第36話 マルケとラドゥケスの密談

マルケは尋問室を見渡した。

当時と何も変わっていない。

部屋は黴臭く淀んでいたが、蝋が燃える匂いを嗅ぐと様々な記憶がよみがえり胸がつかえた。

ここでマルケとエクトンは2人で敵兵や捕虜に尋問をした。

尋問の後は上に報告する情報を整理するため長い時間ここで話し合った。

2人は窓のないこの部屋で年月のまりと蝋の匂いにまみれて仕事をしていた。

だが今や友は捕らわれの身となっている。

マルケは目頭を押さえた。

「大丈夫ですか?」

ラドゥケスが部屋に入って来た。

「大丈夫だ。火を見過ぎた。」

外套のフードを外すと意思のはっきりした目がこちらを見据えた。

「シーラリス将軍。よく来てくれた。」

「ラドゥケスで結構です。お待たせしました。」

「私はどちらでもよいのだが、呼び名を2つにすると私はすぐにぼろが出る。

あまり海軍と慣れ合うと周りがうるさい。

人目をはばかりここへ呼んだのも同じ理由だ。」

ラドゥケスは静かに頷いた。

座ってくれ、というマルケの言葉にラドゥケスは従った。

「君にはいくつか尋ねたいことがあってな。

こんな所で申し訳ないが我々には時間があまりない。」

ラドゥケスは、はい、と答え真剣な眼差しを向けてくる。

「私はここに来て間もない。

だからこそ王宮内の情勢を知っておきたいのだ。

私はずっと疑問に思っていることがある。

あの御前会議の違和感だ。

君は気づいているか。」

「アーロガンタイとの交渉についてでしょうか。」

マルケは内心安堵した。

自分と同じ考えを持つ者がいたこと。

そしてここへ呼んだ人選が間違いでなかったということだ。

「私は陛下にずっとお伝えしている。

エオナはアーロガンタイと交渉し同盟を結ぶか属国となるべきだと。

エオナは財はあっても小国だ。

先代スタブロス王が健在の当時は可能性もあっただろうが、停戦条約以降、周辺国の動向を見ても我らの勝機は日に日に薄まっていくばかりだ。

どうして交渉を進言する臣下が一人もいない。

先代が戦争遂行に固執していたことは知っているがスタブロス王が崩御され、今上陛下が即位された後も、そういった進言が成された形跡がないのだ。

どうしてサクリフィス暗殺まで放置されたのだ。

シーラリス将軍、あなたの知っていることを教えてくれないか。」

ラドゥケスは戸惑いの表情を見せた。

「どうしてわたくしに尋ねられたかお聞きしても…?」

「君ならば私を懐柔かいじゅうできないからだ。」

ラドゥケスは表情を変えずに聞いていた。

「もしオケアノス艦隊司令官やアイダロス元老院長にこの話をすれば彼らの意思に従わざる負えなくなる。

私は彼らの考えを知らないが仮に私と異なる意向を持っている場合、今後私が動きづらくなる。

サルカス宰相はもっての他だ。」

マルケは続けた。

「シーラリス将軍。

私は自分の意思を持っている。

それはこの国を保つことだ。

25年前、エオナの陸軍に入隊した時からその意思は変わらない。

私はそれを遂行するために戻って来た。

だから慎重に動きたい。

それが君を呼んだ理由だ。これで答えになったかな。」

ラドゥケスは頷いた。

「率直にお答え頂きありがとうございます。

では私も無礼を承知で申し上げます。

エオナの臣下たちがどうして開戦を唯々諾々と受け入れてきたか。

それはクレウス将軍、あなたの存在です。」

マルケはわずかに目をすがめた。

「クレウス将軍がエオナイを去られた理由は多くの上位軍人が存じ上げております。

クレウス将軍は停戦条約前にスタブロス王に同盟か属国になることを進言された。王はそれを受け入れず、あなたはエオナイを追われた。

臣下たちはスタブロス王を恐れておりました。

彼らは王が換言かんげんを聞き入れられないのならば、あなたと同じてつを踏むまいとしたのです。

加えてあの方には懲罰や政治的制裁以上に下の者を従わせる絶対的なカリスマ性がありました。

戦争への勝機を感じさせる王としての資質があったのです。

多くの者がスタブロス王に従う道を選んだ。」

マルケは深く腰掛け大きく首を振った。

「私が最後の非国民となったわけだ。」

ラドゥケスは慎重に頷いた。マルケは、つと顔をあげ話を続ける。

「だがスタブロス王亡き後、サクリフィス暗殺までのこの1年間に誰もが口を閉ざしていたのは何故だ。」

「クレウス殿も予想されているとは思われますが、これは軍部の問題なのです。我々はもう後には引けないところまで来てしまった。

我々は停戦条約後から今日まで次の戦いに備えて多くの金と人間をつぎ込んできた。

軍部は引き下がることができないのです。」

「私と考えを同じくする者はいないのか。」

「おそらくおられません。

戦争肯定派か、どちらの立場もとられておられないかです。」

「戦争肯定派の核は誰なのだ。」

「元老院のダッタン・メネラオス様でございます。」

マルケは思わずため息を漏らしそうになった。

ラドゥケスは言葉を切ったが、マルケは続けてくれと、身振りで示す。

「あの方を中心に軍隊上がりの元老院は皆、戦争肯定派です。

その外はどちらの立場もとっておられません。

みな大きくなり過ぎた軍部の権力を恐れているのです。」

「ダッタンはケンテラやオケアノス殿を操っているのか。」

「オケアノス将軍に関してはわかりません。

あの方は明確な立場を示しておられません。

アイダロス元老院長は元老院の代表である以上、元老院の多数を占める戦争肯定派の意向を無視できないのです。

ただ両者本人たちが戦争肯定派ならば、とおの昔にセンテレウス将軍捕縛の件がメネラオス様に漏れてもおかしくないと思います。」

オーロン・オケアノスやケンテラ・アイダロスが戦争肯定派ならセンテレウスという戦争の起爆剤をダッタンから隠し続けるわけがないということだ。

マルケは眉間に皺を寄せた。

「オケアノス殿の意思を尋ねたことがないのか?

