第20話 謁見

松明が王宮の回廊を照らし出していた。ラドゥケスは不規則に照らし出される道を急き立てられるように進んだ。後ろに付いて歩く男はついに耐え切れず声をかけた。海軍第二艦長のコノスだ。彼は陸軍への捜査に関わった男で御前会議のメンバー以外でこの事実を知る数少ない人間の一人である。

「あの方をどうするつもりだ、ラドゥケス。」

ラドゥケスは返事をしなかった。

「ラドゥケス!」

コノスが問うとラドゥケスは歩みを止めた。コノスもすかさず動きを止める。答えを待っていた。ラドゥケスは言葉を絞り出した。

「…もうすぐクレウス殿がいらっしゃるだろう。そうすれば彼も重い口を開くはずだ。」

答えるラドゥケスの声に、焦燥はあっても確信はなかった。エクトンがはじめて口を開いてから4日経過した。しかしあれ以降、何も語ろうとしない。

今回捕縛したエクトンは次の戦で大きな鍵となる。ことは慎重に運ばねばならないことをわかってはいても、残された時間を考えれば焦りばかりがつのった。

「ここにいらっしゃいましたかシーラリス将軍!」

後ろからの突然の呼びかけに二人とも弾かれるように振り向いた。見たことのある顔だった。おそらくは近衛の番兵を務めている者に違いない。何かを言付かってきた様子にラドゥケスは、目に期待の色を浮かべて尋ねた。

「何かあったのか。」

近衛兵は床に片膝をつき、すぐに答えた。

「はい!只今アイダロス様より言付かって参りました。先ほど、マルケ・クレウス様が王宮内にご到着されたとのことです。つきましては、すぐにでも皇帝陛下の御前にお召し下さいますようにとのこと。」

ラドゥケスは興奮を抑えられなかった。

「すぐに行こう。コノス、後ほど。」

コノスは静かに頷き、足早に去るラドゥケスを見送った。




それほど広くない玉座の間には複数の幹部たちと王がマルケを迎えた。マルケは何とも懐かしい気分に胸を突かれたが、ますは王への挨拶を滞りなく行う必要がある。マルケは玉座に座る王に流れるように膝をついた。

「お久しゅうございます、スペリオル・ダブタロイ陛下。陛下には、ご健勝のこと、まことにお喜び申し上げます、このような姿で陛下の御前に参上した無礼、お許し下さい。」

マルケは静かに陛下よりの御言葉を待っていると懐かしい青年の声が降って来た。

「あぁ、なんと他人行儀だろう。マルケ、本当にマルケか…、私はそなたに会えてとても嬉しい、100人の旧友と再会できたような喜びだ。さぁマルケよ、立って私に顔を見せておくれ。」

マルケはゆっくりと立ち上がり顔を上げた。

「変わらないな、うむ、そなたは全く変わっていない。」

スペリオルは眩しいものを見るようにマルケを見つめた。マルケの胸も熱くなった。マルケがここエオナイを去るとき、スペリオルは皇太子で当時10歳であった。王宮に出仕するマルケは幼い頃からこの王子を見て来た。彼は先の王スタブロス・ダブタロイの晩年に出来た一人息子であった。昨年御年67で崩御されたスタブロス王の後を継いだのだ。今年19になったはずだ。そして後を継いだ直後にこのような事態となってはさぞ心もとなかったであろう。マルケはこの若い王の心中を察した。

「陛下は随分とかわられました、逞しくおなりに…」

「もう10年も経つ、当然と言えば当然だ。」

「陛下…」

そばに控えていた男が焦りを禁じえず言葉をかけた。マルケはその男を知っていた。かつてスタブロスを支えた宰相サルカス・ノーマだ。マルケは胸に不安がよぎった。老獪はまだこの権力に縋りついているのだろうか。彼の考えはスタブロスとよく似ていた。彼がスペリオルのそばにいるならば、今後ぶつかることもあるだろう。マルケがサルカスから目を反らさない所を見て、スペリオルは何かを察して話し出した。

