第45話 エタンキアの失踪3

不思議なもので朝になればいつもの時間に目が覚めた。

少し考えれば昨日はいつもより動いていないので体は疲れていないことに気づいた。

むしろ疲れたのは頭だった。

起きた瞬間に、不安が再び胸に押し寄せた。

今日はエタンキアの聞き取りの日である。

彼女が何を話すかわかるまで気が気でなかった。

とにかくイラステーはいつも通りに仕事をこなすしかない。

朝の支度をして訓練場へ向かった。

イラステーが訓練場へ向かうとモドレゴが来ていた。

昨日プロトからの伝言での会話が最後である。

「おはようございます」

モドレゴは頷いた。

「アネスたちに聞いたぞ。昨日は大変だったみたいだな。」

アネスたちからどんな風に話を聞いたのかとても気になった。

「はい。お二方がいて下さらなければ、エタンキア様も私も命はなかったでしょう。」

「お前は犬死にするところだったな。」

イラステーはぎくりとした。

この人はこうして周りをひやひやさせる。

イラステーは視線を動かさずに周りに気を張った。

イラステーの緊張を見てモドレゴは笑う。

「誰もいない。俺もそんなに馬鹿じゃない。」

「でしたら私にもそのような発言はお控え下さい。」

モドレゴは一拍おいて笑った。

「何がおかしいのでございますか。」

「いや。そうだな。お前の大切な主人だものな。言葉には気を付けるよ。」

イラステーは結局なぜ笑われたのかわからなかった。

その日もいつも通りの稽古だったが、ひとつ違うのはアネスやタロンをはじめ幾人かの男たちの態度が少し軟化したように感じられたことだ。

いつもの一挙手一投足に難癖をつける人が減ったのだ。

何故そうなったかはイラステーにはわからなかったが、少しだけ心が軽くなった。

しかし根本的な問題は解決していない。

役人が来る時間は迫っていた。

稽古が終わりイラステーは朝の支度のため離れに走った。

すると驚いたことに女たちがエタンキアの支度を整えていた。

一瞬、場所を間違えたと思ったが、ここは間違いなく離れの屋敷だった。

エタンキアは御髪も衣装も、朝食すらも済ませていた。

イラステーはしばらく何も言えず彼女の部屋の入り口に突っ伏していた。

するとエタンキアはこちらを向いた。

「もう役場から人が来るはずだ。部屋の準備はできているのであろうな。」

イラステーは我に返って膝を折った。

「はい。」

「来たら知らせよ。下がれ。」

女たちは頭を下げて部屋を出て行った。

イラステーは膝を折った場所から動かなかった。

尋ねなければならないことがあるのだ。

「エタンキア様。お尋ねしたいことが…。」

「お前の質問は、役人と話してから答える。下がれ。」

有無を言わさぬ物言いにイラステーは部屋を出るしかなかった。

イラステーがエタンキアの侍女になってからはじめて他の女をここに呼んだ。

それが何を意味するのかイラステーにはわからなかった。


役人たちはしばらくして屋敷に現れた。

当然と言えば当然だがイラステーと話をした役人も中にはいた。

イラステーを知る役人は彼女が出迎えに来たのを見て、疲れた顔に少し笑顔を浮かべた。

彼らはイラステーの勇気をたたえてくれた。

聞き取りが進むうちに、話の流れはなぜかイラステーの生い立ちにまで至り、故郷の話や武術を学んでいたことなどを話した。

イラステーも役人に聞かれたら答えないわけにはいかないので、尋ねられたことはだいたい答えた。

そしてハグノス家の女傭兵の噂を聞いていた一人の役人が、イラステーがその人であると気づくと、また話は長引いた。

こうしてイラステーは役人たちと打ち解けてしまった。

しかしエタンキアの話を聞けば、それも変わるかもしれない。

それを思うとイラステーは悲しい気持ちになった。

役人たちを部屋に通し、エタンキアを呼びに行った。

イラステーはすぐにエタンキアの指示で部屋から追い出された。

廊下で待つわけにもいかず自分の仕事に戻ることにした。

イラステーは離れの方へ行って、普段使用していない部屋を掃除することにした。

とにかく何かしていないと役人とエタンキアの会話が気になって仕方がない。

もし仮にエタンキアが外出したことがイラステーのせいになったのなら、イラステーはどうなるのだろう。

貴族の女をそそのかして危険な目に合わせた罪で追い出されるのだろうか。

しかしクノータスもエタンキアもイラステーを屋敷において利用するつもりでいたのだから、むしろ罰を与えられる方が可能性としてはありそうだ。

そうして苦しむイラステーを見てエタンキアは喜ぶのだろう。

部屋の掃除をしながら、いつ役人がイラステーを尋ねにくるか気が気でなかった。

しかし、結局役人はイラステーを尋ねることはなく帰って行った。エタンキアとの話は二刻程で終わった。

役人が帰ったことは、他の使用人がイラステーに伝えに来た。

ちょうど一部屋掃除が終わったところだった。

エタンキア様があんたを呼んでいるよ、と告げて去っていった。


「そなた、私がどうして屋敷を出たか、役人に伝えなかったそうだな。」

開口一番、エタンキアにそう言われ一瞬何を言われたのかわからなかった。

「はい。」

と辛うじて返事を返した。

エタンキアは先ほどまで本当に役人と話をしていたのかと思う程、いつも通りの調子だった。

自室に戻ってくるといつも通りカウチでくつろぎはじめた。

一昨日には殺されかけたと言うのに驚くべき精神力だ。

そこではじめてイラステーはエタンキアが門の中に匿われた後、どう過ごしていたのか気になった。

彼女は何度も死ぬ思いをしたことがあるイラステーとは違う。

もしかしたら屋敷の中で取り乱していたかもしれないし、怯えていたかもしれない。

しかしこの屋敷にエタンキアを気遣う者などいるはずがない。

唯一の侍女であるイラステーも思い至らなかったのだ。

エタンキアは自ら屋敷の外に出たのだから自業自得とも言えるが、それでもイラステーは暗い気持ちにとらわれた。

「それはなぜだ。」

エタンキアの問いにイラステーは我に返った。

少し顔をあげ答えた。

「理由を存じ上げないからでございます。」

エタンキアは怪訝な顔をした。

どうしてイラステーが理由を知っていると思うのだろうと不思議に思った。

エタンキアはしばらくイラステーを見つめていたが何か意を決したように言った。

「出かける。お前もついて来い。」

エタンキアはすっと立ち上がった。

イラステーは突然のことに一瞬遅れをとったが、慌ててエタンキアの外套がいとうを用意しに部屋を出た。

馬車か輿こしのどちらがいいか尋ねると、歩くと言い出すのでイラステーはいよいよ困惑した。

何かあればお前が守ればよい、とまで言う始末である。

イラステーはせめて顔を隠せるようにと、ローブを用意しフードを被るようにお願いした。

フードで顔を隠したエタンキアに、短剣を携え付き従うイラステーを見て、使用人たちは何とも言えない奇妙な顔をしていたが、彼らは黙ってイラステーたちを見送った。

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