第46話 エタンキアの失踪4

エタンキアはイラステーに言われた通りフードを目深に被り、イラステーもまた同様のローブを着ていた。

貴族の女が供1人で公然と歩くわけにはいかないし、イラステーも帯剣していることを隠すのにちょうどよかった。

二人ともフードで顔を隠していると怪しまれるので、イラステーは顔を出している。

実はイラステーはハグノスの屋敷に来てからまともに外に出たことがない。

はじめて王都に来た時も、一昨日も街を見る余裕などなかった。

丘から見える王都の景色は胸を打つものがある。

マルケと一緒に見た景色とはまた違い今は昼間だ。

2人で街へ降りていくと、イラステーはいよいよ興奮がおさまらなかった。

今歩いているところは王宮の御膝元なので貴族の屋敷が多く、各屋敷に仕える人たちや貴族を相手にする通いの高級商人たちが行き交っている。

彼らが運ぶ色とりどりの荷物が目を引く。

エタンキアの安全にも気を配りながら通りに視線を巡らせていた。

「おう、イラステーじゃないか。」

イラステーはどきりとした。

声をかけられた方を見るといつもハグノスの屋敷を出入りする商人だった。

立ち止まるわけにはいかないのだが、ここで邪険にすると注意を引きそうなのでいつも通りの挨拶をした。

「こんにちは。マクナンさん。」

「珍しいな。あんたが外を歩くなんて。どこかに用事かい?」

人好きのする笑顔を見せる初老の男は屈託なく聞いてきた。

「はい。ちょっと使いの用がありまして。

急いでいるので失礼します。」

ああ、いってらっしゃい、と温かい言葉がうれしい。

外に出ることがこんなに気分を変えてくれるものだということを忘れていた。

イラステーが前を向き直るとエタンキアは構わず先を進んでいる。イラステーは慌てて後を追った。

これから声をかけられたらマクナンさんに説明したようにやり過ごせばいいと自信を持った。

しかし、ことは簡単に進まなかった。

イラステーはここではちょっとした有名人になっていたのだ。

ハグノス家で女傭兵になったことに加え、一昨日の事件である。

声をかけてくる人たちの多くがハグノスの屋敷を出入りする商人やレノラを通して知り合った人たちだが、中には会ったことのない人までいる。

危険はないはずだが、あまりに悪目立ちし過ぎていてるのではないかとひやひやした。

エタンキアはもちろん移動中一切しゃべらないので、どう思っているのかも不安だった。

しかも当然だがイラステーが立ち止まっても待ってはくれないのである。

イラステーは早く目的地についてくれることを願った。

だがエタンキアについて歩くと、だんだんとどこに向かっているのかが分かり始めてた。

目抜き通りに出るとそれは見えた。

一昨日大立ち回りを演じたあの屋敷だ。

そこにはアネスたちではない門番2人が立っていた。

門番はイラステーを見て少し怪訝な顔をしたが、エタンキアがフードを下げると2人は直ちに姿勢を正した。

「門を開けよ。」

門番2人が礼儀正しく返事をすると、急いで門を開けた。

エタンキアは悠然と中へ入っていった。

イラステーもそれに続く。

2人が入ると門は静かに閉められた。

イラステーは、初めてハグノス以外の屋敷を見た。

ハグノス程ではなかったが、立派な造りである。

しかしおかしなことに敷地内には誰もいなかった。

使用人の1人もいない。

建物の奥にいるとしても不自然なくらい静かだった。

門の外の賑わいが聞こえる程である。

エタンキアはそれが当然とばかりに建物の中へ入っていった。

イラステーはとにかくついて行くしかなかった。

エタンキアは迷いなく進むので、ここのことをよくわかっているようだった。

そうして辿りついた部屋は応接間らしかった。

部屋にはカウチと見るからに立派な椅子が向き合うように並べてあった。

エタンキアは自分の部屋でそうするように優雅にカウチに腰かける。

イラステーはその場で膝を折った。

不思議な事に屋敷には誰一人いないようなのに、エタンキアが座ったカウチをはじめ、他の椅子や調度品には埃ひとつ見当たらなかった。

神話に出てくる見えない使用人たちが働く神の館のようだとイラステーは思った。

「イラステー、ここがどこだかわかるか?」

やっと声をかけてきたエタンキアの口調はいつも通りで、ここへ来る途中、何度か主人から離れてしまった件のお咎めはないらしい。

しかし、新たな問題はこの質問に正しく答えなければならないことだった。

この場合、正解というよりエタンキアが求める答え、ということだが。

この屋敷はハグノスの兵によって守られていている。

ならば答えは限られていた。

「ハグノスの別邸でございましょうか。」

エタンキアは鼻で笑った。

「確かにその通りだ。だがただの別邸ではない。」

エタンキアはゆっくりとイラステーを見た。そして皮肉な笑みを浮かべる。

「ここはもともとクレウス家の屋敷だったのだ。」

マルケの一族が所有していたということだ。

イラステーは驚きで、真正面からエタンキアを見返してしまった。

エタンキアはこの反応に満足したようだった。

「知らなかったか。ここは奴と10年ともに暮らしていた住まいだ。

今はハグノスの持ち物として維持管理している。」

それで塵ひとつなくきれいにされているのか。

イラステーが何か言おうとして躊躇ためらった。

エタンキアはそれを見逃さなかった。

「申せ。」

イラステーはためらいがちに口を開いた。

「…クレウス様は、もうクレウス家の者はとおに亡く、

住まいもどうなっているかもわからないとおっしゃっておられました。」

エタンキアは喉の奥で笑った。

「あやつは元々ハグノスの養子同然で来たのだ。

クレウス家は当時没落貴族のひとつで、マルケにはもう己の実力で得た地位しか

残されていなかった。

屋敷の維持にも苦労していたようだ。

それを我が父であるアズラが憐れみ、救済したのだ。

その代わり厄介者の私があてがわれた。

昔から一族の者とそりが合わなかったのでな。

マルケも父に恩がある以上、私を拒めなかった。」

イラステーは自分を抑えられず聞いてしまった。

「エタンキア様はここでの暮らしがお気に召しておられたのですね。」

エタンキアはイラステーからゆっくりと視線を移し遠くを見つめた。

そうして静かに呟いた。

「ここにはもう誰もいない。誰も来ない。だから気に入っている。」

イラステーはカッと顔が熱くなるのがわかった。

隠すように頭を下げるのとエタンキアが立ち上がるのはほぼ同時だった。

エタンキアはそうして真っすぐ門に歩いて行った。

イラステーは静かにフードを被った。


帰路はエタンキアから離れまいと誓った。

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