「そなたもよく知っているだろう。サルカスだ。王になって間もない私を支えてくれている。父の死後、王宮を去る意を示したが、私が留まるように説得したのだ。」

予想とは反した話に驚いたがマルケは表情を崩さなかった。

「スタブロス王治世で不可欠な方であられた。今もそうであると確信しております。サルカス様、今後よろしくお願いいたします。」

マルケの言葉にサルカスはただ静かに頷いただけであった。そしてその表情からは何も読み取れなかった。スペリオルに目をやると、スペリオルも頷いて話し始めた。

「すまない、我々には再会の喜びをわかちあう時間も時の神は許して下さらない、しかし、その原因が私たちを引き合わせたのだとすれば、本当に人生とは皮肉なものだ。」

マルケはスペリオルに向き直った。

「本来ならそなたを正式な場で将軍に封ずる儀を行う必要があるが、時は一刻を争う。この場で早急に執り行いたい。元老院の承認も得ている。問題ないな。」

マルケは深々と頭を下げた。

スペリオルは頷いて言った。

「少し遅れたがここにいる者たちを紹介する。そなたもよく知っているはずだケンテラ・アイダロス。今は元老院長を務めている。先ほど紹介した宰相のサルカス・ノーマ。そして艦隊司令官のオーロン・オケアノス。」

日に焼けた壮年の男がマルケに軽く頭を下げた。当時の司令官はどうなったのか気になった。するとオーロンが心を読んだように話し出した。

「前司令官のダッタン・メネラオス様は現在元老院に入っておられます。」

そしてにこりと笑った。話が合いそうだとマルケは思った。

「そして現在陸軍大将不在故、大隊長の一人アーソン・ヒッキアに会議には出席させている。」

マルケはあえて視線を向けなかった男の顔を見た。マルケはこの男と会ったことがある。正確にはマルケが遠くから彼を見ただけだが。

アーソンは以前、ハバシルの村に来たことがある。マルケに剣の指南を乞うためだ。だが政府と関わりをもちたくなかったマルケはソランに彼を追い返させた。こんなことになるならば受け入れてやればよかったのかもしれない、と思った。アーソンは表情を変えず、スペリオルの紹介に頭を下げた。

「それでは儀を執り行う。」

マルケは膝をついた。

「謹んでお受けいたします。」

スペリオルは満足そうに頷いた。

「近いうちに他の者たちには会えるだろう。サルカス。」

サルカスは粛々と首を垂れると背後の男を呼んだ。男は書状の載った盆を運んできた。サルカスは盆を頂くとスペリオルに差し出した。スペリオルは書状を自ら手に取り読み上げた。マルケには大隊長の任が下された。10年前に返上した役職に復帰したのだ。立ち上がらり居住まいを正すマルケにスペリオルは話し出す。

「本当ならばそなたには陸軍大将の任に就いてもらう予定であったが、現段階ではそれは不可能となっている。」

マルケは顔を上げた。

「センテレウス将軍ですね。」

スペリオルは頷いた。

「マルケよ。ようやくそなたと話ができる。状況を整理したい。

今、この件に詳しい者を呼ばせている。」

マルケはふとイラステーを思い出した。それは今から来る男に関係するからであろう。皇帝を前に国とは別の問題が頭に浮かんだ。

それはとても奇妙な感覚であった。ハバシルに関わる生活が全て遠い昔の記憶かそれとも幻想であったかのような気がした。軍人マルケはずっとここエオナにいて彼らとは関わりのない人生を生きてきた気さえする。マルケは自分の願望を自覚した。この10年、何度馬をかけてあの丘からエオナを見下ろしたことか。しかしハバシルの生活は捨てられなかった。マルケは自分の生き様の滑稽さに吐き気がした。しかし物思いはここで中断された。彼が到着したのだ。

その者が入って来た時、マルケは驚かなかった。おおよそイラステーから聞いた通りの容姿であったからだ。アカメイル。端正な顔立ちに意思のはっきりした力強い目。現在第3船団長と聞く。役職的にはマルケと同等であろう。彼の持つ雰囲気は彼の能力と見合っているようだ。

「第3船団長ラドゥケス・シーラリスただ今参りました。」

膝を折って挨拶するとすぐに立ち上がりマルケに目を止めた。マルケには彼の胸中を表情から読み取ることはできなかった。彼はマルケとイラステーの関係を知っている。だからこそレアソンに伝言を託したのだ。娘を捨てた男と対峙する父のような存在であるマルケをラドゥケスはどう思うであろう。しかし、そんなことはこの場で、所作一つにだって漏らすようなことはしないはずだ。もちろんマルケも同じである。

