ハバシル

第8話 戦争の足音

マリウスは甲板から外を眺めた。ステュクス河とマール海が出会う河口部だ。海も河もいつも通り凪いでいる。と言っても今はまだ暗く、船の揺れから知るしかない。

こうしてまだ水平線も暗い早朝から、輪番で海軍の船が警備に当たっている。警備に使用する監視船は海軍が戦闘の時に使用する軍船と違い、造りは商船と変わらない。マリウスは軍船より監視船の方が好きだった。

軍船は多くの奴隷を乗せ、彼らが漕ぎ手となって船の推進力を得る。

しかし、監視船は商船と同じで大きな帆を張って、風で進む帆船だ。自分の仕事は自覚しているが、軍船はマリウスにとって荷が勝ちすぎている気がした。

今夜はマリウスの船が警備を担当していた。いつもなら前向きに取り組むこの仕事も今夜は違った。ずっと胸騒ぎがするのだ。それは上司の不在も関係しているのかもしれない。直属の上官であるラドゥケス・シーラリスは3日前にエオナイを出た。彼が不在の今は、全ての判断が自分に任されているのだ。こういう時に限っていつも何かが起こる。

もうすぐ日の出だ。匂いから今日は霧が出ていることがわかる。

日が登ればここも賑やかになる。商船が行き交いエオナイの港に活気を与える。ここがこの国エオナの心臓部だ。マリウスはこの港が大好きだった。美しい海、美しい白亜の街。ここが自分の故郷だと思うと誇らしい。そして自分が守っているのだと思えば、その思いは更に強まった。

そうしているうちに空が白みかけてくる。思った通り朝霧が港を包んでいた。

マリウスは異変に気付いた。

朝靄の中 それは突然あらわれた

「マリウス艦長、不審船です!」

部下が叫んだ。

マリウスは予感が的中したのだと、頭の中で呟いた。いや、違う。

ただの迷い船だ。こんな時間に一隻で航行している敵船などいない。目の前を奔る船は明らかに異国のもので、大きさはマリウスの船の倍近くあった。型は軍船のそれとは違ったが商船ではない。油断はできなかった。

しばらく様子を見ていたが、船乗りたちが一向に姿を見せない。この霧の中、船員たちが閉じこもっているわけがない。それは危険な行為だ。マリウスは指示を出した。

「全兵、乗船の準備をさせろ。船をゆっくり近づけるんだ。サウトを呼んでくれ。」

部下が短く返事して、場を離れた。

サウトはすぐに現れた。

「警告しますか。」

「ああ。頼む。」

サウトが頷いて走り去った。

手順通りに事を進めていく。アーロガンタイとの停戦協定の期間はあと5年ある。マリウスは自分に言い聞かせた。

船が近づくとサウトは規定通り、警告を3回与えた。

しかし、向こうから何の返答もない。マリウスは違和感を覚えた。

「乗船する。舷梯げんていを用意しろ。」

部下たちが速やかに準備を整えた。マリウスは乗船する部下を選んだ。あちらの船に移る前に、もう一度警告を与える。

「今より、そちらにエオナ兵が乗船する。こちらの指示に従わず、抵抗すれば武力で応じる。」

返答はなかった。マリウスは部下に合図し、乗り込みを開始した。兵たちは慣れたように木の板を渡りあちらに移った。マリウスが最後に船に降り立つと、目の前にあるものに息を飲んだ。

人は乗っていた。だが皆、ことごとく息絶えていた。体は切り刻まれ、矢が何本も刺さっっている。デッキはそこら中血まみれだった。マリウスは死体の一体に近づき瞠目した。

「マリウス艦長!」

頭を整理する前に部下が駆け付けた。一番最初に乗り込んだ部下だ。

「何だ。」

「船内全て確認しましたが、生存者はいません。しかも皆…」

「我々、エオナの武器で殺されている。」

マリウスは言葉を引き継いだ。

霧が晴れてきた。船は朝日に照らせれゆっくりと全貌を露わにした。マリウスの頭に警戒の鐘ががんがんと響く。だが本能が最も忌々しいものを探り当てるように視線を誘導した。

マリウスは呻いた。

部下たちも声に出さずにはいられなかった。

「何てことだ…。」

マリウスはマストを見ていた。優美な蛇と獅子の紋章。

「アーロガンタイ…」

部下が呟いた。

ただのアーロガンタイの船じゃない。マリウスだけが気づいていた。蛇と獅子の間にある三つ目鳥。これはアーロガンタイ王家の紋章だ。

やはり予感は的中していた。

「隊長こちらへ。」

船内から出て来た兵がマリウスを呼ぶ。

マリウスは動揺を隠して、すぐに部下のもとへ行った。

船内に入ると生ぬるい淀んだ空気が充満していた。血だ。血だらけなのだ。

おそらくアーロガンタイ兵だと思われる男たちの屍を避けながら歩いていくと、部下は一室にマリウスを導いた。その部屋は、マリウスが見たことのない程、豪華で美しく船内でも居心地よく過ごせるように整えられていた。

揺れていなければ城の一室と見紛うばかりだ。

おそらくこの船で最も身分の高い者の部屋なのだろう。

部下は、小机に突っ伏してこと切れた男の傍に立った。男は立派な服に身を包み、今まで見た死体とは違っていた。

マリウスはうつ伏せの男を起こした。男の顔は虚ろで、うっすらと開いた口から血が流れていた。胸元に目をやると深々とエオナの剣が刺さっていた。マリウスはアーロガンタイ王家の顔など知りもしないが、彼が誰なのか推測するのはそう難しくない。

部下が問うようにマリウスの顔を見た。事はマリウスが処理できる範疇を超えていた。

「事態がつかめん。この船を軍港へ連れ帰る。城へ至急知らせねばなるまい。」

開戦は5年後だった。今やそれを信じていいものか、マリウスにはわからなかった。

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