第7話 決着
再び扉の向こうから現れたその男はなぜか髪紐をほどいていた。
「おにいちゃん…」
セラは様子を伺うように言った。
「勝ったぞ」
それだけ言うと、ラドゥケスはサルトのもとに屈んで、短剣で縄を切る作業にかかった。
「解いていいの…?」
サルトは驚いて、そばにいるラドゥケスに問うた。
「市長とは話をつけてきた。」
サルトは目を丸くする。すぐに縄は切られ、腕がぺたりと地面をうった。
「どういうこと?」
サルトは座り込んだままラドゥケスを目で追いながら、詳しい説明を求めた。
「俺はこれでも海軍幹部だ。そしてここは交易で潤う海洋都市。航路の防衛に関して話をすればすぐに片は付いた。」
悪びれず話すこの男に、サルトは心底驚いた。
「脅したの!?」
「そうとも言えるな。」
ラドゥケスはにやりと笑った。サルトは男が急に恐ろしくなった。もう『お前の言葉』で話せるわけもなく、気づいているかわからないが彼は自分で『海軍幹部』であることを明かしたのだ。
「どうしてそこまで…」
サルトの言葉を手で制し、ラドゥケスはセラの方を向いて優しく言った。
「おいお嬢ちゃん。ちょっと出ててもらえるか。込み入った話だ。」
「…わかった。」
セラは見るからにがっかりしたが、素直に従った。
「いい子だ。」
セラが後ろ手に、扉を閉めるのを確認すると彼はサルトに近づき屈んで話を続けた。彼の顔がそばに来たことで、今までに経験したことのない胸のざわめきを感じた。
「もちろん。ただで開放するわけにはいかない。こちらにも条件がある。お前には試合に出てもらう。それも話はつけてきた。」
まるで囁くように話すその言葉には、しかし有無を言わさぬ重みがあった。サルトは思わず声を上げた。
「なっ…」
「さっきも言ったが、俺はお前と公式に手合わせしたい。そうすれば勝敗にかかわらず、お前に賞金を渡そう。」
ラドゥケスは熱っぽく語った。その目はまるで少年のように輝いていた。サルトはそんな彼から目が放せず、そして何も言えずただただ彼の話を聞くしかなかった。
「俺はこれでも軍人の名家でね。金には困ってないのさ。ただし、栄誉として陛下から賜る『可能の石』は俺が頂く。いいな。お前もこれは、捌けないだろうから金にはならんだろう。」
可能の石は、大変珍しい石で見た目は黒いが光の当たり具合でどんな色にも光る美しい石だ。陛下の名の下に、優勝者に下賜される。それを得ることは大変誉れ高いこととされ、メラタイの優勝者しか頂くことのできない代物だった。サルトが出場して以来ずっと我が物にしてきた物だが、それらは全てどうするでもなく自分のベッドの下に隠してある。ラドゥケスの語る話が悪い話ではないことはサルトにもわかった。
「…仰せの通りに致します。」
ラドゥケスは予想通り、嫌な顔をした。しかし、身分を名乗った以上、サルトの行為は間違ってはいないはずだ。ラドゥケスは苦笑する。
「頼むよ。惚れた女にそんな距離を置かれたら、俺はどうすればいいんだ?」
サルトは突然の告白に瞠目した。その反応を見てラドゥケスはおもしろそうな顔になる。
「サルト。お前、俺の女にならないか。」
サルトは何か言おうと口を開いたが、結局声にならなかった。その反応がおもしろかったのかラドゥケスは更に笑みを深くした。
「言っただろ、俺はあんたに興味があるって」
サルトは慌てて言い返した。もう言葉遣いの配慮も頭から吹き飛んでいた。
「それは私が師匠の弟子だからっ…」
「それは男のあんただ。俺は女のお前にも興味がある」
驚きのあまり声が出なかった。目の前の男は口の端を上げて笑って言った。
サルトは今になって気づいたことを口にした。
「…それでセラを追い出したの?」
こんな事態に子供がいたら面倒だと思ったのだろうか。
