第68話 報せ
エタンキアには二度と会えない。
もう彼女と言葉を交わすことはない。
どれだけ祈りを捧げても、本当の意味で彼女にこの思いを返すことはできない。
イラステーはエタンキアは死に至らしめた単なる侍女であり、今はもう娘として何もしてあげられない。
彼女が生きている間にこのことを知っていればイラステーはその心遣いに打ち震えあの方に尽くしただろう。
貴族の身分や遺産を与えたことではなく、それがエタンキアのできる最大限の愛情表現だったのだと思えばこそイラステーは与えられた愛を何倍にもして返したいと今さらながらに思うのだった。
だからこそイラステーは苦しんだ。
自分を愛してくれた人を殺したのだという事実がイラステーを追い詰めた。
クノータスの訪問から2週間ほど経過したところで事態は動いた。
アーロガンタイ王が使者を寄こしたのだ。
話す場を持つ用意があるとのことだった。
息子のカンカロスの奸計が露見し、彼は失脚したのだ。
ラドゥケスとエクトンはやり遂げたのだ。
物事はそんなに単純ではなかったかもしれないが、イラステーに伝わる情報はその程度であった。
それよりも知りたかったことはラドゥケスの安否だった。
アーロガンタイには船で行けば1週間程度と聞いている。
一月経った今は戦場の何たるかを知らぬイラステーには絶望の思いが日々募るばかりであった。
彼の消息に関する情報は一切ないという。
普通ならその使者たちとともに帰還するものではないのか。
まだ彼らの安否は不明だと言うレアソンに詳細を尋ねることができなかった。
一月後、アーロガンタイとエオナの国境で講和条約が結ばれた。
国交を回復し、交易を再開することが決まった。
お互いに賠償はないらしい。
そうしてエオナに平和が訪れた。
ほんの少し前までには想像もできなかったことだ。
イラステーは城から解放され、自由に動くことが許された。
城でも盛大なお祝いが催された。
レアソンがイラステーを招待してくれた。立場が不安定なイラステーだが、この祝杯に参加する資格があると判断してくれたのだ。
末席だが、と席を設けてくれた。
しかしイラステーは出席を断った。
後から聞いたが、皇帝陛下がイラステーに選択肢を与えるためレアソンを通じて招待して下さったとのことであった。
それを知っていれば間違いなく出席していただろう。
だからこそ陛下は直接の誘いをお控えになったのだろうけれど。
エオナイにイラステーの居場所はない。
イラステーはただここで待つしかなかった。
その日は、最近の日課としていた王宮の中庭を散歩していた。
そこには人口の泉や新緑の木々が目にも優しい。
イラステーは中庭にしつらえてある大理石の椅子に腰かけていた。
ふと横を見るとレアソンがそばまで来ていた。
イラステーの心臓が跳ねた。
講和条約以降、国は今までの活気を取り戻そうと今までの体内循環を逆回転させるような動きを見せていた。
そのため王宮の官吏は皆多忙を極めるようになった。
レアソンも例外ではなく、毎日のように通ってくれていたのに最近はとんと見ることがなくなった。
彼もイラステーに割く時間が無くなったのだ。
彼に会えたことは嬉しくもあり、だが恐ろしくもあった。
忙しい中で会いに来るような用事ができたということだ。
慌てて立ち上がろうとするイラステーにレアソンは手で制した。
「イラステー、話がある。ここでいい。」
覚悟はしていたがイラステーは高揚と恐怖を同時に味わった。
レアソンの表情からは何も読み取れなかったからかもしれない。
イラステーは再び腰を下ろし、レアソンも隣に座る。
「あの緊張状態が嘘のようだ。
10年前の戦争から無益な血を流すことなく安寧を手に入れることができた。
まさに彼らの功績だ。」
イラステーは鳥肌が立った。
この平和のために誰の血が流れたのか、それを知りたかった。
「ナナマ様、どうぞ私のことは気になさらず真実をお伝え下さい。」
レアソンが話し出すまで少し間があった。
「条約締結のためアーロガンタイ王と陛下が会談した時、陛下はセンテレウス将軍たちのことをお尋ねになったんだ。」
イラステーはレアソンの横顔を見た。
「アーロガンタイ王の使者たちからは何も聞き出せなかったからな。陛下が直接お尋ねになられたんだ。」
「王曰く、エオナの使者たちはまた航路で帰途へ着いたとのことだった。
アーロガンタイ王一行は国境まで陸路で来たんだ。
だがそれに同行することなく別の道を選んだ。
先にエオナに到着しようと考えたのか、アーロガンタイ王一行とともに行動することを危険と考えたのかそれはわからない。
だがそこからセンテレウス将軍たちの消息は途絶えた。」
イラステーは動揺するまいとした。
「船が難破したのか、何がしかの問題に巻き込まれたのかそれはわからない。
私もこの話を聞いてからすぐにほうぼう調べつくしたが、彼らに関する情報が一切見つからなかった。」
「ではまだ死んだと確認されたわけではないのですね。」
レアソンは、はっとするようにイラステーの顔を見た。
「彼の死の報告でないのなら希望は持てます。」
イラステーは耐えるように言った。
「ラドゥケスは必ず生きて帰ってきます。私は信じている。」
イラステーは祈るように手を組んだ。
「彼は約束しました。大丈夫です。私は彼を待ち続けられる。」
レアソンはそれ以上何も言わなかった。
2人は再び来た道を歩き城へと戻った。
道中1つだけ質問した。
「マルケ様はどうなってしまうのでしょう。」
戦争が終結した今、彼の死がどう扱われることになったのかを知りたかった。
レアソンは思わずといった感じで微笑みかけ、そして止めた。
「立派な式を改めて執り行うこととなった。
国葬だ。先日の祝杯の席で陛下が宣言された。」
レアソンの微笑みの意味を知った。
イラステーは安堵した。
マルケ様の死が無かったものにされることだけは受け入れられなかった。
レアソンは列席するよう勧めたがイラステーは断った。
イラステーのお別れはもう済んでいるのだ。
国葬と言ってもそれは儀礼的なものであり、そこにはイラステーが知っているマルケを思わせるものは何もないだろう。
イラステーはイラステーにとってのマルケを大事にしたかった。
ただマルケの死が無かったものにされないことがわかっただけで十分だ。
レアソンは深追いせず、ただ頷いてその場を辞した。
イラステーは彼の背中を静かに見ていた。
最悪の報告ではなかった。
イラステーは大いに安堵した。
だがこの日を境に、ふとした瞬間に奈落の底に落ちるような不安を覚えるようになった。
彼と再会する未来と、死ぬまでこの世に存在しない人を待ち続ける自分の姿が入れ替わり立ち代わり現れ、イラステーを
イラステーはどんどん自分が弱っていくのを感じた。
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