第70話 守る者

収穫期で本当によかったと思う。

おかげで沈み込む間がないからだ。

だからこそこの忙しさが終わることを恐れてもいた。

母にもソランにもマルケとエタンキアの本当の最期について語る決心ができず、

ただ暗い思いが日々頭をもたげた。

幸いにも家を留守にしている間に仕事が溜まっていたおかげで、することはたくさんあり就寝までの短い時間でも必死で手を動かし続けた。

だが今日は監視番で手もとに仕事は何もなかった。

収穫した大麦は乾燥中に盗まれることがあるので、こうして村では輪番制で監視小屋で監視をしている。

ハバシルの大麦は品質が安定しているし、大規模栽培だから狙われやすいため監視小屋が見渡せる範囲で設けられていた。

今日の当番はイラステーの一家だった。

だが女手しかいないので、隣に住んでいるピアヌスの長男パエトも来てくれている。

セラは絶対についていくと言って聞かなかったので、仕方なく連れて来たがイラステーはこの判断を後悔していた。

少し前まで戦争をしていたものだから国の治安も不安定で国境沿いから蛮族や盗賊が侵入してくることは大いにあり得たからだ。

だがセラは断固として譲らなかった。

その理由を何となくイラステーは察している。

イラステーがまたどこかに行ってしまうのではないかと心配しているのだ。

そんなことは二度とないと言ってもセラは不安を抑えられないようであった。

イラステーは告げていた期間をとおに過ぎても都から戻らなかった。

そしてまだあの男の面影を追っている自分を見れば不安になるのも仕方なかった。

イラステーが火の前で放心しているのを見て、心配でセラが声をかけたのはついさっきの出来事だ。

イラステーは静かに炎に照らされるセラの寝顔を見ていたが、しばらくするとまた暗い考えが頭を支配してくる。

いつもならそうならないように繕い物や何か手を動かしてやり過ごすのだが今日は何もここへ持ってきていない。

イラステーはふと傍に置いていた剣に目をやり、だがそれには触れずにそっと立ち上がり小屋の外に出た。

春なのにやはり夜は少し冷えた。イラステーは自然と体を抱く。

ハバシルに戻っても剣の鍛錬はしていない。

あれ以来、剣を握ることはしなかった。

剣を持つことの意味を知り、それにおののいた。

そして彼が残した手のひらの感覚を忘れたくなかった。

最後に剣に触れたのはクノータスから渡されたあの紅い剣になった。

イラステーはレアソンに頼んで、マルケの墓に連れて行ってもらい、自らの手で剣を埋葬した。

それからイラステーはエオナイを去った。

イラステーは物思いから覚めると、空を見上げた。

天井には広大な夜空が広がり大きな天蓋が私たちの世界を覆っている。

この大きな1つの屋根の下にみんなが暮らしているのだと思うとイラステーの孤独な気持ちが少しは和らいだ。

イラステーは、はっとして畑の方に目をやった。

草を踏む音が近づいてくる。

パエトは先ほど外の様子を見てくると言って松明を持って出て行った。

だが今は音のする方向からは灯りが見えない。

イラステーは視線はそのままにそっと小屋に戻り、薄く開けた扉から外の様子を伺った。

その足音は淀みなく小屋に近づいてくる。

イラステーは剣を手繰り寄せた。

「イラステー、俺だ。パエトだ。」

イラステーは肩の力を抜いた。

すぐに扉を開いて彼を迎え入れたが、彼の表情が硬いことに気づいた。

イラステーの表情も強張った。嫌な予感がした。

「何かあったの?」

パエトは落ち着こうと努力しているように見えた。

「わからない。

ただ遠くで馬のいななきを聞いた気がして、火を消して聞こえた方向に歩いていったんだ。

そうしたら10騎近くの集団が領主館の方へ走っていったんだ。」

パエトの声からは明らかな恐怖と焦燥が伝わってきた。

イラステーにもその恐怖が伝染する。

「どんな騎馬だったか見えた?」

パエトは目を反らさずに首を横に振った。

そして抑えきれなくなったように恐怖の声を上げた。

「襲撃かもしれない!

俺たちどうなるんだ!」

パエトは頭を抱えた。

イラステーは努めて冷静な声で言った。

「落ち着いて。盗賊なら館には向かわない。王都からの伝令かも。」

「だが東から来たんだ」

イラステーもそれは分かっていた。

イラステーたちがいるのは領主館を挟んで都とは反対方向だ。

つまり国境側になる。

王都からの伝令である可能性は低かった。

「とにかくこのことを他の小屋にも知らせなきゃ。

そいつらに出会ったのはいつなの。」

「おれは監視範囲の端の方にいたのと、暗がりで帰ってきたから結構時間がたってる…」

計算すると半刻以上前だ。馬なら城壁についているかもしれない。

「パエトは灯りを持ってナイダさんとエラストスさんの小屋にこのことを伝えて。

私はセラを小屋から離れた所に隠してからここに戻ってくる。」

パエトは何度も頷くと慌てて焚火から火を取り、転げるように出て行った。

セラは2人のやり取りを聞いて起きていた。

「セラ聞いてた?」

セラは静かに頷いた。

「じゃあ上掛けを持ってついて来て。」

「私ここにいる。お姉ちゃんの傍にいる。」

「セラ、何かあったらあなたを守れない。」

「でも…」

「もし彼らが危険な奴らならとっくにここについてる。

万が一のことを考えて隠れるだけだから大丈夫。

もしかしたら朝まで迎えに行けないかもしれないけど我慢して。」

セラは何も答えなかったが、体に上掛けを巻いて立ち上がった。

イラステーは腰に剣を携えると、セラの手を取って畑のあぜ道を歩いた。

少し歩いたところのあぜ道の陰に身を隠すように指示する。

この暗闇で布にくるまっていれば小さい子供を見つけることはできない。

「安全が確認出来たら戻ってくるから。絶対に動かないで。」

セラの頷きが見えた。

イラステーはセラをぎゅっと抱きしめると、その場を離れた。

やはりセラを連れてくるべきじゃなかったと後悔した。

イラステーは小屋に戻ったが、中に入る気になれず小屋の周りを落ち着かな気にうろついた。

しばらく迷ったが、ついに心を決めて剣に手をかけた。

もしものことがあれば取り返しがつかない。

感傷に浸って戦うことを放棄している場合ではない。

剣を握るとずしりとした重さに呻きそうになった。

これでは思うように振れないに違いない。

イラステーは気持ちを落ち着けるために素振りをしてパエトを待つことにした。

だがイラステーはすぐにそれを止めた。

遠くで馬の嘶きを聞いた気がしたからだ。

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