なんだか嫌な予感がしてきたが、頭がちっともまわらない。しかし、自然と口をついて出た言葉があった。
「……イラステー」
ラドゥケスは意味を図りかね、先を促すように黙っていた。
「わたしの本当の名前…」
顔を上げていられず小さな武人は俯いた。きっと顔は真っ赤に違いない。ラドゥケスは、その様子を見て表情を和らげた。イラステー自身、自分が何故、本当の名を言ってしまったのかわからなかった。
「イラステー…」
イラステーは顔をあげた。自分の名前がこれほどまで甘い響きを持っているとは思いもしなかった。そしてそれを気に入ってしまった自分がいることにも驚いた。ラドゥケスの顔が急に大人びた甘い表情を浮かべていることに更に落ち着かない気持ちになる。ラドゥケスはイラステーの様子を見て笑みを深くした。彼女の反応をおもしろがっているようだ。ラドゥケスは手の甲でイラステーの頬をなでる。イラステーはいよいよパニックに陥った。
「とてもいい名だ…俺だけの秘密にしておきたいくらいだ」
彼の吐息が感じられるほど、彼はそばにいる。イラステーは胸に今まで感じたことのない甘い疼きを覚えた。ラドゥケスのひそやかな言葉と甘い表情を直視できずイラステーは顔を背ようとしたが、ラドゥケスはそれを許さなかった。気づけば彼女はラドゥケスに引き寄せられキスされていた。イラステーは突然のことに驚いて体を引こうとするがラドゥケスはそれを許さかった。いつのまにかイラステーの両手はラドゥケスに絡め取られていた。しかし口づけが深くなったところで、急にラドゥケスはイラステーから離れた。イラステーはその機会を逃さず飛ぶようにラドゥケスから離れる。ラドゥケスはイラステーの反応に苦笑したが、すぐに痛みで顔をゆがめた。うなじに手をやると傷から血が出ていた。
「血がっ…!」
イラステーは自分が今されていた事も忘れて、ラドゥケスのそばに舞い戻ってしまった。しかしラドゥケスは平気そうに自嘲の笑みを浮かべている。
「調子に乗った罰のようだ。」
「?」
イラステーは意味を図りかね、ラドゥケスを見返すと彼と目が合った。
「まぁこんなことで懲りるような男じゃないがな。」
ラドゥケスは再びサルトに唇をよせた。
突然二人のいる部屋の扉が開いて、セラはびっくりして飛びのいた。姉は顔を真っ赤にして出てきたのだ。
「信じられない!こんなところで!こんな時に!」
鋭いセラは中で何が起こったのかわからないでもなかった。扉の中をのぞくと、彼は頬を押さえて笑いをかみ殺しているようだった。どうやら姉にぶたれたようだが、それの何が嬉しいのか。
「セラ!早く行くよ!今から試合があるんだから!」
謂れのない怒りをぶつけられたセラだったが、普段温厚な姉に怒鳴られたことにびっくりして、何も言い返すことができなかった。ここまで怒らせるような何をしたのか、あえて考えないことにした。セラは慌てて姉を追いかけて階段を駆け上がった。外はとても眩しく、数時間ぶりとは思えないほど、日の光を懐かしく感じることができた。
「どうして可能の石が必要なの?」
イラステーは振り向きもせず尋ねた。セラが振り返るといつの間にか彼が追いついていた。心なしか頬が腫れている。
「舳先の女神像にはめ込むのさ。アカメイルどもの士気をあげるためにな。そして舟を沈めない誓いでもある。」
「ふぅん。」
気のない返事をしながらイラステーはゆっくり振り返った。
ラドゥケスはセラの横を通り過ぎイラステーのそばへ歩いていった。そして彼女の前で立ち止まった。
「できれば俺の手で手に入れたい。容赦しないぞ。」
イラステーはにやりと笑って、心から告げた。
「望むところよ。」
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