第23話 再会3
イラステーは言葉が出ず、その場で凍り付いたように固まっていた。
最初に口火を切ったのは彼であった。
「イラステー…」
どうしてここに?
彼の言葉か、自分の言葉か。
彼がここにいる理由は予想がつく。
マルケがよこしたのだ。さっさと肩を付けろということなのだろう。
イラステーは何とか言葉を返した。
「あなたから直接、話が聞きたくて…。」
彼が何か言おうとして、止めた。
「中に入れてもらえるか。」
イラステーは一歩下がり彼を招き入れた。そっと扉を閉めて振り向けば彼は所在なげに部屋の中央に立っている。
その姿に長居する気はないのだと悟った。
イラステーも立ったまま彼の言葉を待った。
何か言えば、全て打ち砕かれるような気がして言葉を発することができなかった。
しばらくしてやっと彼が口を開いた。
「レアソンから伝言は受け取ったか。」
「ええ。」
ラドゥケスはゆっくりと息を吐いた。
「本当にすまないと思っている。許してくれとは言わない。」
イラステーの胸がちりちりと焼かれていくような気がした。
「それは戦争のため?」
ラドゥケスはイラステーを見た。
その目は驚きで見開かれている。
「クレウス将軍か…?」
「違うわ。」
ラドゥケスが別れを告げたのは、今の国の情勢が関係していると考えたのはソランだ。だが今の反応でソランが正しいのかもしれないと思えた。
「あなたはこの戦争で死ぬつもりなの?」
ラドゥケスは何も答えない。
「助かる道はないの?絶対に負けると決まっているの?」
言い募っても彼から返事はない。
腹が立って声を上げた。
「ねぇ!何か言ってよ!」
イラステーは勢いのままラドゥケスの背にしがみついた。
「何でもいいから何か言って!あなたの傍にいたいのに!
こんな思いを抱えたまま戻りたくない!」
イラステーは泣きたくなった。
自分が変だと思った。なんでこんなに彼の傍にいたいのかわからない。すがりつく彼からの体温も香りも全てがイラステーをひきつける。抱き返して欲しかった。
だけどそれが許されないのならば、そんなことを二度と考えられなくなるくらい
今ここでイラステーを否定して欲しい。そうでなければハバシルでは泣き暮らすだけなのだから。
いやだ!否定しないで!受け入れて!
本能的な叫びに全身が反応しラドゥケスを強く抱き締める。
冷静な自分と本能を
イラステーの心音は警鐘のように響くのに、部屋の静けさも耳に痛かった。
ラドゥケスがそっとイラステーの手に自分の手を重ねた。
イラステーはその温もりに泣きそうになった。
「イラステー、お前を巻き込みたくないんだ。」
ラドゥケスの手がイラステーの手を撫でる。
イラステーは吐息に言葉をのせた。
「どうして1人で決めるの…?」
ラドゥケスはイラステーを振り払うように離れた。そしてやっとこちらを見た。
イラステーは大きな喪失感を感じつつも久しぶりに彼を見ることができた。
本当にきれいな瞳だと思った。だがその表情は苦悶に歪んでいた。
彼の瞳が揺れた。何かを思い悩んでいる。
ラドゥケスは口を開いては閉じた。そして呟くように告げた。
「…無理だ。」
イラステーは言葉の意味をはかりかね、尋ねようとしたがラドゥケスは続けた。
「お前は笑うかもしれない。許してくれなくていい。だがお前を俺の傍には置いておけない。」
「ハバシルで待ってるわ。」
イラステーは縋るように言った。
「そんなことじゃない!そんなことじゃないんだ…!
お前は俺の世界から出て行ってもらわないと困るんだ!」
ラドゥケスは苦しそうに訴えた。
その言葉があまりにも強くてイラステーは悲しみで胸が押しつぶされそうだった。ラドゥケスの思いが分かりかけてきた。
「私が邪魔になったのね…」
ラドゥケスはイラステーを見た。その瞳には悲壮感があった。
そして意を決したように彼は言った。
「そうだ。お前が邪魔なんだ。イラステー。
だからエオナイを出て行くんだ。二度とここへ来るな。」
イラステーはラドゥケスが意志を固めたことを悟った。
だがイラステーの心は彼の言葉に追いつけない。
それでもイラステーは全力で意志の力を総動員し、体を動かした。
そうして自分の背嚢からある物を取り出し、それをラドゥケスに差し出した。
手のひらにはあのペンダントがのっていた。
ラドゥケスから受け取ったシーラリス家の紋章の入ったペンダントだ。
「では、これはお返しいたします。」
イラステーは努めて冷静に告げた。
ラドゥケスは首を横に振った。
「お前の好きにすればいい。金にでも換えればせいせいするだろう。」
イラステーは彼の愚かさにあきれた。
「あなたって人は…。こんなもの…私の身分では処分することも、お金にかえることもできないのよ。」
盗んだと思われるのが関の山だ。
そうだ、とイラステーは心で呟いた。
彼とはこんなにも隔たりがあるのだ。
生活も考え方も、全てが違い過ぎる。
イラステーは彼との違いを頭の中で列挙していく作業に没頭しようとした。
そこでノックの音がした。2人は扉の方を見た。
イラステーはここがどこかを思い出し、心神喪失の状態で体を動かして扉に近づいた。だが遅かった。扉は勝手に開かれた。
イラステーは歩みを止めた。
