間になっちゃうぜ。外の奴らに怖がられて、二度と山を下りられなくなっても知らないからな」


 なぁ乙次、と相棒を振り返って、甲太は顔色を変えた。今の今までそこにいたはずの乙次が、忽然と姿を消していたのだ。


「お……乙次? 乙次、どこだ。どこに行った」


 甲太が大げさなまでに取り乱したので、つられるように周りの大人たちもどよめいた。みんなしてきょろきょろと辺りを見回したが、見慣れた乙次の姿はない。


「乙次……っ」


 甲太は見る間に真っ青になった。そして止めようと伸びた大人たちの手をかいくぐって、たたら場から飛び出して行った。


 その甲太の必死さに、稚武は胸に言いようのない奇妙なざわめきを覚えた。相棒を見失ったことで青ざめ、度を失っている甲太の姿は、泣き叫ぶ誰かに重なっていた。それが他でもない自分だと気づいた時には、稚武はもう駆け出していた。



 咲耶はカムジカを連れて、たたら場の周りを散歩していた。本当は川べりの女たちのところへ行って水仕事の手伝いをしたかったのだが、彼女たちは咲耶を見るや、『たたら場に現れた謎の美少年』の連れだというので嵐のように質問を浴びせてきたのだ。その喧騒から何とか抜け出し、やっと逃れてきたところなのだった。


(なんであの人たちは、稚武のことであんなに騒ぐのかしら……)


 よそ者が珍しいのかと思ったが、単にそれだけではないらしい。彼女たちの真剣な剣幕を思い出し、咲耶はげんなりとしてため息をついた。


 その視界に、ぽつんと座り込んでいる人影が見えた。


「あれ……」


 たたら場の里を臨む山の土手で、乙次が一人きりで腰を下ろし、ぼうっとたたらの煙を見つめていた。


「隣、いい?」


 咲耶はにっこりとして声をかけ、乙次が答えるより先に座り込んだ。


「ここ、里が一望できるのね」


 こっくりと乙次は頷いた。


「今日は、甲太は一緒じゃないの?」

「……コウは、たたらの手伝い」

「あら、乙次は行かなくていいの?」


 乙次は答えず、ひざを抱えてうつむいた。


 乙次の沈黙は咲耶にとって息苦しいものではなかった。咲耶は答えを待ちながら景色を眺め、山の空気を全身に吸い込んで、ほう……と微笑んだ。


「思い出すわ、わたしの育ったところも山の中にあったのよ。ここと違って女の子ばっかりだったけれどね。みんな明るくて真面目で、いい子ばかりだった」

「……『大切な人』というのは、どういう人? 小さい頃から一緒にいたんでしょう」


 咲耶は目を丸くした。


「やだ、聞いていたの」


 乙次はわずかに申し訳なさそうな顔をしたが、やはり頷いた。咲耶は少し困ったように笑った。


「とてもかっこいい人よ。いつもわたしを助けてくれて……。わたしには親がいなかったけれど、その人のおかげで一度も寂しい思いをしないでこられたの。……すごくすごく、好きだった。大切な人だった。あの人の代わりなんて、どこにもいやしないわ」


 遠い目をして咲耶は言った。彼女のことを語っていると、耳元にその優しい声音がよみがえってくるようだった。


 『咲耶さま』――


 目を閉じてその響きに耳を傾け、微笑む。


「実を言うとね、おととい苛められているあなたを助けたのは、昔のくせだったの。呼々ココは……その人は、小さいとき弱虫でね、いつも仲間内から馬鹿にされていて、わたしがよく代わりに言い返したものよ」


 思い出して、咲耶は思わず笑ってしまった。


「不思議よね、わたしだって呼々をさんざん馬鹿にしたりしたんだけれど、他の人が彼女をからかうと頭にくるの。どうしてかしら」


 それから乙次を見やり、明るく尋ねた。


「ねぇ、乙次は甲太のことが好き? 一緒にいると楽しい?」

「うん……コウといると、哀しいことや嫌なことも忘れていられるよ。僕が独りでいると、コウはいつも来てくれるんだ。……コウは、寂しがりやだから」


 咲耶は瞬いた。


「甲太が、寂しがりやなの? 乙次ではなく?」


 乙次はしばらくの沈黙の後に言った。


「……コウはお母さんがいない子で、お父さんは、僕のお父さんと同じ事故で死んじゃったんだ。粉鉄を採るために崖を削っていて、土砂崩れにあって……。それでコウには、もう家族がいないの。僕には八雲がいるけど……、コウには僕しかいないの」