そなたの直属の上官じゃないか。」

「将軍は話をはぐらかすのです。

あの方は大変聡明な方です。何か考えがあるのかもしれません。」

ラドゥケスは難しい顔をした。

食えないやつということだ。

だがダッタン側についているわけではないならば話ができるかもしれない。

マルケにはまだ聞きたいことがあった。

「エクトンのことは伏せられていても、サクリフィスの暗殺は王宮中で知れたこと。どうしてダッタンたちは戦争を扇動しない。」

ラドゥケスは首を振った。

「とんでもございません。

元老院は連日集会を開き、会議の場は紛糾しております。

今にもアーロガンタイを攻め滅ぼさんというばかりでございます。

しかしその場をアイダロス元老院長が言葉巧みに抑えているのです。」

マルケはケンテラの手腕に舌を巻いた。

彼は慎重に元老院からマルケを遠ざけていた。

交渉派のマルケが元老院と接触すれば、下手に刺激することになる。

「私は戦争肯定派の核にサルカスの名前が出てくるかと思っていた。」

「いいえ、むしろ唯一の交渉派かもしれません。」

マルケは意外な発言に瞠目した。

「先王亡き後、サルカス様は自身とともに現役を退くよう、メネラオス様を説得したのでございます。

結果、メネラオス様は司令官の任を辞し元老院に入られました。」

「あの男が…」

「理由は存じ上げません。

しかし自身はスペリオル陛下の強い意向により、結局宰相を続けることになりましたが…。

これもメネラオス様はよく思われていないでしょう。

少なくとも二人の関係は良好とは言えません。」

そう言えば、とラドゥケスは続ける。

「アイダロス様が元老院長になられたのも、当時何かの力が働いたことは噂になりました。

今考えれば、もしかしたらそれもサルカス様のお力かもしれません。

今上陛下はおそらくアーロガンタイとの交渉を進めたいと考えておられます。

しかしそれがご決意できないのは、父王の意向とメネラオス様を中心とする戦争肯定派の意向を無視できないからだと思われます。

サルカス様はそういった事態を見越して、先帝の陰が染みついた自身とともに戦争肯定派の力を減退させようとしたのかもしれません。」

「だが交渉の話は出てこないではないか。」

「しかし、アーロガンタイへの攻撃も決議されていません。

もしこれらがサルカス様の采配ならばそれらは確かに機能しているのです。」

マルケは唸った。

常にスタブロス王の傍近くに仕え、手足となって動いてきた彼のイメージとはかけ離れた話に、マルケはすんなりと受け入れられないところがあった。

しかしマルケには空白の10年がある。

人の心が変わるには十分な時間だ。

「今が正念場なのかもしれません。

陛下が交渉の話をしないのは、国政の流れをこちら側へ向ける決定的な何かを待っているのかもしれません。」

「その鍵をエクトンが握っていると君は言うのだな。」

ラドゥケスは慎重に頷いた。

マルケは溜息を漏らして、深く椅子に腰かけた。

「まずは足元を固めねばなるまいな…。」

マルケはラドゥケスを見た。

「ここでの話は内密に頼む。」

「もちろんでございます。