レアソンかマルケだと思っていたが現れたのは女性だった。
しかも見るからに身分が高く、女のイラステーも見とれる程、美しい人だった。
年齢は40手前か実際はわからない。イラステーは突然のことに取るべき礼も取れず、だが彼女はそんなことは一切気にかけず悠然と部屋に入って来た。
イラステーは問うようにラドゥケスを見ると、彼の表情が硬くなっていることに気づいた。彼はすぐに体ごと向き直り丁寧なお辞儀をした。
そして頭を上げるとすかさず声をかけた。
「ハグノス様、ご機嫌麗しう。まさかこんなところでお会いするとわ…。
なぜこのような場所に。」
「王家と縁深い私が、王宮にいて何がおかしい。」
凛とした声で女は答えた。イラステーは状況が読めず、その場に立ち尽くしてしまった。突然現れた女性は微笑めば誰をも魅了しそうだが、まるで笑顔とは無縁で生きてきたような冷たい空気を纏っていた。きれいな砂色の髪は後ろできちんと結い上げられ、着ている物もシンプルだが上等な物だ。立ち姿にも高貴な雰囲気がある。間違いなく貴族だと思えた。
この人は果たして誰なのか、イラステーの中で疑問が浮かんだ。
「話は外から聞いていた。その首飾り、私が引き取ろう。」
イラステーもラドゥケスも同時に彼女を見た。
全てのやりとりを扉から聞いていたのだ。
しかもそれに対して悪びれる様子は全くない。
イラステーは体中が熱くなった。何の熱かはわからなかったが、ここから逃げ出したい気分だった。彼女の言葉は続いた。
「ほんに男とは勝手な生き物よな。泣くのはいつも女の方ではないか。」
一見気遣うような発言にもイラステーは心を落ち着けることができなかった。
女はイラステーに目をやった。最初こそ優雅な流し目で、しかしすぐに目を細め、値踏みするように睨んだ。
イラステーはその強い視線に胸がざわついた。そこから動けずにいると今度は聞きなれた声が耳に飛び込んだ。
「エタンキア…」
開いていた扉から彼は入って来た。マルケだった。
イラステーは驚くほど大きな安堵感に包まれた。
しかしその瞬間、彼女が恐ろしく顔を歪ませたのをイラステーは見た。
だがそれも一瞬の出来事で、気付けば優雅にマルケに微笑みかけていた。
「…久しゅうございます。クレウス殿、いえ今は将軍とお呼びすべきでしょうか? 陛下直々の思し召しとか…真におめでたいことでございます。」
マルケが動揺しているのがイラステーにもわかった。
イラステーはこの女性はマルケに会いに来たのだと悟った。
「なぜそのことを…」
「なぜ、なぜ、とこれでは、女は何をすることも許されないようだ。
我が夫が王宮から去った理由を知ることすら…」
「エタンキア、このような場で話すことでもない。明日にでも挨拶に屋敷を伺う。もともとその予定だったのだ。」
明らかにマルケはこのエタンキアという女性を疎んでいる。
イラステーはケンテラが彼女の名を口にしていたことを思い出した。
「今ここが良い。10年ぶりの再会なのだ。酒を酌み交わそうではないか。
陛下より召し上げられたお祝いも必要であろう。それに…。」
エタンキアは微笑を浮かべイラステーをちらりと見た。
「その女とも話がしたい。」
イラステーは戦慄した。
「彼女がどう関係する。」
マルケは語気を強めて言った。
「私がそう望むのだ。」
挑むように告げ、マルケの返事を待った。イラステーは嫌な予感がした。
それでも判断はマルケに委ねるしかない。
イラステーはそっとマルケを見た。マルケは苦い表情を浮かべている。
しばらくの逡巡ののち、マルケはエタンキアの要求を呑んだ。
エタンキアは満足そうに微笑み、ラドゥケスに顔を向けた。
「それでは若き将軍殿、すぐにでも別れをすませるよう、お願い申し上げます。
私は酒杯を用意するとしましょう。」
そう言うとエタンキアは静かに外へ出て行った。
少しして、私も外そう、と告げマルケも出ていこうとしたが、イラステーはそれを制した。
「もう話は終わりました。」
ラドゥケスははっとしたようにイラステーを見た。
イラステーはラドゥケスが何か言い出さないうちに、さっと床にひれ伏した。
「御武運をお祈り申し上げます、我が国をどうかお守り下さい。」
ラドゥケスが気配で体を堅くしたのがわかった。
しかし、それ以上イラステーへ言葉をかけることはなかった。
イラステーの中で激情が渦まいた。
運命を供にする程の愛をイラステーは勝ち取ってはいなかった。
それが彼と会ってわかった。
これは意趣返しだ。
ラドゥケスが選んだものは、軍人としての自分なのだ。
ならば私も彼をそのように扱う。
しばらく彼は動けずにいたが、意を決したようにその場を辞した。
ただマルケにだけは一礼したようだ。
イラステーは叩頭したまま動けなかった。
こんな終わり方を望んだわけではないのに、こんなことしかできなかった。
体の中に様々な感情が渦巻いて整理ができなかった。
全てが腹立たしかった。
イラステーを望まぬ彼。
別れを告げる時間も突然現れた女に奪われた。
ここでは声をあげて泣くこともできない。
だからイラステーは床に
ただこの時だけは、外界を遮断したかった。
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