エオナイ

第17話 堅牢

ラドゥケスはゆっくりと静かに階段をのぼっていった。それは暗闇で足を踏みはずさないようにと気をつけているわけではなく、音を立てることも憚られるような気がしたからに過ぎない。それは今から会う者への配慮なのか、それとも自分自身のためなのか。

 大丈夫だ。時間はまだある。まだ…

彼は、心でそう唱えながら、何度も通った道を辿った。そして扉の前にたつ軍人に目礼し、明かりを渡されると中へ入った。照らし出された部屋には男がいた。男はいつも通りの姿、いつも通りの位置に座っていた。冷たい壁に体を預け、顔を伏せて座っている。何度通っても、その姿は変わらない。

きっと今日の彼の答えも同じなのだろう。そう思った瞬間、また胸の奥から絶望が湧き出た。それでもラドゥケスはあきらめるわけにはいかなかった。ラドゥケスは穏やかに声をかけた。

「…ミーディオーク将軍、口を開く気はございませんか?」

男は何も答えない。エクトン・ミーディオーク。つい数週間前までエオナの将軍を務めていた男だ。ラドゥケスが陸軍幹部ともめてエオナイを離れテレトーヴァにいた時、事件は起こった。休戦協定を結んでいる隣国アーロガンタイの皇弟が殺されたのだ。遺体はマール海からエオナイのそばを流れるステュクス川へ向かって奔る船から見つかった。船はアーロガンタイの帆船で、中には皇弟の他にアーロガンタイの兵士が乗っていた。しかし全員が無残にもエオナの武器で殺されていた。誰もが戦慄した。すみやかに調査隊を発足したが、まもなくしてアーロガンタイから文書が届いた。皇弟の警護を務めていた船が逃げ帰り皇弟の訃報と事の次第を伝えたのだ。書簡によると皇弟サクリフィスは正式なエオナ王の招待の元、この地に赴いたとあり、生き残った者たちの証言によると歓待として待ち受けていたエオナの軍船からの奇襲とのことであった。

ここまで来ると開戦は必至と思われたが、アーロガンタイはまず事態の子細を報告するように迫り、自国の調査機関を受け入れるよう要求してきたのだ。それが飲めないならば皇弟殺害を認めたことと同義であり宣戦布告と受け止め、すぐにでも軍隊を送ると書かれていた。アーロガンタイの調査機関を受け入れるということは公に間諜活動を認めるようなものだ。しかし彼らを通さなければ戦争が待っている。エオナ王は彼らを受け入れるしかなかった。そしでラドゥケスたちに残されているのは早急に犯人を見つけ出すことだった。アーロガンタイの言い分ではサクリフィスは正式な招待でエオナ訪問を決めたという。ならば王の名を騙り正式な書状を偽造できた者。あれだけの武器と暗殺用の兵を実行に移すまで誰にも悟られず準備できた者だ。その者を見つけ速やかにアーロガンタイに引き渡すことが唯一、開戦を避けられるかもしれない手段であった。ラドゥケスはテレトーヴァから戻るとすぐに捜査を開始した。大物が関わっていることは間違いないと判断され、捜査は都を中心に2カ月間行われた。ラドゥケスはまず暗殺に使用された武器の流れを洗った。王宮に存在する武器庫と工場について調べるよう指示を出した。武器庫に関しては保管数や発注、日付等に不審な点は何も見つからなかった。しかしひと月がたってようやく工場を捜査していた部下から報告があった。王宮の武具生産を受け持つ工房はいくつか存在していて、そのうちの一つから王宮では確認されていない受注があった。書簡にある名はデタラメで命じた者の所在はつかめなかったが、それ自体は予想の範囲内だ。ラドゥケスが驚いたことは別にあった。これらの受注は遡れば5年程前から断続的に続いていたのだ。その報告を受けてラドゥケスは恐怖を覚えた。犯人はこの暗殺目がけて真っすぐに狙いを定めていたのだ。カウントダウンは5年も前から始まっていた。工場への詳しい捜査が始まる中、ラドゥケスは次に暗殺に関わった者たちの捜索も並行して行っていた。事件が起こった時間帯の船舶の出入港記録を確認した。また海軍兵士全員からその日の行動について調べた。首謀者が1人であっても、実行者が多ければ完全犯罪は難しいと考えたからだ。この件に関しては兵士たちから反発が出たため完全に聞き取りが終わるまでに相当な時間がかかった。ラドゥケス自身も自分の部下を取り調べに送り出すことは抵抗があったがやり遂げるしかなかった。結果としてラドゥケスの部下は誰一人関わっていなかった。それを知った時の秘めた安堵感は計り知れなかった。しかし別の不安が押し寄せた。海軍から犯人が出なければ捜査範囲が膨大に広がる。海上で起こった事件であることから海軍への捜査が入ったのに、こちらには不審な点がなかったのだ。こうしている間にもアーロガンタイの調査機関は我が物顔で王宮を歩き回り独自に捜査を行っている。御前会議では次に陸軍への聞き取りを始めることが決定した。もちろん一筋縄で行くわけがなく、アーソンを中心に大隊長クラスが抵抗した。最終的にはこの捜査も断行に至ったのだが、陸軍幹部への説得に相当な労力を要することとなった。