「マルケ・クレウス殿とお見受けします。お初にお目にかかります。」

「まさしく、私がマルケ・クレウスです。先ほど、陛下より大隊長の任を拝受しました。」

ラドゥケスは深々と頭を下げた。

「それは真におめでたいことでございます。私どもにもあなた様の武勇は伝わっております。ともにエオナイのために戦えることを誇りに思います。」

ラドゥケスの言葉からみなぎる真実の思いがマルケにも伝わった。

彼がマルケをどれほど待っていたか。その思いの大きさを知れば、彼がどれほどこの国を愛しているか、だからこそイラステーを捨てた気持ちが理解できないではなかった。

そのことに考えが至るとマルケも軍人なのだと自覚せざるを得なかった。心で嘆息する。

「シーラリスよ。現在の状況を急ぎ、クレウスに伝えよ。」

スペリオルの命令にラドゥケスは、歯切れよく返事をして話し出した。

ラドゥケスは3ヶ月前に起こったアーロガンタイ皇弟サクリフィス暗殺から犯人逮捕に至るまでの経緯を端的に話し出した。

成程とマルケは得心した。皇弟暗殺が海上で発見されたために捜査が海軍に一任されたのだ。

しかし犯人は陸軍大将となると両軍心中穏やかではないだろう。アーソンの表情を見れば一目でわかる。しかもラドゥケスとは年齢も立場も近いようだ。

いつの時代も同じようなことは起こるのだ。マルケは今や捕らわれの身となった男を思った。かつては彼もまたマルケの好敵手であった。そこで物思いを中断した。

今は国内の勢力よりも外界との力関係に目を向けなければならない。

エクトンは表向き重要任務でエオナイを離れていることになっているが実際は王宮内に拘留中とのことだ。そこまでラドゥケスが説明したところでオーロンが引き継いだ。

「この捜査を指揮したシーラリスは、センテレウスが何事かを隠していると考えている。私は彼の見立ては間違いないと考えている。だからこそ緘口令を陛下に進言した。しかし成果は出ていない。」

ラドゥケスとオーロンの関係が整っていることにマルケは感服した。差し出がましい発言はせず、陛下の命で事実だけを報告したラドゥケス。そして彼の上司であり御前会議のメンバーであるオーロンが

ラドゥケスの考えを推すのだ。

マルケがアーソンとあのような関係を築けるかどうか不安になった。いや、やれねばならぬのだ。

「今の話はどの部分まで、どこまでの人間が知っているのでしょうか。」

スペリオルがすぐに答えた。

「暗殺のこと、捜査のこと、これは王宮の者全てが知っておる。しかしセンテレウスと19人の実行犯のことはここにいる者とそなたに遣わしたアイダロスの部下、ナナマしか知らぬこと。ただシーラリスとともに19人に聞き取りを担当した者たちもこの件を知っている。」

「それはどなたかお聞きしても。」

その質問にはラドゥケスが答えた

「第2船団長ピソ・ガラダイオ、第3船団長副官ネイバ・ケリアレス、第3船団第1艦長マリウス・メトエイラ、同じく第2艦長コノス・ヴァイロンです。またメトエイラはサクリフィスの船の発見者でもあります。」

「その4名は信頼できるのか。」

「もちろんです。我が背を預ける者たちです。」

この機密事項をマルケを含め12人が知っている。いつまで留めておけるだろうか。敵国の調査機関もすぐそばにいるのだ。時間がないことに変わりはない。マルケは大きな溜息を突きたくなるのを深呼吸でごまかした。

「状況は芳しくないようですね。」

「その通りだ。この10年でアーロガンタイは、益々勢力を拡大している。隣国はほとんどアーロガンタイの元に下った。自ら属国を申し出る国もあるほどだ。残すはエオナのみと言ったところか」

スペリオルは、笑うしかないとでも言うように口の端を上げた。

マルケは部屋を見回した。スペリオルを含め6人の男たちがこの場にいる。彼らとこの国を救っていかなければならない。オーロンと協力し戦略をたてスペリオル、サルカス、ケンテラと調整し、アーソン、ラドゥケスを動かす。マルケは今自分が何ができるかを考えた。