 彼にしては珍しく、乙次はよくしゃべった。


「コウは寂しがりやだから、僕の姿が見えなくなると、すぐ探しに来てくれるの。僕が独りってことは、コウも独りっていうことだよ。……独りは寂しいから、コウは来てくれる。僕は知ってるから、独りでも平気なの」


 咲耶は言葉がなかった。


(……それじゃ、もしかして、乙次がふらふらと行方をくらますのって―)


「――乙次っ」


 悲鳴のような声が上がって振り向くと、血相を変えた甲太が駆け込んできた。彼は乙次に飛びつくと、限界まで眉を下げて、息を切らせながら言った。


「良かった、すぐに見つかって。また山を下りて行っちまったかと思った。どうしていきなりいなくなったりしたんだ、びっくりするだろう」


 乙次は力が抜けるようなのん気さで答えた。


「うん、ごめんね」

「ごめんごめんて、お前はいつもそうだ」


 声こそ荒げなかったものの、甲太は本気で怒っていた。


「お前、そうやって勝手に出て行って、俺が見つけなかったらどうするつもりなんだよ。また山を下りていって、村の奴らに袋叩きにあって、俺が間に合わなかったらどうする。いつもうまく見つけられるとは限らないんだぞ」


 しかし乙次は笑った。


「ううん、コウは来てくれるよ。僕には分かるんだ。だから僕は、どこまでだって行ける」


 乙次は信じているのだ、と咲耶は思った。どこへ行こうとも甲太が必ず見つけ出してくれるから、乙次がさまようことはない。


(……だけど)


 寂しがりやなのは乙次も一緒に違いなかった。彼は自ら姿を消すことで、甲太に確かめているのだ。甲太が乙次を必要としていることを。そして乙次は信じながらも、甲太が見つけ出してくれることを期待して待ち続けているのだった。


 まだ顔をしかめたままの甲太と、どこか嬉しそうな乙次の姿を、稚武は少し離れたところから見つめていた。気づいてしまった今となっては、この二人の姿を見ているのは苦痛だった。しかし目が離せなかった。幼い少年たちはあまりにも似すぎているのだ。かつての稚武と、相棒であった風羽矢に。



 それからも、稚武は飽きずにたたらを踏み続けた。気づけばとうとう三日三晩たち、炉を崩して中の鉄を取り出す朝がやって来た。


 まだ薄い陽の中、八雲や片目を失くした男たちが、いっせいに炉を打ち壊し始めた。これは長の家の仕事だという。稚武は他の番子や雑用夫たちと一緒になって、固唾を呑んで見守った。


 やがて炉が崩れ落ち、勢いよく火花が立ち上った。飛び散る赤いかけらを吹き上げるのは、うごめくような熱と光のかたまり。それはまったく、生命誕生の瞬間のようだった。ものすごい熱気と、言葉にできない衝撃に、稚武は目を奪われて立ち尽くしていた。


 日が完全に顔を出した頃、あれだけ生気をほとばしっていた鉄の塊も、すっかり冷えて黒くなっていた。やがて巨大なそれは、たたら場から大銅場おおどうばという作業場へと引き出され、専門の職人たちの手によって細かく砕かれていった。


 そのかけらの一つを手に取り、八雲が言った。


「……いい出来だ」


 真剣になって作業を見つめていた稚武に向かい、口の端を上げる。


「実は、途中で逃げ出すかと思っていたんだが。ここまでやり切るとは、正直驚いたな」

「いい勉強になった。感動したよ、出来上がったときには」


 稚武もニッとして言った。八雲は笑い返したが、それからふと真面目な面持ちになって視線を下げた。


「……そんなに会いたいのか、ナム爺に。あのかただって、お前の剣を直してくれるとは限らないんだぜ」

「うーん、それもあるけどな。一番の目的は、たたら場の人たちをもっとよく見たかったからだよ。こんなに自分たちの仕事に誇りを持って、貫いている人たちと一緒に働いてみたかった」


 稚武は気負いなく答えた。


「それに、どうしても八雲に認めてもらいたかったんだ。俺が侵略に来たのではないということを。そう考えたら、これしか思いつかなかった」

「――しょうがねぇな」


 ため息をつくように言って、八雲は笑った。


「いいだろう。自分で直接ナム爺に会って、剣のことを頼むといい。乙次たちに案内させる」

「本当か」


 稚武は顔を明るくしたが、八雲はむしろ硬い表情で言った。


「その代わり、あとはナム爺しだいだ。殺されたって知らねぇからな」

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