第52話 エタンキアとイラステー

訓練の間中、プロトの真意について考え続けた。

間違いないのはエタンキアを都に残したいとは思っていないということだ。

ならばイラステーにこの件を伝えた理由はエタンキアの説得に違いなかった。

肉親であるクノータスはとおに匙を投げている状態で、唯一エタンキアと話ができると考えたのがイラステーなのだろう。

ならばそれは過剰な期待だとイラステーは思った。

それにイラステーにはどちらが正しい判断なのかまるでわからなかった。

マルケはここが危険になれば即座に伝えると言っていた。

知らせがない以上、王宮ではまだ戦争に関する確信的な情報はないということだ。

つまりまだ都にいてもよいことになる。

だがそれではハグノス一族の意向にそぐわない。

エタンキアはどうしたいのだろう。

どうしてここに残りたいのか。

イラステーの頭にあの時の言葉が蘇った。

 だからこそ、ここにおるのではないか。

イラステーは無意識に頭を振った。

イラステーはエタンキアと話がしたかった。

訓練を終えると逃げるようにその場を辞した。

稽古場から離れれば離れるほど静寂がイラステーを迎え入れた。

エタンキアの屋敷にひとたび入り込むと無音の世界が押し包んだ。

しかしイラステーはそれに違和感を覚えた。

いつもならイラステーの訓練中、代わりの使用人が来ているはずだが今は誰もいない。

奇妙に思い、急いで自室で着替えるとエタンキアの部屋を訪ねた。

「エタンキア様、いらっしゃいますか。」

返事はなかった。

「入ります。」

イラステーがゆっくり扉を開けるとエタンキアは扉に背を向けて、小椅子に座っていた。

イラステーは近づく前に声をかけた。

「エタンキア様、朝餉はお召しになられましたか?お衣装は…。」

イラステーがゆっくり傍によりエタンキアの隣に立った時、彼女の足元を見て驚いた。

パルトがたくさん落ちていた。

柄はどれも同じだが見たことのないものだ。

「これは…」

「師がおらぬでひとりで作っておった。」

イラステーは使用人がいなかった理由を悟った。

人払いをしたのだろう。

イラステーはひとつひとつ拾っていった。

まだ形はいびつだがどれも布と糸の組み合わせが美しく、手元に広がる虹のようであった。

「一晩でこんなに…。」

手の平に集めて矯めつ眇めつ眺めた。

「しかもとても綺麗です。これはどなたに…」

言い終わらぬうちに、自分が同じ質問をされたことを思い出した。

「考えておらぬ。ただ作っておっただけだ。」

イラステーはエタンキアを見た。

エタンキアはあらぬ方向を見ていたがゆっくりとイラステーに視線を合わせた。

しばらく二人は見つめ合っていた。

イラステーは意を決して質問した。

「…エタンキア様はここに残られるのですか?」

エタンキアはゆっくりと視線を外し、虚ろな目でどこかを見据えた。

質問には答えなかった。

「…私と同じ理由でございますか?」

イラステーは質問を続けた。

しばらくしてエタンキアの口が開いた。

「この年齢になっても、私は自分の望みがわからぬ。

ただ過去の残滓ざんしすがり生きる亡霊のようだ。」

エタンキアはまたゆっくりとイラステーを見た。

「…私はもう疲れたのだ。」

エタンキアは視線を落としてイラステーの手元を見た。

「それはお前にやる。いい暇つぶしであった。」

それだけ言ってエタンキアはもう一言も発しなかった。

イラステーは言葉を待った。

しかしエタンキアは二度とイラステーを見ることはなかった。

あきらめて立ち上がり扉の前に立ち扉に手をかけた。

だがイラステーはエタンキアの足元に舞い戻っていた。

「エタンキア様、どうかご無礼を承知でお聞きください。」

エタンキアの反応を待たずにイラステーは話しだした。

「私はエタンキア様の言う通り、ラドゥケス様のお傍にいたい一心で都に留まったのだと思います。

それもあなた様にご指摘頂くまで気づいておりませんでした。

私はエタンキア様のために、この屋敷でお傍近くお仕えしているのだと信じておりました。」

エタンキアはゆっくりと口を開いた。

「私を憐れんでいたのだな。」

イラステーは顔を上げた。

エタンキアは静かにイラステーを見ていた。

イラステーは額を床にこすりつけた。何も言えなかった。

「お前は私の中に自分を見ていた。」

イラステーはただ聞いていた。

「男に置き去りにされた女。

一族の者にもうとまれ、使用人からも毛嫌いされ、孤独な生活を送る私の姿はさぞ哀れに映ったであろう。

そんな女の傍に仕えることはお前の自尊心を満たしたのではないか。」

イラステーの目の前にある床が濡れた。

「私が王宮へ参じたあの日、私はマルケに会いに行ったのではない。

やつが連れて来た女を一目見たかったのだ。

私の代わりに傍に置いていた女がどんなものか見てやろうと。

だがその女は思う男に捨てられた哀れな女であった。私と同じ。」

最期の言葉はどこか遠い記憶を探るような儚い響きを持っていた。

「なぁイラステー。」

イラステーは顔を上げた。

「お前も私も同じなのだ。」

イラステーは驚いた。エタンキアは微笑んでいたのだ。

「私たちは同じなのだよ。」

イラステーは吸い込まれるようにエタンキアを見つめた。

イラステーは魅入られるように言葉を紡いだ。

「ではともにここを去りましょう。」

エタンキアはそこで表情を凍てつかせた。

次の声音もそれに倣った。

「私はここに残る。」

「エタンキア様が、私がシーラリス様を思うようにあの方を思っておられるならば、我々はここを離れた方がよいのです。」

「私とやつにもう何の繋がりもない。」

「それは私も同じでございます。

シーラリス様は私が都にいることもご存知ないのです。

本当にあの方と私にはもう何もないのです。」

イラステーは目に強い光を宿してエタンキアに語りかけた。

「あの方々は国を選びました。

だから私どもはその意思を尊重する他ないのでございます。」

エタンキアはほんの少し眉間に皺を寄せた。

「お約束の通りエタンキア様のお傍近くにお仕えいたします。

どうかともにエガンラへ。」

「クノータスから何か言われたか。」

イラステーは首を横に振った。

「お館様からは何も。

ただしプロト様より言外に告げられました。

私は返事をしなかった。」

エタンキアはイラステーから目を離さなかった。

「お館様はエタンキア様のご意思に任せると仰られたとか。

プロト様はただご自身の立場からの判断なのだと思います。」

エタンキアはしばらくイラステーを見ていたが、ふいに視線を外した。

「去れ。今日はもう用はない。」

イラステーは追いすがることはしなかった。

深々と平伏した。

「数々の無礼な発言をお許しください。」

そうして静かに部屋を辞した。


イラステーは真っすぐに自分の部屋へ戻り、握っていたものをそっと机に置くと

文箱に手を伸ばした。

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