第28話 離れの屋敷

たった数日でイラステーは屋敷内の事情をだいぶ把握することができた。それもこれもレノラのおかげなのだが。

ハグノスは、エタンキアも言っていた通り王家とも縁の深い一族で王族がここを訪ねることもあるらしい。

この屋敷に住んでいるのは、エタンキアをはじめその弟君のクノータスとその家族が住んでいるということであった。

ハグノスの家長を務めるのは、弟のクノータスで、どうやら姉のエタンキアを良く思っていないらしい。

一度嫁いだ身でありながら、今やイラステーも知ることとなった事情から本家に出戻った状態で、それに加え何かと一族の方針に口出しをするのだからクノータスには疎ましい存在だろう。

2人の関係性は屋敷内を見ていても明らかで、エタンキアの住まいは、母屋とは別に設けられていた。

使用人たちも彼女の扱いには困っていて、自然いい感情を持っていない。

いろいろな噂を聞くうちに、彼女に仕えることの大変さを想像しながら、屋敷の通常の仕事を学んでいった。

だが働き始めて1週間が経過してもエタンキアから声がかかることはなかった。

不思議に思いレノラに尋ねると使用人にも役割分担と階級があり、ハグノス家の者を直接世話することができるのは限られた人たちだけだということがわかった。そのためイラステーは彼女の視界にも入らなかったというわけだ。

だがイラステーは本来の目的を忘れるわけにはいかなかった。

イラステーがこの館へ来て、10日後の朝、ついに彼女はレダの元に向かい奥方の専属世話係を願い出た。

ある意味、昇進を求めているようなものだが、イラステーはあまり心配していなかった。なぜなら彼女の世話することを望む者がいなかったからだ。つい先日も、エタンキアに使えていた侍女が首になった。ならばエタンキアに使えると志願するものはありがたがれるに違いない。レダはイラステーの希望をエタンキアに伝えることを約束してくれた。

レダは返事に数日かかるかもしれない、と言っていたが驚いたことに夕方にはエタンキアからの呼び出しがあった。

レダはエタンキアの住まいである離れの建物までイラステーを案内した。イラステーにとってこの建物に入るのは初めてである。

イラステーは緊張の面持ちで戸をくぐったがレダは中に入ろうとしなかった。

イラステーが不思議に思っていると、レダがその疑問に答えた。

「中に入れるのはエタンキア様の傍仕えだけです。

私はここで待っています。」

イラステーは驚きで声をあげそうになったが、この建物に広がる静寂がそれを許さなかった。

イラステーは覚悟を決め静かに奥へと進んだ。内部の回廊を歩くと外から入る夕日に照らされた中庭は美しく、しかしとても寂しげだった。

エタンキア1人が住むには広すぎる気がした。

レダがこの屋敷内の間取りを説明していた意味がわかった。

イラステーはまっすぐエタンキアのいる部屋に向かった。

本当に彼女はいるのかと疑う程屋敷は静まり返っていた。

イラステーは無音の廊下に影を刻みながら進んだ。

彼女の部屋の前に到着すると、美しい扉が目に飛び込んで来た。

それは精緻で美しい模様が木彫りで施されていた。ここが主人の部屋だと傍目にもわかる。

イラステーは呼吸を整え、声をかけた。

「イラステー只今ここに」

しばらく間をおいて、中へ、と返答があった。

イラステーの心臓が跳ねた。まちがいなくエタンキアの声であった。

イラステーが扉を開けると部屋は薄暗く、しかし中は暖かく保たれていた。

イラステーが驚いたのは、貴族の屋敷かと疑う程、最低限の家具しか置かれていなかったことだ。

だがそのような発見も頭の隅に押しやり、イラステーは主人に向き直った。

エタンキアは居間のベッドチェアでくつろいでいたが、イラステーを見ようとはしなかった。

イラステーはエタンキアから目を離さず、ゆっくりと体勢を低くしていった。

エタンキアは十分な間をとって穏やかに話し始めた。

そのおっとりとした口調はエタンキアの心中から来るもの、というよりは高貴な者が身につけた所作に過ぎないように思えた。

「私の侍女になることを望んだそうではないか。」

「はい。」

エタンキアはつとこちらを見た。

「どういうつもりだ?」

イラステーは訳がわからず言葉に窮した。

それを望んだのはエタンキアではなかったのか。

だが黙っているわけにはいかず、周知に事実を伝えるしかなかった。

「王宮でお約束しました通り、奥様にお仕えするためでございます。」

エタンキアは、鼻で笑った。

「館の女どもの噂を聞いておらぬのか。私があやつらになんと呼ばれておるか、知らぬと思うてか。」

イラステーはエタンキアの言葉の真意を探った。

彼女はイラステーを試しているだろうか。

流れに身を任せ、エタンキアを避けて屋敷内の仕事をしておけばいいと考えていると、思っていたのだろうか。

だがイラステーは契約を反故にする人間だとは思われたくなかった。エタンキアがどんな人間だろうと仕えると言ったからには実行しなければならない。

イラステーは自分の思いを伝えることにした。

「私はただ奥様におつかえするのみにございます。」

イラステーは叩頭した。そして静かに返事を待った。

エタンキアのふっと息をもらすような笑い声が聞こえた。

「あいわかった。覚悟するがよい。」

そう言うと、さらさらと衣擦れの音をさせながら部屋を出て行った。

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