第63話 登城

イラステーは何をすればいいかわからなかった。

目の前にはおそらく2人が横たわっている。

だがそれも暗闇でよく見えなかった。

悲しみにひたるにはあまりにも事実がうつろだった。

大声で泣き叫びたいのに頭の奥にある何かがそれを止める。

男たちの唸り声が向こうから聞こえた。

その瞬間、イラステーの奥にあるものがイラステーの身体を蹴り上げるように起こした。

素早い動きで敵である男の死体に駆け寄ると、傍にあった敷物を手繰り寄せた。

全身を使って男の体を転がし、敷物で包んでいく。

イラステーは屋敷内部の部屋を頭に浮かべると、布の端を掴んで一気に目的の部屋へと引きずり込んだ。

爪が割れたが気にならなかった。

次にエタンキアの体を手探りで見つけると、そっと後ろから抱えて、マルケの傍に運んだ。

エタンキアの頭は自然とマルケの肩に寄りかかった気がした。

イラステーはもう走り出していた。

戦闘のあった中庭には近づかず、記憶の隅にあった上りやすそうな塀を思い出しそこへ向かった。

イラステーは恐るべき体力でそれを難なく登りきると屋敷の外に逃げおうせた。

イラステーは騒ぎを起こせない目抜き通りに出た。

そしてまた走り出した。

王宮までそう遠くない。

イラステーはただ突き動かされるように走った。

薄闇の中、自分の息遣いだけが聞こえる。

イラステーは走ることに没頭した。

今はそれが何よりも大事なのだと全身が訴えている。

だがしばらくしてその集中力も乱された。

正面から馬でかけてくる一団をみとめたのだ。

イラステーはその瞬間、叩かれるように自分の体を取り戻した気がした。

「イラステー!」

松明を掲げる一団は彼女を見つけるとすぐに叫んだ。

声でハグノスの傭兵たちだとわかった。

モドレゴが先頭を走っていた。

彼は流れるように馬から降りるとイラステーの両肩を勢いよく掴んだ。

「怪我をしているのか⁉」

イラステーは首を横に振った。

モドレゴが松明の陰の中で少し安堵の表情を浮かべる。

「レダがエタンキアとお前が屋敷にいないと言って、俺たちのところに駆け込んで来たんだ。

あの女はどこだ?」

「…エタンキア様はお亡くなりになられました。」

一団に動揺が走った。

みなに質問攻めにあう前にイラステーは素早くしゃべった。

「私は王宮に行かなければなりません。

馬を貸して下さい。

全ては後に説明いたします。

今はクレウス様の屋敷に向かって下さい。

あの方の屋敷に侵入した者がいたのです。

王宮の方が戦っておられます。」

モドレゴは突然知らされた驚くべき事態になかば混乱の表情を浮かべたが、

苦しい顔で何かを考え、すぐに判断を下した。

イラステーに頷くと、背後の一団に指示を出しはじめた。

一団を率いる者がモドレゴでよかったと思った。

彼でなければこの場は膠着こうちゃく状態に陥っていただろう。

指示を受けると男たちは勢いよく馬をたきつけて屋敷の方へ走っていった。

モドレゴの後ろに馬に乗った2人の男が残った。1人が下馬する。

「この馬に乗って行け。1人は付き添いだ。」

付き添いはイラステーがエタンキアを殺していた場合に必要な監視役のことだろう。その役目はタロンが担うようだ。

イラステーは頷くとすぐにたずなを預かる。

「後で必ず説明します。」

そう言ってイラステーは勢いをつけて馬に乗り、あぶみに力を入れた。

走り出しながら気づいた。空が白みかけている。

イラステーは勢いつけて馬を駆った。

「待つんだ!」

タロンが叫んだがイラステーの耳には入らなかった。

今はマルケの残した言葉以外に気に掛けることはなかった。

できるだけ早くこれを王宮に届ける必要がある。

女の体重に鍛え抜かれた馬だ。

イラステーの馬は軽やかに街をかける。

王宮はすぐに見えて来た。

王宮が迫ると、あの時のように門番が立ちはだかった。

「何者だ!」

男は血相を変えて槍を構える。

全身血濡られた女を不審に思うのは当然だ。

「マルケ・クレウス殿の使いだ。お取次ぎ願う。」

イラステーは聞き落されないようにはっきりと告げた。

だが門番はイラステーを無視した。

もの凄い勢いで駆けてくる後続のタロンに気を取られたのだ。

その隙にイラステーは馬の腹を蹴って城の中に駆け込んだ。

もう限界だった。

男の怒声が背後で響いたが、もうイラステーには届かない。

イラステーはあらん限りの声で叫んだ。

「ラドゥケス!ラドゥケスどこにいるの!ラドゥケス‼」

イラステーは馬首を巡らせ出鱈目でたらめに馬を駆った。

城内の馬が走れるところにはどこでも入っていき、叫び続けた。

