第31話 レダの指南

次の日早速エタンキアの元で働くかと思いきやそうはいかなかった。レダによる引き継ぎが膨大にあった。

エタンキアの侍女が変わるたびにこうして引き継ぎを行ってきたらしい。

ならばいっそレダが彼女の専属になればいいのでは、と内心思ったが、きっと彼女は優秀すぎるゆえにそれは叶わないのだろう。

本人が避けている可能性もある。

レダの話によると、今日はエタンキアは外出しているとのことであった。確かに屋敷で見かけない日がある。

イラステーはまた王宮ではないかと思ったがレダに尋ねるわけにもいかない。

エタンキアの朝は早く、習慣や日課も細かくきまっている。

起床就寝時間、彼女の趣味嗜好、何を疎ましく思うか、何を憎むか、最近気に入っていること、止めてしまったこと。

レダはエタンキアの分身を作ろうとしているかのごとく、膨大な情報をイラステーに詰め込んでいく。次から次へと彼女にまつわる品が保管されている場所に連れて行き、説明を続けた。

イラステーは何度も心の中で反芻しながら頭の中に書き込んでいった。そうしてついにレダはエタンキアの離れの館にイラステーを伴って入っていった。

昨日は、レダはここに足を踏み入れなかった。

館は昨日同様、人の気配がなかった。イラステーは急に不安になった。

レダがエタンキアの衣裳部屋に入っていき最近彼女がよく身に着けている衣服について説明を終えた所で、イラステーはたまらず聞いた。

「レダ様、エタンキア様専属の侍女は他には何人いらっしゃるのでしょうか。」

レダはこちらを振り向いた。

「あなただけですよ、イラステー」

イラステーは瞠目した。

「エタンキア様は複数の人間と接触することをよくお思いになりません。あの方のお傍に仕えることができるのは2人までです。」

「ではもうお一方は…?」

イラステーは驚きのあまり、思ったことを口にしてしまっていた。だがレダは丁寧に答えてくれた。

「今回の件では、あなたが一人を所望したと聞いています。ですからあなた一人です。」

イラステーはショックで一瞬固まってしまった。

レダはイラステーの心中を知らずか説明に戻った。

エタンキアの言っていた、覚悟せよ、とはこういうことだったのだ。では今日までのお世話は誰がしているのか気になったが、侍女が決まるまで誰かが代わりをしているのは間違いない。イラステーは不安で胸が潰れそうになった。今日教えられていることは、本気で頭に叩き込まないと大変なことになる。

「それは今後とも変わらず1人なのでございましょうか。」

レダはまた説明を止めて、イラステーの方を向いた。叱責されるかと思ったがそうはならなかった。

「あなたとは少しお話をする必要がありそうね。」

そういうとレダは、こちらへ、と言ってこの館を後にした。案内されたのは、レダの私室だった。どうやら仕事にも使っているらしかった。

「座りなさい」

イラステーは勧められるがままに座椅子に腰を下ろした。レダも正面に腰を下ろす。

「あなたはどうしてエタンキア様の侍女に志願したのですか。」

イラステーは突然の質問に驚いて顔を上げた。レダはいつもの何を考えているかわからないような表情で彼女を見ていた。イラステーは頭をフル回転させてふさわしい答えを探した。

「王宮でエタンキア様とお会いした時にそのようなお約束を頂いていたので…」

伝えても大丈夫な内容だと思っても、言葉は尻すぼみになった。

だがどうして今さらこんな話になるのかイラステーにはわからなかった。それは志願した時に尋ねるべき内容ではないのだろうか。

「それはあなたの意思ですか。」

イラステーは言葉に窮した。それは正解とも言えるし、そうではないとも言える。イラステーは言葉を選ぶように答えた。

「私はこの仕事を全うしたいと思っています。ですから私の意思です。」

「ですがあなたは一人でこれを成し遂げられると思っていますか。」

イラステーは黙るしかなかった。

侍女が一人なんて聞いたこともない。田舎の貴族だってもっと多くの侍女を抱えているはずだ。発想にもなかったのにイラステーの意思であるはずがない。イラステーが何も言えずにいると、レダは静かに立ち上がった。イラステーは視線で彼女を追いかけた。レダは奥の部屋に消えた。怒らせてしまったのかと不安になったが、すぐに彼女は戻って来た。手には何かを持っていた。