しかしクレウス将軍。このような話は私にするよりもアーソン・ヒッキア将軍に尋ねられた方がよいかと思われますが。」

「本来ならそうだな。」

マルケは苦い笑いを浮かべた。

アーソンにももちろん尋ねた。

彼はマルケにとって直属の部下だ。

だが彼はマルケを信奉し過ぎるきらいがある。

冷静な会話が難しいのだ。

加えて彼は戦争肯定派だ。下手な会話はできない。

だがラドゥケスは違う。

こうしてマルケの意向を汲んで会話ができる。

「シーラリス将軍。そなたはどうなのだ。

エオナとアーロガンタイの関係についてどう考えている。」

ラドゥケスは目を丸くした。

「私でございますか。」

「このことは内密だ。

オケアノス殿との関係も無視してそなたの考えも聞いてみたい。」

ラドゥケスは目に逡巡しゅんじゅんを浮かべ、しばらくして決意したように話だした。

「私は有利な形で永久停戦の条約が結べればと考えています。」

マルケは頷いた。

「そのためにエクトンが握る秘密が必要なのだな。」

「そうでございます。

アーロガンタイとエオナが対等に渡り合える切り札をあの方は握っているかもしれない。」

マルケは鷹揚おうように頷いた。

「2人でやり遂げねば。」

ラドゥケスは表情を曇らせた。

「私を信じて下さるのですね。」

「そなたが文字通り命を懸けた賭けだ。

私はその心意気を信じよう。」

ラドゥケスは強張った笑みを浮かべた。

マルケの言葉がまた重圧になったのだろう。

「私はここへ戻って来れてよかったと思っている。

そなたが呼び寄せてくれたのだ。感謝している。

たとえ結末がどうなろうと、国のために戦えたのなら本望だ。」

「だが私は彼女から大切な人を奪ってしまった。」

マルケは一瞬言葉につまった。

「イラステーか。」

「彼女はあなたを慕っていた。」

マルケは頭を振った。否定の意味ではない。やりきれない気持ちからだ。

「彼女はもう大人だ。1人で生きていける。」

ラドゥケスは何も言わなかった。

「シーラリス将軍よ。

君には成すべきことが山ほどある。

これ以上、他のことに気をとられてはいけない。」

ラドゥケスは不承不承といった様子で頷いた。

彼にイラステーを心配する権利がないとは言わない。

彼の思いも十分過ぎるほどにわかる。

だが際限のない思いは断ち切らねば、今までの決断が無駄になる。

「彼女は大丈夫だ。」

フードを目深に被り立ち去ろうとする彼に、マルケは最後の言葉をかけた。

軽く頷いたように見えた。そうして扉の向こうへと消えた。

昨日、イラステーからの2通目の手紙が届いた。

文は簡潔で、迷惑をかけまいとする彼女の意図が見えた。

ラドゥケスにこのことが知れたらマルケを許さないだろう。

できるだけ早く彼女を安全な場所に逃がさなければならない。

マルケは立ち上がった。

今日の面会がまだだ。

エクトンはきっと何も話さないだろう。

それでも毎日会わなければと思う。

どんどん闇へ溶けていきそうな友を繋ぎ留めるためには、それ以外の方法が思いつかなかった。

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