第49話 パルト

エタンキアとの距離は相変わらずだが屋敷内の人たちとの人間関係がうまくいきはじめたことは大いにイラステーを励ました。

そんなことで安心していたからかイラステーはついに失態を演じることになる。

「そこで何をしている。」 

イラステーは飛び起きた。

離れの中庭に腰を下ろして裁縫にふけっていたのだが、いつの間にか眠っていたらしい。

今日はエタンキアが王宮に出向くと聞いていたので、誰も居ぬ間に開放的な場所で作業しようと中庭に腰を下ろしていたのだ。

「申し訳ありません。」

イラステーはエタンキアの前に平伏した。

「作業中に束の間、まどろんでおりました。

お出迎えできなかったご無礼をお許し下さい。」

使用人が仕事中に居眠りなど言語道断である。

鞭打ちなど食らうか、食事を抜かれるかイラステーは内心、戦々恐々としていた。

だが予想と違う言葉が降ってきた。

「それは何だ。」

イラステーは驚いて面を上げた。

エタンキアはイラステーが先ほどまで精を出していた刺繍を見ていた。

イラステーは数刻遅れて答えた。

「…パルトでございます。」

エタンキアがイラステーを見た。

説明を求められていると察して言葉を足す。

「我が村に伝わるもので、お守りでございます。」

驚いたことにエタンキアは腰を折って床にある布切れを手に取った。

イラステーが先ほどまで縫っていた刺繍を目を細めて眺めている。

「これは文様か。」

エタンキアは布切れから目を離さずに質問した。

イラステーは慌てて答えた。

「それは安全祈願の意味が込められております。文様により意味がございます。」

エタンキアはつとイラステーの顔を見やった。

「誰に縫うておる。」

イラステーは冷たい汗が噴き出すのを感じた。

「先日助けて頂きましたアネス殿とタロン殿にございます。

私から差し上げられる物がございませんゆえ…」

イラステーは努めてエタンキアの手元に視線を集中させた。

今は彼女の目を見ることができなかったからだ。

だがイラステーは強い視線を感じていた。

居眠りとは別の罪を問われている気がした。

しかしよく考えれば仕事中に私事を行っていたことも罪ではないか。

イラステーは肝をつぶしてひらすらエタンキアの言葉を待った。

だが主人からの次の言葉にイラステーは度肝を抜いた。

「わたしにもできるか。」

イラステーは数刻、何を聞かれているのか理解できず答えに窮した。

しかしすぐに取り繕う。

「もちろんでございます。村では全ての女が幼い頃から手習いを受けております。」

エタンキアはイラステーを見下ろして布を差し出した。

「私に指南しろ。」

イラステーはさっと手を出しうやうやしく布を受け取った。

「直ちに。」

考える前に答え、イラステーはすぐに準備に取り掛かった。

驚いたことにエタンキアがお針子に興味を示したという話はその日のうちに屋敷中に広まった。

繕い物は淑女の仕事ではないがお針子ならば貴族の娘も嗜みとして身に付けているものである。

しかし大抵は母から娘に指導するものであり、ましてや一介の使用人が主人に指南するなど普通は考えられない。

しかもそれがエタンキアとあっては皆驚くばかりであった。

好き放題振舞ってきた女主人にどう取り入ったのか、周りはあらゆる意味で興味を示した。

どうしてお針子に興味を持ったのかはイラステーにもわからなかったが、イラステーに指南を頼んできたことにはあまり驚かなかった。

エタンキアは階級主義者や貴族たちに見る差別的な考えというより、自分以外のあらゆる人にたいして横柄おうへいなのだ。

屋敷勤めの者への当たりは確かにひどいものだが、かつての夫への辛辣な物言い、またそのやりとりでは王族へたてつくような発言をしているし、実の弟である家長への反抗は毎日である。

エタンキアの他人への言動はある意味一貫していた。

そういう意味でエタンキアの中に貴賤きせんはないのかもしれなかった。

「どのような物がお好みですか?」

静かな中庭に敷物を敷いて、そこに必要な物を広げる。

材質や色も異なる布や糸はどれも色鮮やかで美しく目にも楽しい。

イラステーは思わず笑みをこぼした。

使用人の暇つぶしと貴族のそれでは趣向が異なる。

エタンキアの要望があってから、イラステーはすぐに屋敷中の材料をかき集めた。

そういったわけでエタンキアの酔狂が屋敷中に知れたわけである。

エタンキアは敷物の上に置いた座椅子に座り、イラステーが広げる糸や布を眺めていた。

「決まりはないのか。」

イラステーは手を止めて面をあげた。

「色に関してはございません。強いて言えば喪を示す黒や高貴な色は避けたりしますが、民間信仰ですので我々の間で高級な材料や種類が手に入るわけもございませんからある物で作ります。

私どもは渡す相手にゆかりのある布や糸を使用するようにしておりました。」

ですが、とイラステーは続けた。

「これほど多くの布や糸を揃えるとわくわくしますね。

きっと素敵なパルトが作れます。」

イラステーが微笑むとエタンキアは無表情でそれを見つめ、しばらくすると足元に広がる品々に目を移した。

「これとこれを使おう。文様は何があるのだ。」

イラステーはエタンキアの指す布と糸を手に取った。

そうして今さらながら緊張感がお腹の底から湧き上がって来た。

今までこんな和やかな会話をしたことがなかったからだ。

「文様はたくさんございます。私が知る限りでも50種類程。それぞれ願いごとに様々な文様がありますし、各家々に代々伝わるものもあれば女系で引き継ぐものもございます。」

イラステーは傍に置いていた背嚢はいのうの中から古めかしい布切れの束を出して来た。

それぞれの布1枚1枚に何やら複雑な模様が縫われいている。

「これは母から預かっている物です。とても古いものらしくて娘がこうして代々受け継ぐのです。ここから文様を選び取って作ります。」

エタンキアは黙って手を伸ばした。

イラステーはまさかと思ったが、彼女の意図を察してその布束をエタンキアに渡した。

エタンキアはまとめられた布束を1枚1枚めくり熱心に見ていた。それは異様な光景で穢れなど一切知らなさそうな麗人が、薄汚れたみすぼらしく布束を熱心に見ている。

イラステーはその姿を不思議な気持ちで見ていた。

しばらく眺めているとエタンキアが顔を上げた。

「これは何の模様だ。」

イラステーははたと我に返り、記憶の奥底を探った。

「それは祈雨の印です。干ばつの時には女たちがたくさんこれを作って神殿に奉納しました。私も幼い頃に1度作ったことがあります。」

エタンキアがその模様に目を引かれた理由がわかる気がした。

下地の布はくすんでいたが糸は鮮やかな青が使われ複雑で流れるような刺繍は大変美しいものであった。

しかしこれは最初に縫うには高度すぎる気がした。

イラステーはそこで名案が浮かんだ。

「エタンキア様。私が今縫っております物と同じものを縫うのはいかがでしょうか。それほど複雑なものでもございませんし、何よりいっしょに作業ができます。」

エタンキアはしばらく黙っていたが、そうしよう、とだけ答え布束を返した。

イラステーを微笑んだ。

そうして二人の不思議な時間が始まった。

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