「今すぐセンテレウス将軍と会いましょう。」

御前会議は今日は解散となった。明日、早朝に再び会議を行い、今から行うことの結果を報告する。

皆が部屋を出ていく中、ラドゥケスはたたずんでマルケを見ていた。

ラドゥケスが話し出す前にマルケが口を開いた。

「エクトンのことをもう少し聞いておきたい。あなたが彼に不審を抱いている件についてだ。」

ラドゥケスは頷いた。彼は捜査の段階で気になったことを全て話した。

暗殺に関わった兵は19人。全てエクトンの直属の部下であった。彼らは精鋭ぞろいで、陸軍上がりにも関わらず王族の船を闇夜に乗じて速やかに仕留めてしまったことからもその能力がわかる。またエクトンへの信奉と忠誠は巌のごとく強く、海軍でも知られるほどであった。

だからこそラドゥケスは違和感を抑えられなかった。一切尻尾が掴めずにいた彼らが、陸軍への聞き取り開始後すぐに証言をはじめたことも、エクトンの名前を隠し立てすることなく面に出したことも不可解であった。誰もお互いを庇いだてすることなく全てを話したのだ。19人の証言は完璧で矛盾がなかった。自分たちは主の命に従い、それらを忠実に実行しただけである、と全員が口にした。

今考えれば陸軍への聞き取りを始めることもエクトン自身全く抵抗を示さなかった。断固として拒否したのは大隊長たちであった。まるでエクトンと19人の部下たちは、この聞き取りを待ち、そのために証言を用意をしていたようであった。

「ミーディオーク将軍の動機も疑問です。確かにアーロガンタイ皇弟サクリフィスは既知に富む名将で皇帝の懐刀と言われていました。それが失われることはアーロガンタイにも相当な痛手でしょう。

だが彼をこのような形で消せば、我が国がどうなるか、わからぬはずがないと思うのです。」

「その事態を望んでいたのかもしれぬ。」

「馬鹿な!」

ラドゥケスは思わず口を覆った。

「申し訳ありません。」

マルケは気にせず続けた。

「将軍は元々戦を望んでいた。今の事態はそういう者たちには好都合なのかもしれない。」

ラドゥケスは目に見えて表情を無くした。

彼の判断は間違っていると指摘されたと思っているのだ。だがマルケはあくまで可能性を述べたまでだ。

ラドゥケスは皇帝まで動かしてエクトンを留め置くよう計らい、そのために諜報員の闊歩を許す事態を招いている。それを間違いだと言われれば、それは卒倒するほどの恐怖だろう。

「捜査したのはシーラリス将軍、あなただ。私はあなたの感覚を信じる。私も彼はおそらく何かを隠していると思う。私は全力でその解明に当たろう。」

ラドゥケスは強張った笑みを浮かべた。

「そう言って頂けて感謝します。」



マルケはラドゥケスに案内をお願いした。しばらく歩くとマルケはあえて歩調を緩めた。彼と話をしなければならないことがもう1つあった。彼の双肩にかかる事態を思うと、後回しにしてやりたいとも思うがこれもまた猶予のない案件なのだ。

ラドゥケスもマルケの歩調のゆるみに気づきペースを落とした。

「シーラリス殿。もう一つ尋ねたいことがある。」

ラドゥケスはこちらを向いた。

「ラドゥケスとお呼びください」

王宮の中庭に面するこの大きな回廊を松明が照らし出していた。

マルケたち以外には誰もここを行く者は無く、誰かが現れればすぐに気づく。

「イラステー殿のことですね。」

マルケは頷いた。ラドゥケスはマルケと彼女のことを知っている。

「イラステー殿には本当に申し訳ないことをしたと思っております。許して頂こうなどとは考えていません。クレウス殿の換言も甘んじてお受けします。」

ラドゥケスは頭を下げた。マルケは内心嘆息した。

彼は自分よりよっぽど誠実な男ではないか。

「わたしも軍人だ。そなたの立場や考えは理解できる。だからこそそなたを攻めようとは思はない。それに私は元々この件に関しては反対だった。イラステーには良き伴侶を私が用意する手筈だったのだ。王宮勤めの軍人など碌なことはないからな。」

マルケは自嘲の笑みを浮かべた。ラドゥケスは顔を上げる。マルケの反応が意外であったようで複雑な表情を浮かべる。

「イラステー殿は息災でしょうか。」

「問題はそこなのだ。」

ラドゥケスは顔を引きつらせた。マルケははじめて彼の人間らしい表情を見た気がした。次の言葉を言うのが気の毒になった。

「自分で確かめるといい。イラステーは王宮ここに来ている」

ラドゥケスは体を硬直させた。

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