「これを。」

そういうと年季の入った革表紙がついた本というよりは紙束のようなものをテーブルに置いて差し出した。

「これは…」

「エタンキア様の日課が記されたメモです」

イラステーはびっくりしてレダを見た。

「私が書いたものです。」

「これを私に…?」

「貸し出します。」

イラステーは真意を図りかねて手を出せずにいるとレダが話を続けた。

「エタンキア様に仕えたいと望む者は多くいます。」

イラステーはまたもや驚いてレダを見た。

「それは報奨がよいからです。そのような者は長く続きません。」

「身分の高い方に仕えることはとても責任の重い仕事です。それを一人でとなると求められる物は一層大きくなります。」

レダは言葉を選んで話をしている。彼女はイラステーを助けようとしてくれているのがわかった。

「これは…レダ様がエタンキア様にお仕えしていた時に書かれたものですか…?」

「それも含まれていますが、今も記しています。」

イラステーは驚きのあまりメモとレダを交互に見た。

彼女が今の立場にある理由がわかった気がする。

イラステーはまだメモに手を伸ばせないでいた。

レダは顔を上げてイラステーを見た。

「イラステー。あなたがお金目当てならばこれは見せなかったでしょう。私も善人ではありません。誰これかまわず手を差し伸べたりはしません。ただあなたになら見せてもよいと考えたからここにあるのです。」

イラステーならば、上司の虎の巻を預けてもいいと思ったということだろうか。また主人の個人情報を見せてもかまわないと?

しかも紙なんて高級品、これには相当なお金もかかっているだろう。とてつもない期待がかかっていることにイラステーは眩暈を覚えた。だがこれがないと、大目玉を食らうことは必至だ。

イラステーに選択肢はなかった。やっとメモの束を手に取った。

「ありがとうございます。大切に読ませていただきます。」

レダは静かに頷いた。

「3日です。」

イラステーはわけがわからず問うような顔をしてしまった。

「3日であなたを貴族のご婦人に仕えても恥ずかしくないように指導するとエタンキア様に約束しました。」

イラステーは瞠目した。

「エタンキア様は本当なら今日にでもあなたに仕事を頼みたいとおっしゃっておられました。」

イラステーはそのつもりでいたが、その大変さがわかった今ではエタンキアの言葉が恐ろしい。

「ですがそれはお断りしました。あなたは侍女の仕事はおろか、屋敷勤めすらままならない身。このままでは大失態を起こすだろうことは想像に難くありません。エタンキア様は私の顔を立てて3日下さいました。いいですか。それでも今まで屋敷仕えを経験したことのない娘が大貴族の夫人に仕えることなど普通はありえないことなのです。」

「私は無事お仕えできるでしょうか。」

「周りに経験者がいる中で務めるならあるいは…。しかしそれはもう望めません。ですから努力次第としか言えません。」

イラステーは肩を落とした。

覚悟せよ、という言葉が身に染みてきた。

エタンキアは丸腰のままでイラステーが送り込まれることを望んでいた。そうして失態を起こすのを待っていたのだろう。

もしそうなっていたなら、イラステーはすぐに首になったのだろうか。それとも思い罰を与えられることになったのだろうか。おそろく後者だろう。イラステーは自分の身に迫っていた危機に身震いした。

「こうしている間にも時間は過ぎていきます。私がエタンキア様の意向に反してお時間を頂いた以上、あなたを完璧に仕上げる義務があります。覚悟はいいですか。」

イラステーは深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします。」

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