第51話 プロトとイラステー

朝稽古に行く気力もなかったが休むわけにはいかない。

朝の支度を済ませると重い体を引きずって母屋の方へ向かった。

稽古場にはいつも通りの顔ぶれがいる。

その中にはもちろんモドレゴもいた。

いつも通りに接する自信がなかったが先輩に対して無礼はあってはならないので、精神力をかき集めてはきはきと挨拶をする。

だがそんな努力も虚しくモドレゴは開口一番こう言った。

「ひどい顔だな。」

イラステーはショックでしばらく何も答えられなかった。

「お前、イラステーも一応女だぞ。」

周りがフォローを入れて近づいてくる。

イラステーは反射的に後退ってしまった。

気づいた時には遅かった。

周りもイラステーの様子がおかしいことに気づいたのだ。

「すまん。今のは俺が悪かった。」

モドレゴが重い空気を払うように言った。

イラステーも何とか反応を返した。

「いえ、昨夜は寝不足で。失礼しました。

今日もよろしくお願いします」

周りもほっとしたようだった。

「無理すんなよ。」

そう言って男たちは三々五々離れて行った。

モドレゴだけがそばにいた。

「何かあったのか。」

イラステーは顔をあげた。

「いいえ、本当にただの寝不足です。

ご心配をおかけして申し訳ありません。」

「あの女か…?」

エタンキアのことだ。

イラステーははっきりと首を横に振った。

モドレゴは眉間に皺を寄せた。

「ならいいが…レノラが心配していた。

お前があれに入れ込み過ぎているようだってな。」

イラステーは全身が熱くなるような気がした。

「あまり無理するなよ。」

そう言うとモドレゴは離れて行った。

自分を一番理解していないのは自分だったことを知った。

イラステーは努めていつも通りに振舞おうとしたが今日はいつもと違うことが起きすぎた。

その手始めとしてプロトが訓練の前に招集をかけた。

イラステーに目を向けて一瞬考えるようなしぐさをしたが、イラステーも呼ばれた。

プロトが話す内容に一同がどよめいた。

「そうおかしな話ではない。当然と言えれば当然だ。

奥方のコーデリア様をはじめご子息のハイトス様をエガンラにお連れする。そのための護衛任務に幾人かは当たってもらう。」

この一族を守るために雇われてきたわけだから当然と言えば当然である。だが男たちが俄かに騒めいたのはこの処置が示す不吉な事態であった。

「開戦が違いのですか?」

やはりモドレゴが聞いた。ここでその質問ができるのは彼だけだった。プロトは淡々と答えた。

「そういう情報は私には入っていない。

だが都が安全でなくなっていることは確かだ。

クノータス様の判断だ。残りの者たちは継続してここで任務についてもらう。」

イラステーは内心大きく安堵した。

周りの者たちも勇んだ肩を下ろしたように見えた。

だがここでイラステーの胸に疑問が浮かんだ。

だがイラステーが聞いていい訳もなくモドレゴに希望を託したところで彼が声を発した。

「残るのはクノータス様だけでございますか?」

「この屋敷ではクノータス様だけだ。

一族の女子供は皆エガンラに移すように仰せつかっている。」

跡継ぎのハイトスを守るために違いない。

ハイトスは現在11歳。とても都でクノータスを支えられる年齢ではなかった。

一族のためにも有事の際に安全な地に移すつもりなのだろう。

だがイラステーはそんなことよりも気を取られていることがあった。イラステーは尋ねられない疑問を目で語るようにプロトを熱心に見つめた。

プロトはイラステーの目を捉えた。

「エタンキア様はこの要請を断っている。」

イラステーの表情は強張った。

プロトはそれに気づいたような素振りは見せず全員に向き直った。

「追って知らせがあるだろう。

誰がエガンラへの護衛の任に就くか検討中だ。

この屋敷仕えの者たちも選択を迫られることになるだろう。

屋敷に残れる者は限られてくるはずだ。

エガンラ行きか、各自実家に戻されるか。

だがこの話はまだ内密に頼む。

下手に屋敷の者たちの混乱を招くようなことは控えてもらいたい。」

プロトが全体を見渡すと、最後にイラステーをちらりと見たのを見逃さなかった。

イラステーの立場が特殊である以上仕方がない。

案の定、プロトが各自訓練に戻るように告げたにも関わらずイラステーだけが残された。

男たちは一瞬視線を寄せたがプロトの言外の威圧に、散り散りに去っていった。

イラステーは居心地の悪い思いでプロトの前に立った。

「わかっていると思うがこの件は他言無用だ。

然るべき時にクノータス様が屋敷の者たちに説明する。いいな。」

思えばプロトとこうして話をするのは初めてだった。

あのエタンキアの酔狂から救われた一件以来、鍛錬の指導以外で関わったことがない。

もしかしたらクノータスよりも遠い存在かもしれなかった。

イラステーは勇気を出して尋ねた。

「プロト様はどうしてわたくしにこの件を話して下さったのでございますか。」

プロトはすぐには答えなかった。

「何故だと思う。」

質問で返されイラステーは目をしばたいた。

頭ではなく心で答えが出ていた。

「エタンキア様のことでしょうか。」

プロトは腕を組んだ。

「一つ言っておくが、この件をお前に伝えたのは私の判断だ。

クノータス様とは関係ない。

あの方はエタンキア様に判断を委ねている。」

イラステーは不敬とも取られる目でプロトを見返した。

「わたくしにエタンキア様を説得しろということでございますか。」

プロトは力強くイラステーを見据えたが何も答えなかった。

答える気がないのは明白だった。

2人の沈黙の会話はしばらく続いた。

イラステーはきびすを揃え大きく頭を下げた。

「失礼いたします。」

そう言うと男たちの元へと駆けた。

イラステーもまた、答えを返すわけにはいかなかった。

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