「ラドゥケス‼」

狂った女が侵入したと思われてもよかった。

殺されてもいい。

もうそれでもよかった。

「出てきてラドゥケス!!マルケ様が‼」

マルケの名を呼んだところで嗚咽で言葉が出なくなった。

それでも叫んだ。

「ラドゥケス‼」

お願いだから出てきて。

もう耐えられない。

イラステーは守れなかった。2人も守れなかった。

「ラドゥケス‼」

「イラステー‼」

イラステーははじかれるように顔を上げた。

城の明り取りの隙間から今求める顔が見えた。

白みかけた空にその浅黒い肌が照らされた。

「イラステー…‼」

「ラドゥケス‼」

馬は興奮するままに馬首を巡らせてイラステーを翻弄する。

たずなを引き絞って何とかコントロールしながら、イラステーはラドゥケスを目で追い続けた。

「そこにいろ!誰も手を出すな!」

最後の言葉はイラステーを囲む衛兵に向けられたものだった。

イラステーはそこで初めて自分が武器を持った大勢の男たちに囲まれていることを知った。

上からは弓がつがえられている。

1人でも手を滑らせれば自分は矢に刺し貫かれる。

それを合図に、男たちはイラステーをくし刺しにするだろう。

それも仕方ない。イラステーはどこから見ても異常者だった。

そんなことを考えていると兵たちが道を開けた

ラドゥケスが駆けてくる姿を見た瞬間、イラステーの胸が苦しくなった。

ラドゥケスが手を伸ばすが早いか、何かの糸が切れるようにイラステーは馬からくずれ落ちた。

ラドゥケスがすんでのところで彼女を腕に抱きとめ声を上げた。

「イラステー、何があったんだ!」

ラドゥケスがイラステーの全身に目をやりながら愕然としながら問いただした。

「怪我はないのか⁉」

「ラドゥケス…マルケ様がっ…マルケ様が…!」

ラドゥケスはただならぬ事態を察し、すぐに周囲に指示を出した。

「この者は私が預かる。すぐに持ち場に戻れ。お前は馬を厩舎に入れておいてくれ。」

イラステーの馬の処理を指示すると、ラドゥケスはイラステーを両腕に抱え城に入っていった。

イラステーの身に急に疲れが押し寄せて来た。

喉と首の痛みも感じる。

だがこれだけは託さなければならない。

絞り出すような声でイラステーは呟いた。

「マルケ様がこれを王宮にと…」

イラステーは重い腕を自分の懐に差し込み革袋を取り出そうとする。

「後だ。今はだめだ。」

ラドゥケスは警戒するように囁いた。

イラステーは言われるがまま腕を下ろした。

首の付け根に頭を預けると驚くほどの安心感を得た。

先ほどまで戦いの中にいたことが信じられないほどだった。

瞼が重い。イラステーはそっと目を閉じる。

「ラドゥケス!何事だ!」

男が駆け寄って来る気配がしたがイラステーは目を開けようとは思わなかった。

「火急の要件だ。陛下のお耳に。」

そう言って何事かを男に囁くと、男は去って行った。

イラステーはどこに運ばれているのかわからなかったが、扉を開ける音がして柔らかな場所に横たえられた。

そこで初めて目を開いた。

目の前にラドゥケスの顔があった。

「ラドゥケス…」

呟いて涙が溢れた。

ラドゥケスの目が揺れた。

「何があったんだ。」

「マルケ様が死んだの。」

ラドゥケスの表情が凍った。

イラステーは溢れる涙を流れるままに語り続けた。

「目の前で…死んだの。

弓に急所を刺されて…誰にやられたのかわからないのよ…」

イラステーの記憶は情景ではない。

ただ感触が蘇った。

背中から急に生えた硬い突起物。

マルケとエタンキアのまだ温かった体。

イラステーは涙でラドゥケスが見えなくなった。

ラドゥケスがそっとイラステーの頭を撫でた。

「場所はどこだ。」

ラドゥケスの硬い声音に戦士としてのイラステーが殴られたような衝撃を受けた。

「昔住んでいたマルケ様の屋敷です。

ハグノス家の傭兵が応援に向かっています。」

「すまない。ありがとう。少し待っていてくれ。」

そうして温かい手が離れた。イラステーはその喪失感に叫びたくなったが必死で堪えた。

悲嘆に暮れている場合ではないのだ。

他に伝えるべきことをないか頭を巡らせた。

「エクトンと呼ばれる人が残って戦っていました。」

ラドゥケスが扉に手をかける前にイラステーは渾身の力で言った。

声が思うように出なかった。

ラドゥケスはそれを聞いて頷くと、部屋から出て行った。

イラステーは懐に手をやり、革袋があることを感触で確かめると、それを守るように体を丸めて、眠りへと落ちて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る