第13話 決断

イラステーはマルケの書斎にいた。

セラがマルケを訪ねて王宮から使者が来たことを伝えに来てくれたのだ。ラドゥケスの姿を探して飛び込むように家に入ったが、そこで待っていたのは彼ではなくソランであった。ソランは一言、師匠が呼んでいる、とだけ言って歩き出した。わけがわからずソランの後をついて行った。

書斎には、いつものようにマルケが座っていた。ソランもマルケも様子が変だった。重い空気が部屋を包んでいる。イラステーは怖くなった。イラステーが口を開いたところでマルケが話し出した。

「王宮から使者が来た。私宛てだ。私は明日にでもここを去り、王宮に参らなければならない。」

イラステーはラドゥケスのことなど頭から吹き飛んでしまった。

「それは…どのくらいの期間ですか?」

「もう二度とここへは戻らない。陛下の思し召しなのだ。」

イラステーは混乱した。父と慕う人が突然ここを去る。そして二度と戻らないという。きっとソランも聞かされたのだろう。彼が沈黙している理由がわかった。しかしイラステーは黙っていられなかった。

「急すぎます!この村はどうなるのですか?ホムニスさんは!ここを去る理由を教えて下さい!」

マルケは何も答えなかった。答える気がないのだ。イラステーはソランを見た。

「ソランはいいの?こんなに突然!お屋敷のことだって…。」

「イラステー、それは私たちが決めることではない。」

ソランは納得してしまったのだ。いや、そんなはずはない。ソランも悲しんでいるはずだ。ただ物分かりがいいだけなのだ。そしてイラステーはそうではない。イラステーは知らず知らずのうちに泣いていた。マルケと目が合った。マルケは口を開いた。

「イラステー、お前は早くに父を亡くしている。だから短い間ではあるが、私は剣術の師範としてだけでなく、お前を娘のように見守ってきたつもりだ。」

イラステーは目頭が熱くなった。マルケも同じことを考えてくれていたことが嬉しかった。

「はい、わたくしもお師匠様を父のように慕って参りました。大変感謝しております。」

マルケの瞳が揺らいだ。

「ならば理解してくれるだろう。イラステー。父は娘の幸せを願うものだ。」

イラステーは意味を図りかねているとマルケは言葉を続けた。

「お前はソランとすぐに結婚しなさい。」

イラステーは固まった。一瞬マルケが言ったことが理解できなかった。

「もう、ソランには話をしている。仕事の件もどうにかなるだろう。気がかりはお前のことだけだ。」

イラステーはソランを見た。ソランはイラステーを見ようとしない。全てはマルケの思うがままなのか。イラステーはマルケの方に向き直った。

「しかし、私は以前にもお話いたしましたように…」

「あの軍人だろう。3ヶ月も音沙汰無しで、お前はまだ奴のことを信じているのか」

イラステーは胸が刺されたように痛んだ。マルケの言っていることは最もであった。イラステーはメラタイの闘技から戻るとすぐにマルケにあったこと全てを話した。マルケはこの事実に驚愕し、そして激怒した。イラステーは今までメラタイのことをマルケに巧妙に隠していたからだ。毎年、この時期に親戚の面倒を見なければならないとイラステーとセラで隣の村まで馬を走られていることになっていた。マルケはメラタイの危険さをよく承知していたし、自分が教えてきた武術でイラステーが命を落としかけたことにショックを受けていた。マルケはイラステーに今後一切、武術の訓練は行わないと告げ、自宅謹慎を言い渡した。イラステーは素直に従った。しかし今こうして自由に出歩けているのはソランのお陰だった。ソランはマルケ同様、メラタイの件は預かり知らぬところであったが、事態を把握するとすぐにイラステーの動機を察した。ソランはマルケを説得し謹慎は解かれた。それでもマルケが首を縦に振るまで一ヶ月かかった。後からソランに聞かされたが、イラステーが今回の件を話してすぐ、謹慎している間にマルケはラドゥケスの身元を調べ、書簡を送っていた。そして現在に至るまで何の音沙汰もない。

マルケがラドゥケスに関して希望を抱いていないのには根拠があるのだ。イラステーはそれを知っているからこそ何も言えなかった。更にマルケは言い募った。

「だいたいアカメイルの貴族が、平民のお前を嫁にするなどという浮世離れした話。誰が信じると言うのだ。」

しかし家紋の首飾りをもらった。そんなことを言っても彼には通じないだろう。明らかにマルケに分があるのだから。イラステーも心のどこかでわかっていた。全てが夢のようで信じがたい。しかしラドゥケスの真心を信じたかった。

イラステーが何も言えないでいると、納得したと思ったのかマルケは穏やかに話し出した。

「話はこれで終わりだ。お前たちの婚儀をこの目で見られぬことが心残りだが、ソランなら心配することはない。」

マルケはそれだけ言うと重たそうに体を起こし部屋を出て行った。イラステーはどうしたらいいのかわからなかった。横にはずっと黙ったままのソランがいた。

「ソラン。あなたはどう思ってるの?なぜ何も言わないの?このままマルケ様と会えないかもしれないのよ。そして突然私なんかと結婚まで決められて…。」

ソランはイラステーと目を合わせようとしなかった。

しかしやっと話し出した。

「マルケ様の判断は常に正しい。」

「意味がわからないわ。」

わからないことだらけだ。どうして陛下とマルケ様が繋がりをもっているのか、どうして今頃呼び戻そうとしているのか。どうしてソランとの結婚が今必要なのか。

「もうすぐ戦争が始まるんだ。陛下はマルケ様を軍部に必要な方だとお考えのようだ。」

「だからここを去るの?陛下の思し召しだから?」

それでもイラステーには理解できなかった。なぜこうもあっさりとここを去る決断ができたのか。陛下の命令だから?マルケ様に一瞬の迷いもなかったの?

「それとあなたとの婚儀にどう関係があるの?」

ソランはまだイラステーの目を見ない。

「…あの男は来ないよ。」

彼は搾り出すように答えた。イラステーは驚いてソランに向き直った。どうしてソランがそんなことを知っているのか。

イラステーの疑問を察して、ソランは答えた。

「勅使の方が彼からの伝言を預かっていたんだ。」

ということは勅使はラドゥケスではなかった。この村に彼はいないのだ。イラステーは絶望した。そして今からソランが告げることにも絶望するに違いない。だが聞くしかない。イラステーは震える声で尋ねた。

「…彼は何と言って来たの?」

しばらくの沈黙があった。それが一層イラステーの心を苦しめた。ソランが口を開いた。

「迎えには行けない。忘れてくれ、と」

「うそよ!」

イラステーは思わず叫んだ。ソランから後ずさったところで、はじめて彼はイラステーの目を見た。

「信じたくない気持ちはわかるが、イラステー、落ち着くんだ。だからマルケ様は…」

ソランはゆっくりと歩み寄り、手を伸ばしてきた。

「いや! 来ないで! 信じないわ!」

イラステーは逃げるように部屋を走り出た。

「お姉ちゃん?」

心配で待っていたのかセラが部屋の外にいた。今の話は聞かれただろうか、今さらどうでもいい。全てがどうでもよかった。

彼が興味のない村も、約束も、私も。

このままどこかに消えてしまいたい。イラステーは一心不乱に駆けた。

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