だが捜査はここで急展開を見せる。陸軍の中から事件に関わった兵士が見つかったのだ。そこから芋ずる式に関係者が見つかり、彼らの証言からミーディオーク将軍の名前が出たのだ。ラドゥケスは大いに動揺した。確証を得るため秘密裏にエクトンの自宅を捜索し偽造文書を作成するための道具を捜索した。それらは驚くほどあっさりと発見された。こうしてエクトンは捕らえられた。

彼は捕まるときも恐ろしく冷静で、彼を王宮に護送する時もいつもの出仕のような振舞いだった。

動機はアーロガンタイ王の右腕であるサクリフィスを殺害し、勢力を削ぐ計画だったと述べた。

ラドゥケスはエクトン捕縛までの一連の流れに言い知れぬ不安が心をかすめ、また彼の発言にも何か納得のいかないものを感じた。

エクトンは誰よりも国を愛し、また賢い男であったはずだ。だからこそ陸軍大将までのぼりつめた。そんな男が国を窮地に陥れるような事態を招くはずがない。あらゆる疑問がラドゥケスの中で拭うことのできない黒い染みのように胸に広がっていった。

エクトンは何かを隠している。その思いは日に日に強くなった。それを聞き出すまではアーロガンタイに彼を引き渡すことはできない。アーロガンタイに引き渡せばその時点で真実は闇に葬り去られる。エクトンが正気を失ってこのような事態を招いたわけではないならば、それを解明する必要があった。それが例え調査機関に猶予を与えることになったとしてもラドゥケスはやり遂げるつもりだった。

ラドゥケスは目の前の男に意識を戻した。

「将軍…」

「私はもう将軍ではない。」

ラドゥケスは少し驚いた。エクトンは犯行を認めて以降、一切口を開くことは無くなった。この2週間あらゆる手段で言葉を引き出そうとしたが無駄だった。しかし彼は今もまた物言わぬ像に戻ってしまった。ラドゥケスは改めて、自分よりも遥かに高みを目指し、陛下と肩を並べ国を牽引してきた男の姿を見つめた。将軍として軍を率いていた頃はつい先日であったのに、彼の中の時はもう数十年経ってしまったように、その姿は老いていた。

ラドゥケスは言葉を返した。

「いいえ、現在もまだ将軍の任を解かれておりません。わたしが陛下にそうお願い申し上げました。」

エクトンや例の19人への聞き取りをした者たちには緘口令を敷いている。拘束されている彼らは皇帝陛下の勅命で重要任務に就いていることにしてエオナイにはいないことにしている。それでもこの件が王宮内に知れ渡るのも時間の問題であることは間違いなかった。アーロガンタイは軍幹部であるエクトンとこの精鋭部隊の不在を不審に思っているだろう。近いうちエクトン引き渡しを要求されるかもしれない。

エクトンはつと顔を上げた。ラドゥケスは久しぶりに彼の顔を見たような気がした。そして以外にも彼の顔に生気があることに気がついた。そこにあるのは老いではなく、ただの疲れのように見えた。

ラドゥケスは何か励まされるような気がした。エクトンは目を細めた。まるで相手の真意を見抜こうとでもするように。

「何のためだ?」

ラドゥケスはゆっくりと近づき、そして答えた。

「あなたが必要だからです。」

どうかこの切実さが伝わることをラドゥケスは願った。しかし、エクトンは鼻で笑っただけだった。

「若輩者には話す気にもなれないと?」

ラドゥケスは、静寂を嫌うように言葉を続けた。しかしエクトンはそれ以降沈黙を通した。

ラドゥケスは、仕方なく最後に残しておいた言葉を告げた。

「クレウス殿に勅使を送りました。」

この言葉にエクトンは呻き声を上げた。予想した通りの反応にラドゥケスは少し安心する。

「彼ならあなたを何とかしてくれるでしょう。」

「お前、何様のつもりだ。」

エクトンはあきらかな憤怒を露わにしている。

「ただ国を救いたいのです。昔のあなたのように。」

それだけ告げて踵をかえした。ラドゥケスの足取りは、来る時と同じようにゆっくりと慎重だった。しかし、心は違った。何かを掴んだ気がした。根拠はないが、それを信じるしかなかった。

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