第2話 ソモーリャのラドゥケス
先ほどまで試合に臨んでいた男は息ひとつ乱さず、すでに自分の椅子で寛いでいた。甲冑は既に解いている。深く腰掛けるその男は、体躯がよく戦うために鍛え上げられたことは明らかだった。浅黒い肌に焦げ茶色の瞳、髪型はアカメイルの伝統に則り、下から耳のあたりまでそりこまれているのに残された髪は肩にかかるほど長い。しかしその黒髪も今は後ろできっちりと結われていた。世に知られるアカメイルの特徴を体現する姿に加え、男の顔つきは端正で、しかしその表情は不機嫌そのものであった。
「何なんだ、この骨の無いやつらは。」
その発言にすかさず隣の男が反応した。
「おい、ラドゥケス。ここにいるのはお前だけじゃないんだ、もう少し言葉を選べ。」
そう嗜めたのは、ラドゥケスとは正反対の容姿をもつエオナ人だ。白い肌に金色の髪で、表情も柔らかく、ひと目には軍人とはわからない。そのセリフをラドゥケスはこれ見よがしに鼻で笑った。
「文句があるなら挑んできて欲しいね。勝てる自信があるならな。
お前もだぞ、ネイバ。」
この尊大に座る男の友人、ネイバは諌めることをあきらめ、ため息をついて言葉を続けた。
「仕方ないさ、戦乱のせいで多くの職業軍人が出場していないんだ。それでも150年続く由緒正しいメラタイの闘技だ、質は落ちても取り止めるわけにはいかない。」
メラタイの闘技とは、皇帝陛下の名の下に開催される武闘系の大会のことで、国内でいくつか存在する。出場者はエオナの男子にのみに限られるが、身分が問われることはなく、日頃の鍛錬の成果を存分に発揮できる場であった。全盛期は、国中の猛者たちが集まり、国の頂きに立つ男たちの戦いとして、大いに盛り上がった。しかし近年は、隣国との緊張関係から国中の軍人以外の男手までが国境警備の強化や防壁建築に集められている。そういったわけで今はメラタイの闘技を賑わす猛者も激減した。今ではそれをチャンスとばかりに一攫千金を狙う素人集団のお遊戯会と成り果てている。それでも観衆の入りが上場なのは、それが平民たちの唯一の娯楽だからだ。戦争のために倹約令をしかれた民衆は刺激を求めている。今年は会場の熱気が一段と濃い。彼らはすでにラドゥケスの素性を知っているのだろう。軍人の出場が絶えて久しい中で、彼の存在は異質だ。更にラドゥケスは軍人の中でも海男(アカメイル)であるため、その姿は否が応でも観衆の目を引いた。海男(アカメイル)は、広義では海軍をさすが、狭義ではその人種を指すことがある。彼らは、その名の通り、海の民であり、大昔から海を生活の場にしてきた民族である。顔立ちはネイバたち、エオナン人とかわらないが、その肌は黒く日に焼けたようで、滑らかな黒髪と獲物を逃さぬ漆黒の瞳を持ち、身体能力も高い。しかし数十年前からこの国の民として歓迎されて以来、エオナの国では欠かすことのできない存在となっている。ラドゥケスのように海男(アカメイル)でも貴族の位をもつ者も少なくない。それでも絶対数の少ない彼らは、どこへ行っても好奇の目に晒される。ラドゥケスもそれは重々承知だが、声を低めるなどということは一切しなかった。
「こんな試合になぜ司令官は俺を送り込んだ。もっと下っ端でもいいだろう。」
ネイバは、耳を疑った。それが、オフレコであることはこの男は忘れているのだろうか。しかしそれよりも、言ってやりたい事があった。
「もとはと言えば、お前が陸軍のやつと揉めたからだろう。司令官も陸海幹部の直接対決を避けたかったんだろうさ。」
それを聞くや、ラドゥケスはまるで記憶とともに怒りまで思い出したのか、声を荒げて噛み付いた。
「あれは、アーソンの野郎がアカメイルは船をぶつけることしか頭にないとか、俺たちの剣を馬鹿にしたからだ。それでなぜ俺がこんなところに来る必要がある!」
それもこれも全て彼の持つ才能のせいだろう、ということに本人は気づいていない。今のラドゥケスは地位、実力ともに兼ね備え、部下の信頼も厚く、誰もが羨む存在だ。アーソンがそれに嫉妬していることは、誰もが知っていた。それでもアーソンはエオナ建国の時代から続く名家の嫡男で実力もある陸軍幹部でもあった。司令官は彼を立てるためにも、話のできるラドゥケスに、少しエオナイを離れるよう言い渡した。心根の優しい彼はそれに逆らうことができなかったのだ。それがわかっていても、慕っている上司からの謹慎にも似た命令は、彼には辛いものだったのだろう。旧知の友人であるネイバも、この小旅行につきあうことにした。少しでもくさくさした思いを和らげてやればと思ったのだ。しかし、怒りは収まるどころか、膨れ上がっているようだ。落ち着かせるつもりで、ネイバはもう何度もした話を、再度繰り返すことにした。
「ここで優勝すれば、剣の腕がみとめられるからだろう。」
ラドゥケスは鼻で笑った。
「認められるも何も、こんなチャンバラごっこみたいなところで優勝しても、笑われるだけだろうが。」
ネイバはここで、笑みを浮かべた。実はラドゥケスにはまだ話していないことがある。
「それがだな、聞いて驚くな。この大会にはクレウス殿の弟子が来ている。」
そこではじめて、ラドゥケスの表情が動いた。
「クレウス?先の戦で退役したあの…?」
戦時中は、その知謀で数々の戦いに勝利をもたらした伝説的な存在だ。当時と比べて今のラドゥケスよりも与えられていた地位は低いが、彼の残した戦績は今も現役の者たちには語りづかれている。
「そうだ。しかも昨年の優勝者で、今年ももちろんその候補に入ってる。どうだ、少しはやる気がでたか?」
ラドゥケスは少し考えるように押し黙り、慎重に言った。
「こんな大会だ。強いとは限らないだろ。」
「そう言うと思ったよ。実はな、話はこれで終わらないんだ。先日あのアーソンがクレウス殿に教えを請おうと、わざわざ彼の住んでいる村まで訪ねたらしい。」
「それで?」
ラドゥケスはすぐに次を促した。
「そこで、クレウス殿がある条件を出したんだ。弟子に勝ったら、受け入れてやるってな。」
「アーソンはどうなったんだ?」
急かすようにラドゥケスは質問した。ネイバは彼の反応を見て、口の端を上げた。
「惨敗も惨敗。ものの1分で片がついたんだとよ。」
「ほお。」
珍しく関心した様子で、ラドゥケスはあごに手をやった。
「しかし、お前。どこでその情報を手に入れた?」
ネイバは肩をすくめた。
「俺は、お前とは違って喧嘩仲間ではなく、友人を作るもんでな。」
「陸軍幹部を倒せる腕で、よく上に目をつけられなかったな。」
ラドゥケスはネイバの嫌味を無視した。ネイバも慣れているのでため息をつくだけに留める。
「そいつは、クレウス殿の元で村の護衛隊を勤めてるのさ。
おそらく彼が手元に置いているんだろう。」
へぇ、とラドゥケスは軽く返事をした。すでに関心は本人に直接会うことに移っていた。
「その弟子ってのは、どいつだ?」
「ちょうど向こうにいるじゃないか。やつがそうだ。」
ネイバはまっすぐに円形闘技場のフィールド内を指差した。しかしラドゥケスは、ネイバが試合中の選手をさしているのではないことはすぐにわかった。その男は、ネイバたちから試合中の選手の延長線上にいた。ラドゥケスから真反対の柱の下で、他の選手とは少し距離をおき、この場にはそぐわない小さな子どもと話をしている。そうしてすぐに建物の奥へと姿を消した。ラドゥケスは驚きの声をあげた。
「がきじゃねぇか。」
「そうだ。あんな華奢な体で、どうやって陸軍幹部と戦ったか知りたいもんだねぇ。うちの若手にも教えてやりたいよ。って、おい!どこへ行く!」
気づけば、彼は歩き出していた。偵察にでも行くつもりなのだろう。ネイバは苛立ちを感じながら、ラドゥケスの背中に向けて叫んだ。
「ラドゥ!本来の目的を忘れるなよ!!」
彼は歩みを止めることはなかったが、軽く手をあげて了解の意は示した。
ラドゥケスはもはやここでは有名人で、そうなると不思議なもので大衆の中でそれはある種、権力へと変化する。
ラドゥケスが問えば、誰もがその質問に答えてくれた。
そのため、目的の人物の居場所を見つけるのは簡単だった。
親切に答えてくれた番兵の話によると、その剣闘士は昨年の優勝者であり、そう言った人物は望めば部屋があてがわれる。
ラドゥケスはその彼の部屋に向かっていた。
彼には試合前に会っておきたいと思った。もしかしたらアーソンを追い出した時の話が聞けるかもしれない。
ラドゥケスは思わずにやりと笑った。それを肴にしばらくは仲間と楽しく酒が飲めそうだ。
しかしラドゥケスが本当に興味があったのは、アーソンやその剣闘士よりも、師匠のクレウスの方だった。先の戦で英雄とまで呼ばれた男が今はどのように生きているのか知りたい。もしかすれば実際に会うチャンスに恵まれるかもしれない。
そんなことを考えると、ラドゥケスはこの街に来てからはじめての高揚感を覚えた。
通路にはいくつか部屋があったが、使用されているのは一部屋だけであった。ここがおそらく彼の部屋だ。多くの剣闘士は試合を観戦したり、体の調整をしているのでこんな場所に引きこもったりはしないのだ。
それゆえラドゥケスは不思議に思った。
負けを知らぬ少年剣闘士。
誰とも接触せずに部屋に閉じこもり何をしているのか。
ラドゥケスは自然と足音を消し、部屋に近づいていた。扉の傍に立つと中から聞こえる声にラドゥケスはそっと耳を傾けた。
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