第42話 イラステー奮闘記7 傭兵編
時間は深夜で皆寝静まっている。
イラステーはそっと離れの館を出て、母屋にある中庭に向かった。
ここに初めて来たときに感動した気持ちは今でも変わらない。
月夜に照らされた中庭は更に美しさが増し、神々の彫刻の妖しさも相まって昼とは違う姿を見せていた。
泉の水音が静かな夜に溶け込むように響きイラステーの心を和ませる。
イラステーはそっと列柱の間に腰を下ろし、中庭を眺めた。
本来ならこんな夜更けに使用人が屋敷内をうろうろしていい訳がないのだが、外と隔絶された世界にいるイラステーが唯一世俗を離れ、心を外に解き放つことができる場所がここだった。
それはこの中庭が作り出す異質な世界観がそうさせるのか、ここに差し込む月明りがそうさせるのかわからなかった。
イラステーは柱にそっともたれて目を閉じた。
「こんなところで何をしている。」
イラステーは身をこわばらせた。声の主が誰か検討がつくと、そっと後ろを振り向いた。
そこには、この屋敷で最も気を許した男が立っていた。
イラステーはさっと立ち上がり、一礼する。
「申し訳ありません。モドレゴ様。つい中庭の美しさに見とれておりました。」
口調を自然と切り替えていた。お咎めを待ったが返答はない。
イラステーはそっと顔を上げると、モドレゴが優しく笑んでいる。いつもとは違う毒気のない笑みにイラステーは少し困惑した。
いつものモドレゴはひょうきんで悪戯好きな男だ。
情には熱いが柔らかな笑みは見たことがない。
「こんな所にいたら何を言われるかわからないぞ。見つかる前に自室に戻れ。」
やはりいつもとは違う温かみのある言葉にくすぐられるような気分になる。
モドレゴとはイラステーの送迎係として最初に出会った。
最初こそイメージがよくなかったが、去り際に交わした会話がモドレゴの人間味を示していた。
今はモドレゴのおかげで、というよりモドレゴだけが男たちの中での唯一の支えである。
でも普段の彼は頼れる面白いお兄さんという感じだ。
「聞いてるのか。」
イラステーは我に返った。物思いから慌てて思考を戻す。
「申し訳ありません。モドレゴ様はどうして…。」
「ここにいるのか?」
イラステーは頷いた。
「そうか。お前には伝えていなかったな。
これも俺たちの仕事の一つだ。こういうご時世だからな。王都の治安はどんどん悪化している。最近ではこの辺りも強盗にやられて死人が出ているらしい。
だから毎晩交替制で屋敷の敷地内を見回ってるんだよ。
夜にここ来るの初めてか?」
イラステーは正直に首を横に振った。
モドレゴがため息をついた。
「最初に見つかったのが俺でよかったな。他の奴らに見つかってたら本当に何されるかわからなかったぞ。
わかったらこれからは夜にうろうろするな。」
「わかりました。」
イラステーはうなだれた。外に出られないのに屋敷内も自由に歩けないとは窮屈な生活だ。
それでも今のイラステーの立場が微妙である以上、危険は冒せない。強盗にも会いたくない。
本当に最初に見つけてくれたのがモドレゴでよかった。
「ご忠告ありがとうございます。では失礼させて頂きます。」
イラステーは礼をして踵を返した。
しかし、どうしてもモドレゴに尋ねたかったことがあることを思い出した。
今しかチャンスは無いと思った。
「モドレゴ様…」
イラステーが向き直ると、モドレゴは中庭から視線を戻した。
「何だ?」
「レノラとはどういうご関係ですか?」
モドレゴは虚を突かれたようだった。
「突然何だ。」
「実はずっとお尋ねしたかったんです。」
そこでモドレゴが笑い出した。
イラステーはびっくりして言葉が出なかった。
「いや、すまん。お前がそんな話をするのかと思って。」
イラステーは何だか馬鹿にされているようで顔が熱くなった。
「私がこんなことをお尋ねするのは変ですか?」
「いや、怒るなよ。何だか急で俺も驚いてな。」
少し納得がいかないが、これ以上食って掛かるのは止めにした。
「レノラが何か言っていたのか?」
笑いを収めるとモドレゴが聞いて来た。
「いえ何も。」
「そうか。」
モドレゴは苦笑した。
「でも今そういう人はいないって言ってました。
そんな時間はないって。」
イラステーはまるで言い訳のように口に出していた。
モドレゴは最初驚いた風に目を見開き、優しく笑った。
「あいつは苦労人だからな。」
「そうですね…」
「お前が気を晴らしてやってくれ。」
イラステーはあ、と声をあげた。
「モドレゴ様!私、外に出たことがないんです。
レノラと出かける話をしていたので、町の案内お願いできますか?」
モドレゴは笑みを深くした。
「それはいいかもしれないな。」
イラステーは飛び上がりたいほど嬉しくなった。
「絶対ですよ!」
「ああ、ちゃんとレノラを誘っておいてくれよ。」
イラステーは訓練よろしく踵をつけて返事をした。
「了解しました!」
「さぁ行った行った。誰かに見られたら厄介だ。
明日も早いんだ。体をちゃんと休めろよ。」
イラステーは失礼いたします、と頭を下げて足早にその場を去った。
イラステーは興奮しながら部屋に戻った。
レノラは表面上は文句は言うかもしれないがきっと喜んでくれるはずだ。
そんなことを考えているととても楽しい気分になった。
イラステーは外に出てよかったと思った。
明日どのようにしてレノラにこのことを伝えるか、考えを巡らせているうちにイラステーはいつの間にか眠ってしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます